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→はい、捜しに行きます

 

 これ以上ランチを続けられるはずもなく、目の前にこんもりと残っているパスタセットをじっと眺める。

 混乱を極めた頭で一生懸命今の話を思い起こしてみても、一向に噛み砕けない。いったいなにが起こって、レニエ商会はそんなことになってしまったんだ。そうだ、ロクサーヌは? だからロクサーヌは学院に戻ってこないし手紙の返事も返せない? もしもこのままロクサーヌが噂通りに退学することになってしまったら。

 ――もう二度とロクサーヌとは会えなくなるかもしれない。

 そう思うと居ても立っても居られなくなって、衝動的に立ち上がると、足早にカフェテリアを後にした。








 なんとか歩きの体裁を保っていた歩行速度が、焦りのままに今や狂ったような疾走へと変わっていた。優雅に歩くご令嬢や、驚いたように場所を空けてくれる男子生徒たちを気迫で蹴散らして、わたしは一心不乱に出口を目指して走り続けていた。

 やがて、やっと学院の正面玄関へと着く。そのまままっすぐに突っ切って出て行こうとして。


「どこ行くんだよ」


 水を差されたように、鋭い声に呼び止められた。

 荒い息をついたまま振り返る。立ち止まると一気に疲労がきてしばらく走れなくなりそうだったから、ここで止まりたくなかったのに。

 返事も出来ないまま睨み上げるように見返すわたしに、ディートフリート殿下はあの薄暗い瞳を向けてきた。


「そんなに急いで、どこに行く」

「そ……ん、なの、殿下には関係ないでしょうよっ……」

「そんな状態でどこまで行けるってんだ」

「……」


 息も絶え絶えに肩で呼吸しているわたしに、殿下は呆れたようなため息を吐くと一つ舌打ちした。


「……っ、わたしがこれ以上なにをしようと、殿下にはもう関係ありませんよね? 別に迷惑はかけませんから……」


 殿下は今度はわざと聞かせるように大げさに舌打ちをすると、後ろを振り返った。そこにいた人物に瞠目する。いつの間にか、コゼットちゃんとシリルまでいた。


「俺に言うなよ。文句があるならこいつらに言え」


 コゼットちゃんの滴るような甘いピンクグレープフルーツの瞳と、シリルの淡いヘーゼルの瞳。そんな透明度の高い瞳を持った二人の視線は、焼け付くほどにわたしに突き刺さってくる。


「来い」


 殿下は唸るように短く言うと、踵を返して歩き出した。その後ろ姿を見守っていると、ちょっと恥ずかしそうに殿下が振り返ってくる。


「おい、来いって言われたらさっさと来い!」

「生憎ですけど、わたしには行かなきゃならんところがあるのですってば」

「だから! そこまで送ってやるって言ってるんだよ! いちいち言わないとわからんのか、おまえは!」

「そんなの、急に親切にされたってわかるわけないじゃないですか……」


 駆け寄ってきたコゼットちゃんが黙ったままわたしの手を取り、シリルが支えるように反対の肩に手を添えてくる。

 俯いたまま唇を噛み締めた。ありがとうとそう言うべきなのに、その言葉が喉につっかえたように出てこなかった。








 レニエ邸に向かう道すがら、誰もなにも喋ろうとはしなかった。

 向かいにはディートフリート殿下にコゼットちゃん、隣にはシリルが座っていて、おまけにそうしとかないとわたしが泣き崩れるんじゃないかとでも言いたげに、しっかりとわたしの手を握っている。

 殿下とコゼットちゃんの視線が度々その握られた手に向けられることに気付いて、何度も手を抜き取ろうとする。でもそうするたびにシリルの柔らかいヘーゼルの目に縋られて、わたしは二人の前なのに、コゼットちゃんの前なのに、どうしてもその優しい温もりを突き放せなかった。









 しばらくして馬車がレニエ邸に到着すると、わたしは殿下の制止も聞かずに馬車を飛び出して、玄関へと駆け込んだ。入り口には警備の騎士が立っていて、険しい態度で止められそうになる。だけど背後で殿下が声をかけてくれて、幸いにも止められる前に中に滑り込むことができた。

