008
「――はい。そういうことですので……はい。私共にお手伝いできることがあれば……はい。息子さんは責任をもってお預かりいたします」
橘にとって想定外だったのは、桐葉の両親がすぐに引き下がったことだった。
今まさに隣家の一人娘が失踪している。
だというのに、桐葉が組織の拠点――天条夫妻は知人の家と思い込んでいる――泊まることを止めなかった。
しかし橘には、考えなしに息子を任せたようには思えなかった。
母親が橘と話をしている間に、桐葉の元へ電話がかかってきたのである。
電話をかけてきたのは、他でもない桐葉の父親だった。
息子の無事と、橘の反応を確かめる以外にそのような回りくどい手順を踏む必然性はない。
自分達へ向けられた疑いの目を橘は当然のものとして受け止めていた。
(……藁にも縋る思いで我々も頼ったか)
これまでの経験上、橘は警察が動き出すのも時間の問題だと考えていた。
しかし発見は不可能に等しい。
万一に見つける事ができたとしても、桐葉に声をかけた男性の二の舞。
組織の側でしかるべき処置を施さなければならない。
その上、今回の様に軽症で済む保証などないのである。
警察官として活動している[アライアンス]の構成員も少なからず存在する。
とはいえ、教団の関与が疑われる場合には一警察官としての活動だけでは足りない。
発見した際には組織の側にも情報が届くよう準備を整えてあった。
「っ……」
(……あとはこいつか)
臨時に用紙板、八畳分ほどの作業用スペース。
最低限の資料とテーブル。
そこへ更に追加された、ベッドとしても機能するソファの上で桐葉はしきりに貧乏ゆすりをしていた。
焦燥し切った桐葉を、橘は初めて見た。
桐葉が今置かれている状況を思えば、仕方のない反応。
それでも、橘が抱いた違和感はとても小さいと評せるものではなかった。
「……橘さん、あんなヘコヘコできたんですね」
「誰彼構わずあんな態度だとでも思ったか、たわけめ。生意気を言う暇があるなら少しでも休んでおくんだな」
「でも!」
「言い訳は聞かん。これは命令だ。探し始めてから倒れられては敵わんからな」
「ッ……分かりました」
拠点まで連れて行く間も、桐葉は一瞬たりとも落ち着きを見せなかった。
数分おきに美咲のことを訪ね、少しでも怪しげな場所があれば調べさせろと何度も訴えた。
暴れ出さなかったのが最早不思議に思えるほどに桐葉は焦燥感に駆られていた。
「ところで、その……手掛かりだけでも、何か見つかったりしてないんですか?」
「あれば貴様に伝えている。それ以上は言わなくても分かる筈だ」
「ケータイにこっそり細工されてたって聞いた後で言われても説得力無いですよ」
返す桐葉の声も、普段橘に接する時とは比べ物にならないほど弱々しいものだった。
それでいて、握られた拳は未だかつてないほどに固かった。
血が滲み出すほどに固く握られていた。
その姿を橘はよく知っていた。
これまでに何度も目にしてきたものだった。
何より、橘自身過去に近い立場に置かれた事もあった。
だからこそ桐葉が抱いている思いもよく知っていた。
「四人」
それを解決する手立てが、たった一つしかないことも。
「……は?」
「貴様の幼馴染――綾河美咲を含め、現在判明している失踪者の数だ。場合によってはもっと増えるかもしれん」
確実に増える。橘にはその確信があった。
これまで、ほとんどの場合においてそうなった。今回そうならない理由がなかった。
ごくごく稀に教団の関与がなかったと判明する場合もある。
しかしその時には他の行方不明者の存在が確認されることがほとんどで、数だけ見れば増えるということがほとんどだった。
「その四人には今分かっているだけでも一つ、確かな共通点がある。分かるか、天条」
「……全員中学生、とか?」
「違う。パートの主婦に、某企業に勤める中年男性。それに部活帰りだった男子高校生だ。年齢も性別も関係ない」
