第149話 勇敢なる勇者様の母親 前編
そのニュースはミラ・ステファーニアに衝撃を与えた。
「続いてのニュースです。錬金術研究機関、聖なる三角錐のメンバー、ルクシオン・イザベルがエフドラの獣人騎士団に逮捕されました」
夕刻、チェイニー・パルキルスの自宅の居間にある椅子に座り、テレビを観ていた三つ編みの少女が、目を見開き、勢いよく立ち上がる。
一方で、彼女の隣の席で錬金術書を読んでいたアビゲイル・パルキルスは、顔を上げ、驚愕を露わにするミラの顔を見た。
「ミラ。どうかしたの?」
「……ウソ……だよね? あのルクシオンが逮捕されるなんて……はっ」
動揺を隠せないミラは、隣の席で心配そうに見つめるアビゲイルの存在に気が付いた。
その間にも、ニュースは淡々と事実を伝える。
「聖なる三角錐は、錬金術研究のためなら、素材の略奪や殺人などの犯罪行為を躊躇うことなく行う危険な錬金術研究機関として知られており、エクトプラズムの洞窟内で、アイザック探検団のメンバーたちを殺害し、EMETHチップを奪った罪にも問われています。ルクシオン容疑者も多くの犯罪に関与しているものと思われることから……」
「ミラ?」
「あっ、アビゲイル。大変だよ。私の親友が、逮捕されちゃったの。私が知ってるルクシオンは、すごく優しい子だったのに……何かの間違いだよね?」
体が崩れ落ち、床の上で膝立ちになったミラが、大粒の涙を流す。そんな彼女に視線を合わせるように、アビゲイルが床に腰を落とした。涙を流す彼女と向かい合うように座ったアビゲイルが、優しく微笑む。
「ミラ、大丈夫よ。騙されて悪事に手を染めさせられたってことだってあり得る話だもの。だから、教えてよ。ルクシオンってどんな子なの?」
アビゲイルの言葉で落ち着きを取り戻したミラが深く息を吐き出す。
「ルクシオンは、私の大切な友達で、よく一緒に遊んでたの。村の中で追いかけっこもしたし、村祭りで一緒に花火も見た。一緒に学校の勉強だってした。それから……」
ミラの頭に、ルクシオンとの思い出の記憶が次々を浮かびあがる。その度に動揺が収まっていき、驚愕で固まったミラの表情が和らいでいった。
「とにかく、あの人に全てを奪われるまで一緒にいたルクシオンが、悪いことをしてたなんて、私は信じないから! ルクシオンは誰かに騙されてるんだ」
ミラが納得するように首を何度も縦に動かす。そんな彼女の隣で、アビゲイルは真剣な表情になった。
「じゃあ、早く会いに行った方がいいと思うよ。ルクシオンに」
「えっ」とミラは目を丸くした。
「それって、どういうこと?」
そうミラが尋ねると、アビゲイルが戸惑う少女と顔を合わせる。
「こういう話はあまりしたくないけど、ルクシオンの身柄は、エフドラの獣人騎士団が預かってるんだよ。だけど、最短で二日以内にあなたの友達の身柄は、アルケア政府が所有する監獄に移送される。そうなったら、二度と会えなくなるわ。誰かに騙されたことが悪事に手を染めた理由だとしても、その罪は簡単に消えない。無罪放免で即釈放ってわけにはいかないわ。手続きが面倒な面会は、家族か弁護人しか許されず、あなたは二度と友達と会えなくなる。ホントにそれでいいの?」
「あっ」とミラ・ステファーニアは目をパチクリと動かした。目の前で真剣に自分と向き合っている彼女は、あの少女と似ている。そのことに気が付いたミラは、思わずクスっと笑った。
「姉妹だから似てるのかもね」
「えっ?」
「アビゲイルが封印されてた森の中で、私はアソッドに救われたんだよ。ニセモノ扱いされるのが怖くて、私は友達や家族に遭いたいという想いを心の中に仕舞いこんでたの。だから、自分の命と引き換えにして、チェイニーさんを助けようと覚悟できた。でも、そんなとき、アソッドは私に手を差し伸べてくれたんだ。アソッドは私と同じだって気が付いて、私は自分の気持ちに正直になろうと決めたんだ」
「へぇ。私の妹がミラを助けたんだね。そんなことがあったんだ」
ミラの話にアビゲイルが興味を示す。その後で、ミラは体を小刻みに揺らした。
「だけど、居場所が分かっても、遭う勇気が出ないんだ。ここで動かなかったら、二度と遭えないって頭では分かってるのに、体が動かないんだ」
不安な表情を浮かべるミラの前で、アビゲイルが両手をポンと叩く。
