→はい、一休みします
全っ然更新できてなくて、すみませんでした!
それにも関わらず、ここまで足を運んでくださった皆様方、いつもありがとうございます!感謝です!!
「シリル」
今日も懲りずに講義室に姿を見せたわたしに、シリルは軽く手を挙げて立ち上がった。その後ろでは、呆れた顔を隠しもしないトム。そんな顔をされるのにももう慣れた。いつものごとく彼の存在はまるっと無視して、わたしはシリルの手を引っ張った。
「シリル、今日はどこでデートする?」
シリルとはあれからもう何度となくお出かけしている。
美術館で絵画鑑賞もした。公園でピクニックもした。思い切ってマルリーヌ様おすすめの夜景の見えるレストランでディナーだってした。それから夜の海に行って花火もやってみたけど、あれは正直言って失敗だった。この時期の夜の海をナメてた。風は強いわ寒いわで、火花は煽られそのたびに肝は冷え、全然それっぽい雰囲気にすらなれなかったから。
「アンジェはどうしたい?」
見下ろしてくる透明なヘーゼルの目から、視線を逸らす。
シリルはわたしといて本当に幸せなのかな。あのときわたしのことを好きって言った感情に、間違いはないのかな。
あれだけシリルの優しい愛を感じ取ってるはずなのに、疑いそうになる自分は贅沢なのかな。
――だったらなんで、わたしはまだここにいるの?
「うーん、じゃあまたいつもの」
「はいはい、公園に行ってゴロゴロね」
シリルは仕方なさそうに笑って手を繋ぎなおしてきた。引っ張っていた手は引っ張りなおされ、暖かく包み込まれる。泣きたいほどに優しい感触なのに、彼の心が分からなくて、今はそのぬくもりがかえって不安になる。
公園に着いた途端、鞄もほっぽり出して芝生に横になったわたしに、シリルは呆れたような声を出した。行儀がどうとかスカートの裾がどうとかお小言を並べるシリルに、まぁまぁとごまかし笑いを返しながら、空を見上げる。
「うーん、今日もいい天気だなぁ……」
相変わらず変わらない状況。シリルとはあれ以降恋愛らしいやり取りはない。どうすれば正解なのかもわからず、頑張ることに少し疲れて目を瞑ると、ふわりと温かい手がまぶたの上へと乗せられる。
「シリルってば、いつにもまして優しいね〜……」
何回目かのデートでそうやって頑張ることを放棄して以来、シリルは疲れたわたしにそれはもう尽くしてくれていた。
膝枕をしてくれたり、ただただボーッとするわたしのそばにいてくれたり、ポツリポツリととめどなくこぼす弱音を静かに聞いてくれたり……でも結局一緒にいて甘えているのも、その存在を大切に思っているのもわたしだけじゃないのかな――、なんて弱気に思っていると、突然シリルの指がわたしの頬をつついてきた。
「え」
驚いてまぶたを開けると、わたしを覗き込む曖昧なヘーゼルの瞳。
「ねぇ、アンジェ」
影になったその瞳がどんな表情を浮かべているのか、よくわからない。
「アンジェさ、ほんとはずっと悩んでること、ない?」
なにも言えなくてただただ見上げるわたしを、ヘーゼルの瞳がじっと見返してくる。
「俺ってばそんなに頼りない?」
「……シリル」
「できることなら、俺だってアンジェの力になりたいんだ」
ふと下げられた眉尻に、わたしの態度がかえってシリルを追い詰めていたのかもしれないと気づかされる。
「最近はいつも、アンジェってば無理して笑ってる」
情けない笑顔を浮かべたシリルに、わたしは手を伸ばして――そして思いっきりデコピンした。
「っ!?」
思った以上に痛かったのか、瞬時に身を仰け反らして額を抑えたシリルの姿に、申し訳ないけど笑えてきた。
「ねぇシリル、なんでもかんでもわたし以上に、わたしの感情に敏くならないで」
謝りながら身を起こすと、シリルは涙目で睨んでくる。
「うん、そうだね……よし、決ーめた!」
ふと思いついたまま立ち上がってシリルの手を引っ張ると、シリルはきょとんと不思議そうな顔をした。
「今日はさ、いっそとことんわたしに付き合ってもらうわ」
「いつもそうするって言ってるのに」
「わたしのわたしによる、わたしのためだけのデートだよ? 大丈夫? そんなのついてこれる?」
「見縊らないで、俺だって覚悟を決めたんだから。望むところだよ」
今度こそシリルのためでもなんでもない、ただのわたしのわがままを口にすると、シリルは呆れたような、でも少しほっとしたようなまぜまぜの笑みを返してきた。
そう言ってわたしがシリルを連れて来たのは、街の一角にあるバイキングレストランだった。
この中世ヨーロッパをモデルにした乙女ゲームの世界に、食べ放題なんてものがあるかどうかがちょっと心配だったけど、探せば案外とあるもんだ。