その上、居住地にも一切統一性はない。
それもまたこれまでの事例と同様。各人の間に繋がりがある可能性も極めて低いと橘は考えていた。
(年齢も性別も関係ない、なんて言われたって……顔も全然見覚えないし)
失踪者の写真を見せても、桐葉は首を傾げるばかり。
面識がないのは明らかだった。
「じゃあなんなんですか。同じ場所で消えたとか?」
「それも違う。たとえばこの男子高校生。最後に目撃されたのはこのガソリンスタンドだが……貴様がいたあの駅までは、自転車でも二〇分以上かかる」
主婦も、サラリーマンの男性も同様。
片や、問題のガソリンスタンドから大きく離れたスーパーの隣にある公園。
中年男性はコンビニで車に乗る姿が確認されていた。桐葉がいた駅からは、当然遠い。
考え込む桐葉だったが、答えに辿り着く様子はない。
そう判断した橘によって答えがもたらされた。
「夕方までに、間違いなく自宅方面へ向かっている姿を目撃されていることだ」
しかし、それを聞かされた桐葉は怪訝そうな表情を浮かべるのみ。
「……それって言うほどの共通点ですか? そりゃまあ、攫われたって断言できなくもないでしょうけど……」
「少なくとも、綾河美咲本人の意思ではない。それは確かだ」
「……美咲があんなやつらと関係してると思ったんですか」
無論、橘も綾河美咲が魔力を宿していないことは確認していた。
しかしこれまで、さも別の団体を装って接触した事例は少なくなかった。
経過観察を行うため、しばらくの間は本性を隠すことも珍しくなかった。
一定の期間を設け、魔力を発現させられるかどうかを確かめるのである。
適性を持ちながら、きっかけがなく魔力を手にしなかったという事例は過去に存在した。
そうした人物を探しているのである。
更に、教団はそれを利用し、人工的に魔力を植え付ける実験を行っているのではないかと噂されたこともあった。
そちらは結局、確たる証拠も見つかっていない。
しかしながら、知らずの内に教団と関わっていた恐れは十分にあったのである。
仮に魔力を発現させることができたところで、よくて教団の仲間入り。
それ以外は全て、[アライアンス]が間に合うかにかかっている。
警護も決して完璧ではない。
関係する人物全員の周辺を警戒するにはあまりに人手が足りなかった。
「それと、このことからある推測も立てられる。さっき『まだ増える』と言ったのを覚えているか?」
「まさか他にもいる、とか言いませんよね? ……勘弁してくださいよ」
まさかと言いながらも、橘には桐葉がそれを現実のものとして捉えているように思えた。
そして実際、その認識は正しい。
「一人暮らしの連中などやつらにしてみれば格好の的だ。今分かっているのはあくまで、同居している家族がいる者だけだ」
「……だったら二つじゃないですか」
そう言ったきり、視線を逸らす。
どうでもいい指摘だということを、他でもない桐葉が一番よく理解している証拠だった。
「とにかく、この件はこの拠点の総力を挙げて対処に当たる。当然、貴様もだ。いいな」
「…………置いて行かれたって勝手について行きますよ」
「それでいい。……分かったのなら今は休め。明日は忙しくなる」
あえて返事は聞かず、橘は部屋を後にした。
他にやるべきことがあるのは勿論、今は桐葉へ過干渉するべきではないと考えたからこそだった。
「――それから、今会うのは止めておけ。あいつに必要なのは考える時間だ」
故に、物陰に隠れた篝にも釘をさす。
遠慮がちに現れた篝は、どこかきまり悪そうに視線を逸らした。
「ま、まだ何もしてないですよぉ?」
「菓子まで持ち歩いて誤魔化せると思ったか。……天条を案じるなら、捜索に全力を尽くせ。今はそれが一番だ」
こればかりは他にどうしようもないものだった。
美咲を無事に保護しないことには、この問題は決して解決しないのだから。




