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→はい、衝撃を受けます

 

 寮の部屋に戻って一人きりになっても、バクバクと暴れる心臓はなかなか落ち着いてはくれなかった。

 ――シリルがわたしを好き? そんなことあり得るの?

 だって、シリルはあんなにもコゼットちゃんが好きで、どんなに無下に扱われても諦めなくて、最後までコゼットちゃんの幸せを願っていたはずで。

 ――そんなシリルがわたしを好き? いやいや、そんなのあり得ない。

 わたしがあんまりにも破天荒に振る舞いすぎたせいで、可哀想に思われてしまった? それはあり得るかもしれない。シリルって多分、放っておけない人を構いたがる傾向にある。だったら、わたしが落ち着けば、シリルの気持ちは離れていく?

 ……それなら、このまま破天荒に振る舞い続ければ、シリルはずっとわたしのことを見ててくれる?

 ああでも、ダメだ、そんな打算的なことを考えちゃ。それにべつにわたしは破天荒に振る舞っているつもりはないし、そもそも振る舞おうとしたって振る舞えるものじゃない。

 だいたい、破天荒に振る舞うってなんだ? どうしたらシリルの気を引けるような破天荒な振る舞いになる? 人の迷惑になるような行為はもちろん論外だ、目上の人に盾突くなんてもってのほか。だったら目の前で腹踊りでもしてみる? いやいや、こんなの百年の恋も覚める。それなら――いっそ、自分のこの状況を正直に話してみるとか? わたしのこの突飛な状況こそ、破天荒を通り越したとんでもない事実だけど……だって、でもこんな嘘みたいな、作り話みたいな状況をそう簡単に信じてもらえるだろうか。

 そこまでごちゃごちゃと考えたところで、なにやってんだと自嘲が漏れる。

 どう考えてもシリルの一時の気の迷いであろう言葉に、舞い上がって思考を乱されている自分があまりにもみっともなかった。だって、あれだけまっすぐコゼットちゃんを見ていた男が、そう簡単に心を動かす? 今は派手な動きをしている自分に目が向いてるだけじゃないの? 


「どっちにしても、なに期待しちゃってんの、自分……」


 もういいや。こういうときはいっそ寝るに限る。このぐちゃぐちゃなメンタルでこれ以上考え込んだところで、なにもいい考えなんて思い浮かばない。

 余計な負のスパイラルに陥る前にわたしは一旦寝ることにした。そうと決めたら潔く掛け布の中へと入り込む。疲れた頭のわりには、すぐに睡魔はやってきた。








 翌朝は、案外といい目覚めだった。

 あんな衝撃的なことがあったっていうのに、ベッドに潜り込んでしまった途端に眠りについた自分、我ながら図太い。だけどおかげで気分も大分スッキリした。ベッドの中でうーんと伸びをして、起き上がろうと上を向いた先。


「寝起きなところ悪いが、取り急ぎ報告だ」


 ベッドの端に座り込んでいたディートフリート殿下に、完全に固まる。


「依頼された仕事は無事に完遂した。どうなることかと思ったが、なんとか目的は達成できたようでなによりだ。それに向こうはおまえの副次的な動きで、()()()()()殿()()()()()()()()が仲直りできたことにも感謝しているそうだ。ま、今回だけは結果良ければすべて良し、ということにしといてやる」


 淡々と喋る殿下はなんだか無機質で、その異様な雰囲気も相まって寝起きの頭では上手く言葉を返すことができなかった。


「無事に任務も終了した。俺たちも予定通りに出国する」


 ここで初めて、まるで呑み込まれそうな殿下の真っ黒な瞳がわたしのほうを向いた。


「異論は認めない。“ピピ“だか“アンジェ”だか今となってはもうどうでもいいが、楽しい楽しい虚構の時間はもうすぐ終わりだ。……覚悟は決めておくことだ、“アンナ”」


 ここまで一方的にわたしに突きつけてくると、殿下はあのときのようにあっという間に姿を消してしまった。


「な、なんだったんだ、一体……」


 殿下の言っていることはこれまたよくわからなかったが、一つだけ、嫌でも現実を突きつけてくる言葉があった。


「予定通り出国、って……」


 ここまで考えて、ハッと気づく。

 あれ? わたし、いつまで“ピピ・オデット”なの?

 当初はシリルを助けるためにここにきたわけで、つまり彼がコゼットちゃんと結ばれるまでがゴールだと思っていた。それにここは乙女ゲームの中なんだから、それは自分の選択次第で充分可能だとなぜか思い込んでいた。

 だけど、コゼットちゃんはコゼットちゃんの意思でディートフリート殿下を支えたいと決めてしまったし、シリルはシリルでコゼットちゃんを諦めてまでわたしを放っておけないときた。

 え、これってどうなるの? つまり、シリルルートは失敗? わたし、ほんとに帰れるの?