他のテーブルのお嬢様方がおしとやかに食しているのを横目に、わたしはメニューの片っ端から、すました顔のウェイターに注文しまくった。まぁでもここはさすが一流のレストラン、やはりプロは違う。彼は顔色一つ変えることなく、わたしたちのテーブルの上を料理の皿で埋め尽くしてくれた。
「わかってはいたけどさ、すごい食べっぷりだね……」
「だってせっかく来たんだからね?」
この世界の貴族向けの食事が絶品なのは間違いない。それに、郷に入ったら思いっきり楽しめだったか? とにかく美味しい楽しい思いができるのなら、目一杯享受しなければもったいないじゃんか。
思わずため息をついたシリルを、口いっぱいに頬張ったままにっと見返す。
シリルを幸せにするためにそれどころじゃなかったんだけど、今だけは無礼講だ。
「まぁまぁ、シリルも遠慮なくどうぞ」
「俺はもういいよ。アンジェの食べっぷりを見てたら胸焼けしてきた」
「そう? もったいないなぁ」
心ゆくまで美味しい食事を堪能する。
シリルはわたしの食べっぷりを眺めながら、知らない料理や作法があれば教えてくれたり、空いたお皿を隅に寄せたり、気になる料理を追加で注文してくれたりと、わたしが言うのもなんだが、かわいそうなくらいわたしの世話に追われていた。
レストランを出たときには、もう夕方になっていた。
「微妙な時間に食べちゃったなー。夕食どうしよう」
「ティータイムにあれだけ食事をかきこめるって、一周通り越して感心するよ。そしてまだ食べる気なの?」
呆れているのか褒めているのかわからないシリルは、引き攣った笑いを浮かべている。
だって学院のカフェテリアってお上品すぎて、全然食べたい欲が満たされないんだもの!
わたしはもっと、肉とか肉とか! あと粉ものとかもっとかきこみたいんだよ!
シリルも引くほどの暴飲暴食っぷりでストレス発散したわたしは、ここ最近にしてはいつになく上機嫌で帰り道を歩いていた。
柄にもなく音程の外れた鼻歌を歌いながら、舗装されたレンガ道をリズムをつけながら歩いていく。
「アンジェったら、危ないよ」
窘めたシリルがわたしの腕を掴もうとして、よろりとよろけた拍子にシリルにぶつかる。
「ほら〜……言わんこっちゃない」
呆れたシリルからまぁまぁと体を離そうとして、ふと意図せず近くなった距離に気づいて息を呑んだ。
夕陽の影になったシリルは、思いのほか真剣な表情をしていた。
「シリル?」
いまだ離されない手からの熱が熱い。そうやって近くで見ると、あんなに物腰柔らかで優しいシリルでも、その体格はもうすぐ成長期を終える少年そのものだなぁって実感する。
ふいにシリルが距離を詰めてきた。
影になった向こうから、シリルの柔らかなヘーゼルの瞳が覗く。くすんだ茶色と緑の混じる目は、あの日のカフェテリアでの告白を思い起こさせた。
「アンジェ」
シリルの声がかつてなく熱を帯びていることに、体を竦ませる。
「俺、アンジェがそうやって無邪気に笑ってる姿が好きだよ。アンジェが楽しそうだとさ、目がキラキラキラキラ光ってて、きれいなアンバーがまるで太陽みたいなんだ。その光に照らされると、俺、どんなことでもがんばろうって気になる」
シリルの指が伸びてきて、そっと頬をくすぐる。
「だから、アンジェの瞳を曇らせるものは取り除いてあげたいし、アンジェがいつまでもそうやって太陽みたいに笑ってられるように、力になりたい。ねぇアンジェ、俺じゃ力不足?」
茶化せるような雰囲気でもない。頬をなぞっていた指が降りてきて、そっと肩を掴まれる。
柄にもなく喉が張り付いて返事が出ない。待ち望んでいたシリルからのアクションだというのに、肝心の肝心なところで、まさかこのわたしが怖気づいている?
――そのとき、なぜか、ほんっとーに不覚にも、だ。わたしのお腹がぐーーーっと鳴った。
「ウソだよね?」
途端にシリルが半眼になる。
「俺今、すっごく恥ずかしいのを堪えて、一生懸命練習した口説き文句を披露してたんだけど?」
……一生懸命練習したんだ。もしかして太陽のくだりのところかな。
「少しでもアンジェに異性として意識してもらえるようにって、ない頭を絞って考えたのに、なのにアンジェときたらさ!」
脱力したようにシリルは力を抜く。
「しかもあれだけ食べたってのに、まさかまだお腹が空いてるとか言わないよね?」
「いやー、ごめんごめん。だってよく考えたらデザートはまだだったんだもん。デザートは空腹だから」
「デザートが空腹ってなに!?」
シリルはしばらく呆れたように脱力してたけど、やがてケラケラと笑い出した。
「どこまでいっても、やっぱりアンジェはアンジェだなぁ」
不思議なことに、どこか楽しそうにシリルはそう言うと、わたしのお腹のリクエストに答えようと、彼はおすすめのカフェテリアがあるからと歩き出した。
さっきまでの驚くほど男らしい雰囲気はもう消え去っていて、次に話しかけてきたときにはもう、そこにいたのはいつものシリルだった。