 レニエ邸の有り様は、悲惨だった。

 あんなにも豪奢に飾り立てられていた玄関ホールには、もうなにもない。フカフカの毛足の長い絨毯も、お高そうな花瓶も絵画も、天井で輝いていたシャンデリアさえもすべて取っ払われていて、寒々としている。

 昼間にしては異様に暗いそこを走り抜けて、わたしはロクサーヌの部屋の前まできた。

 勢いでここまで来てしまったけど、果たしてロクサーヌはここにいるだろうか。もしもロクサーヌがいなければ、だったら彼女はいったいどこへ? わたしにはほかに心当たりもない。……もしもここにいなかったら、もう会えないかもしれない。

 恐れに指を震わせながら、あの日の夜もくぐり抜けた扉を開ける。

 なにもない、がらんどうの部屋。カーテンの取っ払われた窓。薄っすらと曇り空から差し込む陽の光に照らされながら、ロクサーヌは窓際に座り込んで外を眺めていた。


「あれ? 来たの?」


 なんてないことのようにロクサーヌはそう言うと、ちらりとわたしを見上げてニッと笑ってみせた。

 どこまでいってもいつもと変わりない、ロクサーヌ。まるで学院で毎朝挨拶していたかのような気安さだ。


「あたしなんてもう用済みでしょ? 二度と会うこともないと思ってたのに」


 ロクサーヌのまあるい目は再び窓の外へと向けられる。

 そこからは玄関先の馬車回しの様子がよく見えた。わたしを待って立ち尽くす三人の様子も。つまり、ロクサーヌはわたしが駆け込んできたことに気付いていた。


「用済みって……」

「だって、そうでしょ? 欲しかった証拠や裏付けが無事にとれたから、こうして見事レニエ商会の隠された大悪事を暴くことができたんじゃないの、あんたたちは」


 得意げにそう言って笑ったロクサーヌは、話に全然ついていけてなくて呆然と立ち竦んだままのわたしに、不思議そうに首を傾げてみせる。


「なんの、ことだか……」

「今さらシラ切らなくてもいいよ。あたし、全部気付いてたから」


 ほんとになんのことだかわからない。先日からずっとそうだ。わたしの預かり知らぬところで話が勝手に転がっていって、置いてきぼりのまま先に先にと進んでいく。取り残されてなにも知らないのは、わたし一人だけ。


「あんたが初めてあたしに近づいてきたとき、いったいどういう魂胆なんだろうって思ってたけど、まぁ、そうよくよく考えなくてもあの件しかないって決まってるよね。あたしだって、偶然知ったときにこれはヤバいって焦ったもん。まさか両親があんなものにまで手を出しちゃってたなんてさ。それに気づけなくて、止められなかったのはあたしの落ち度だ」


 ロクサーヌは淡々と続ける。


「自業自得だってわかってるよ。あんたたちが来なくても、いずれはどこかで絶対にバレてたと思う。実際、取引先のあんたの国のお偉いさんたちは、あたしの父さんと母さんにすべての罪を擦り付けて自分たちだけ逃げ切るつもりだったみたいだし。だからそうなる前にさ、こうやってぜーんぶ明るみに出してもらって、ほんとせいせいした! これでうちの両親を唆したあいつらも一人残らず道連れにして、きっちりと罪を償わせてやれる……! だから、あんたはなにも気にしなくていいから。あんたのこと、あたしは恨んですらないし。あはっ……ねぇアンジェ、いい加減そんな顔をするの止めなよ」


 真正面から見上げてくるロクサーヌは、口角だけを上げて笑みを形作っている。その視線は痛いほどに刺さってきたけど、逸らしたらそこで終わりな気がして、目は逸らせなかった。


「あたしはなにも気にしてないって、何度言わせるつもり? むしろこんなところまで追いかけて来ちゃってさ、あんたもう役目は終わったんでしょ? いつまであたしとこんな友だちごっこなんか続けるのよ」