「じゃあ、考え方を少し変えてみよう。ルクシオンは異能力が使える強力な仲間になると思わない? どうして悪いことをしたのかは分からないけど、ミラが事情を明かしたら、協力してくれると思う。錬金術を凌駕するようなことができる仲間がいたら、心強いよ」
助言したアビゲイルが優しく微笑む。彼女の妹と同じ笑顔に救われたミラの顔から不安が消える。
「分かったよ。こうなったら覚悟する。今から旅の支度をすれば、明日の朝には着けるんだよね?」
「夜行馬車に乗れたらね。急な話だからちゃんと乗れるか分からないし、まずはお母さんに相談しないと。そろそろ帰ってくるはずだから」
アビゲイルがチラリと壁時計を見る。それと同時に遠くから扉が開く音が響いた。すぐに足音が鳴り、恰幅の良い黒髪パーマの女が居間に顔を出す。
「ただいま。ミラ、アビゲイル」
黄色いTシャツの下に黒いスカートを履いた家主の女が、居間のソファーの近くにいるふたりに明るく声をかける。その女、チェイニー・パルキルスと顔を合わせたミラは真剣な表情で床から立ち上がる。
「チェイニーさん。大切な話があります」
いつもと違うマジメな同居人の表情にチェイニー目をパチクリと動かす。
「ミラ、急に改まって、何かしら?」
「はい。今から友達に遭いに行ってきます」
「今からって……急な話ね」
何かを察したチェイニーが優しい眼差しをミラに向ける。
「また連絡しますが、もしかしたら、そのまま友達と旅を始めることになるかもしれません。だから、言わせてください。今までありがとうございました!」
ミラがチェイニーに向けて頭を下げる。その姿を見たチェイニーは深く息を吐き出した。
「はぁ。いつかこんな日が来ると思ってた。別れは何度経験しても、慣れないものよ。ミラと離れて暮らすなんて、寂しいわ」
うっすらと涙を浮かべる母親の姿を、娘のアビゲイルはジッと見つめていた。
彼女が知っている母親も、名前や居場所を与えた人たちとの別れを悲しんでいた。
今のチェイニーと同じ泣き顔を、アビゲイルは忘れない。
それからチェイニーは、明るく両手を一回叩き、言葉を続けた。
「これはいいことなんだよ。ミラは新しい道へ一歩を踏み出すことができた。それはとても素晴らしいことなの。今のミラを私は誇らしく思うわ。だから、私は反対しない。友達と一緒に冒険したかったら、すればいいと思う。私はこの街で応援してるから!」
チェイニーの優しい言葉を耳にしたミラが首を縦に動かす。
名前や居場所を与えた人々と真剣に向き合う姿も、アビゲイルの記憶の中にある母親の姿と同じ。娘に関する記憶が消されているだけで、チェイニー・パルキルスという女の本質は何一つ変わっていない。
そう考えたアビゲイルにチェイニーが視線を向ける。
「ところで、アビゲイルはどうするの? ミラと一緒に行く?」
問いかけられたアビゲイルは「えっ」と声を漏らした。
「ミラの顔見てたら、分かったの。友達に遭いに行くことは、夢への一歩なんだろうなって。アビゲイルもミラと同じ方向を向いてそうだったから、一緒に旅に出るのかと思ったわ」
「それは……」とアビゲイルは答えを躊躇った。
どうすればいいのだろうか?
強力な仲間と共に、あの女から全てを取り戻す戦いに挑むのか?
それとも、ここに残り、回復術式の勉強を進めた後、ミラたちと合流するのか?
ふたつの選択肢がアビゲイルの脳裏に浮かぶと、ミラがアビゲイルの前に立ち、右手を優しく差し出す。
「アビゲイルも一緒に行こう。正直言うと、まだ少しだけ不安が残ってるんだよ。だから、近くで支えてほしい」
「そうそう。迷わなくてもいいんだよ。ふたりはお互いに支え合えるんだから!」
ミラの隣に並んだチェイニーが頷く。一瞬で彼女の中から迷いが消え、アビゲイル・パルキルスはミラの手を取った。
「分かった。一緒に行くわ!」
その仲間の言葉に、ミラが微笑むと、チェイニーが首を傾げる。
「ところで、ふたりはどこに行くのかな?」
「エフドラです」とミラが明るく答える。
「そうなんだ。馬車の乗車券買った?」
「それは今からふたり分を準備する予定です」
母親らしく心配する声を近くで聴いたアビゲイルの頬が緩む。
その直後、チェイニーがアビゲイルの右肩を優しく叩いた。
「アビゲイル、ふたりだけで話しましょう。旅の準備はミラに任せればいいから!」
「えっ」と実の母親の思いがけない一言に、アビゲイルは目を丸くした。