 常日頃ヘラヘラしながら講義室に入ってくるわたしが、今日に限ってやけに神妙にしていたからか、いつも遠目に目配せで挨拶してくるだけのエドガーが珍しく近寄ってきて、話しかけてきた。


「おはようございます、アンジェ」

「あ、エドガーだ。おはよー」


 無理やり笑って見せるも、エドガーは少し眉を顰めてみせる。


「今日は随分と元気がありませんね」

「そう? まぁ、この学院の勝手も大体わかってきたしね。ようやくわたしのこの落ち着き具合を知らしめるときがきたかなって」


 いつも通りの適当さで相槌を返していると、エドガーがスッと隣に身を寄せてきた。


「?」

「アンジェ」


 エドガーはいつになくしんみりと睫毛を伏せ、気持ち悪いぐらいの猫なで声を出してきた。――どうやら彼なりにわたしを気遣うつもりのようだ。


「レニエ嬢のこと、心中お察しします」

「ああ……えと、うん」


 いつになく気持ち悪いくらいに優しいのは、それでか。


「辛いときは、わたしでよければ相談に乗りますよ」

「アハハ……まぁ、ありがとうね」


 わたしへの心配で憂いに沈むエドガーの横顔は、あの乙女ゲームの中で言えばきっとスチルになっていただろう。それくらい、イヤミなくらいにエドガーはいい男だったけど、生憎と今のわたしにはそう茶化す余裕もなかった。


「アンジェ、それで」


 エドガーは言うべきかどうか迷っているような素振りを見せたが、とうとうわたしになにかを伝えることに決めたようで、口を開いた。


「今夜、よかったら景色が綺麗だと評判のレストランでお食事でもどうですか。そちらでゆっくりと話でも、と」


 夜景の綺麗なレストラン……夜景の綺麗なレストランねぇ。

 正直、今の精神状態でそんなところに連れていってもらっても、粗相をしでかす自信しかない。


「うーん……ごめん。今はちょっと一人でいたい、かな」

「そうですか……」


 ちょっと落ち込んでしまったエドガーに、慌ててフォローするように笑いかけてみせる。


「また今度頼むよ。一人で考え事をしたいだけだから」

「わかりました。ではまた気が向いたら」 


 彼は気弱に微笑んで見せると、すぐにレオナール殿下の元へと戻ろうとする。


「あっ! それと、」


 呼び止めると、いつもは冷静に細められているアイスブルーの瞳がきょとりと振り向いてきた。


「どうせ行くなら、焼き肉食べ放題とかご当地うまいもの屋台巡りとか、もっとがっつり遠慮なく食べられるところがいいな。ちなみに麺類も可」

「……そうですか」


 エドガーの瞳の温度が心配して損したとでも言いたげにスーッと下がっていく。それでも彼はどこかホッとしたように肩の力を抜いて、彼の(あるじ)の元へと戻っていった。

 エドガーの戻った先にはいつものように笑顔がキラリと眩しい殿下と、その殿下に見惚れているマルリーヌ様、そして二人の周りには相変わらずの取り巻きたちが予定調和に囲っていて、そこには仲良さそうなコゼットちゃんとジャクリーヌ様もいる。

 いつもと変わらない、アンジェとしての日常。もうすぐこの日常が終わると言われても、わたしにはここからどうすれば起死回生できるのか、ちょっとまだ考えられなかったし、なにも思いつけなかった。








 あれから幾日か、なんの進展もなく繰り返しの日常を過ごしていた。

 相変わらずシリルはコゼットちゃんには会いに来ない。そのコゼットちゃんはレオナール殿下の微妙なアプローチを上手くすり抜けながら、度々ディートフリート殿下に会いに行っているみたいだ。

 ただ一つ、ロクサーヌが帰院予定日になっても帰ってこなかったことが今は気がかりだった。そんなに婚約解消の話が難航しているのかと心配の手紙を送ってみても、返事も来ないまま。

 なんだか釈然としない、パッとしない毎日を過ごしていたそんなある日。


「ねぇ、ご存じ?」


 学院のカフェテリアで一人寂しくランチをとっているときのこと。ふと後ろのテーブルで話す女子生徒の声が耳に飛び込んできた。


「あのレニエ商会なんですけども、なんと人身売買を含む非合法の裏取り引きに関与していたとか。それも国内だけに留まらず、隣国のさる方々とも取り引きしていたんですってよ。どなたとは言えませんけれども」

「昨日の新聞ですわね。わたくしも読みましたわ」


 思わずガバリと後ろを振り向く。二人はそんなわたしの様子に気がつくこともなく、熱心に意見を交換しあっている。


「すでに会長ご夫妻は身柄を拘束されて、連行されたらしいですわね」

「ええ、お屋敷も差し押さえられて、これから詳細な調査が始まるそうですわ」

「まさかあのレニエ商会が、ですわね。……たしかこの学院に在籍していらっしゃらなかった?」

「ええ、いらしたわ。さすがに今は休学されているみたいですけれど」

「まぁ普通は登院などできないですわよね。どんな顔で居座ればいいのか、わたくしだったらわからないもの」

「あはっ、仰る通りですわね。彼女、このまま退学されるのかしら」

「お金にものを言わせて入学したのに、そのお金がなければ在籍などできません。そうに決まっていますとも」

「まぁ、そうですわね、……」


 それ以上は聞き耳を立てる意味も見出だせず、わたしはヘナヘナと椅子に座り込んだ。








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