「友だちごっこなんかじゃない」


 言葉を続けようとしたロクサーヌは一瞬、口を噤んだ。


「……あんたのコレが友だちごっこじゃないって言うなら、じゃあいったいなんなのよ」

「友だちだよ」


 その言葉にロクサーヌは笑った。なんてことないように笑った。


「笑いごとじゃない。わたしは本気で言ってる」


 たしかに途中からわたしが“ピピ”になって、そしてわたしの目的はずっとシリルだったけど。


「学院で一緒に過ごしたあの時間、わたしは一度だって仕事って思いながらロクサーヌと過ごしたことなんてない」

「ハッ……」


 ロクサーヌはため息にも似た笑い声を漏らした。


「……あんたのそれ、想像以上に心にクるんだから、いい加減止めてよね」

「止めない」


 強い語気で言い募る。先に視線を逸らしたのは、ロクサーヌのほうだった。


「やってもないことをやったって言われるのは心外だもん! わたしはずっと! ロクサーヌと友だちだったし! 今でも友だちだって思ってるよ!」

「アンジェ……」


 ロクサーヌの声から強さがなくなった。武装していた刺々しい強さを取っ払ったロクサーヌは、随分と弱々しかった。


「……あんたがさ、そうやって思ってたよりもよっぽど友だちみたいに振る舞うもんだから、それだけはね……このあたしだってけっこうに堪えるのよ」

「そんなの……!」

「あんたはこのレニエの秘密を狙ってるんだってわかってたのに、あんたはただ仕事であたしに近づいただけだってのに、なのにあんたがあんなことまでしちゃうから。あたしの中にまでズカズカと踏み込んできちゃうから」


 ロクサーヌは俯いた。隠そうとした目にだんだんと涙が溜まっていくのに、気づいてしまった。


「あたし、あんたのこと、ほんとの友だちだって思ってしまったじゃん」


 涙が一滴だけ、頬を伝って地面へと落ちていく。


「ほんとにあんただけだったの。あたしがずけずけとものを言っても動じなかったのも、貴族じゃなくてもずっとそばにいてくれたのも、イヴァンとの仲を冷やかさずに真剣に考えてくれたのも、あんただけだった。アンジェ、あんたがあたしの初めての友だちなの」


 視線を落としたロクサーヌのまつ毛が濡れていく。


「だからさ、危なっかしいあんたの仕事が無事に成功するように、あたしも少しだけだけど手伝ったんだよ? だってあんたってばせっかくあたしが家に呼んだのに、はしゃいでばっかでろくに父さんの書斎の場所も確認しないんだから。こんなんで大丈夫かってあたしのほうが心配になったわよ。でもおかげでちゃんと終わったでしょ。あの手厳しい殿下にも怒られずに済んだんじゃない? ……あのさ、アンジェのはちゃめちゃって見てる分にはほんと面白かったけどさ、でも仕事のときはちゃんと上の人の言うことも聞かないと、これから出世できないからね? やるときはちゃんとバシッと決めなさいよ? もう会うことはないと思うけど、国に帰っても元気でね。まぁあんたなら言われなくても、あっちでもはちゃめちゃに元気なんだろうけど」

「ロクサーヌ」


 ロクサーヌは返事をしなかった。視線はもうわたしのほうを向くことはなく、再び窓の外へと向けられている。


「ロクサーヌ、わたしはロクサーヌのこと、これからも勝手に友だちだって思ってるから」


 返事はもうない。ロクサーヌはまるですでにわたしがそこにいないかのように、ぼんやりと窓の外を眺めている。


「ロクサーヌ、ロクサーヌがわかってくれるまで、わたしは何度でも伝えに行くから。わたしだって初めての友だちがロクサーヌで、いつもロクサーヌがそばにいてくれてどんなに心強かったか……それだけは、なにが嘘でなにが真実かわからなくなっても、それだけは違わないから」


 それ以上、ロクサーヌは返事をしてくれなかった。








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