006
(クソッ……!)
それを認識してからというもの、桐葉の対応は早かった。
「――飛ばせ、《旋風》!」
警官を襲った四つ足の怪物目掛け、かざした左手から即座に風の魔法を放ったのだ。
襲い掛かった警官から一歩引いた位置に降り立ったばかりの怪物を襲う突風。
躱す猶予も、耐える余地も残す事無く駅前からたちまち遠ざかる。
「壊せ、《火炎》!」
一瞬のうちに一〇メートル。
腹部に直撃した怪物は起き上がる間もなく炎に包まれた。
桐葉の放った炎弾に、たちまち焼かれた。
桐葉の右手を離れてから着弾まで、ほんの一瞬。
融合した怪物との戦いを乗り越えて以降の鍛錬が桐葉にもたらした成果の一つだった。
(まず一匹……! 他は!? どうせどこかに――って!?)
怪物の消滅を確かめながら、桐葉は素早く周囲に視線を向けた。
だからこそ、木の上で息を潜めていた怪物にいち早く気付く事ができた。
警官を庇うように屈み、怪物の一撃を完全に躱す事ができたのだった。
(危なっ……!? あいつ、いつの間に登ってたんだよ……!)
驚愕と困惑が桐葉を同時に襲った。
しかし脳の回転は、身体の動きは止まらない。
桐葉は再びその手に炎を宿し、駅舎の中を目指して走る怪物目掛けてすぐさま放った。
怪物も決して遅くはなかった。
「っしゃ……!」
しかし、桐葉の《火炎》は怪物の速度を上回った。
振り向くことなく一直線に走る怪物へ瞬く間に追いつき、破壊した。
(けど、これって……)
消滅を確かめた桐葉の関心は既に四つ足の怪物そのものにはない。
最終便が発った後とはいえ、住宅地に近い場所に怪物が二匹も現れた事への違和感を覚えていた。
(しかも二匹って。立て続けに二匹って! もしかして、この辺りに本当に何か……?)
しかし浮かんだ可能性を桐葉はすぐに否定した。
もし何か疑わしいものがあれば橘達が真っ先に教えてくれる筈だと考えたのだ。
特に、この駅は天条家からもそう遠くはない。
だからこそ桐葉はその可能性を否定した。
少なくとも何か一言は伝えてくれる筈だ、と。これまでがそうだったように。
『――条!? ちょっと、天条!? どうかしたわけ!? いいから返事くらいしなさいよ!』
その時、まだ通話の途中だったことを桐葉に思い出させたのは彼を呼ぶ深山の声だった。
今まで聞いたこともないような声で桐葉を呼ぶ深山の声だった。
「悪い、ちょっと警察の人に声かけられて慌てちゃって。別のトラブルがあったとかじゃないから」
『だったら美咲は? 美咲は見つかったの?』
「まだ。これから詳しく話を聞いてもらうとこ。何かあったら連絡する。あと、戸締りには気を付けて。絶対出るなよ」
怪物の出現が、かえって桐葉を冷静にさせた。
それでも深山に警戒を促そうとすると、勝手に心臓の鼓動は加速していった。
もしかしたら何か。そんな可能性を桐葉は否定する事ができなかった。
話している間にも、周囲への警戒を止めることなく続けていた。
『そういうあんたはどこにいるのよ。警察に声かけられたって、それ外よね? 場所言って。私も行くから』
「俺はいいんだよ。とにかくそういうことだから! それじゃ!」
『ちょっと!? 天j
深山の声を最後まで聞く事はなかった。
折り返しにかかる電話に応じることなく桐葉は改めて周囲を見回す。
「う、ぁ……」
「………何が『話を聞いてもらうとこ』だよ」
敵の姿がない事を確かめ、改めてうずくまる警官の隣にしゃがみこんだ。
「すみません、ちょっと失礼します、よ……っ!」
最低限、応急処置については篝から教わっていた。
とはいえ、背中に爪で強烈な一撃を食らった相手に関して具体的な話を聞かされてはいなかった。
(一応、魔法で水を作って、それで流して、っと……!)
両掌に収まる程度の量の水。
生成量の加減も、応急処置について教わる中で身に着けた。
近くの蛇口まで水を取りに行く時間が惜しかった。
急ぐ必要があるのならやむを得ない、と橘からも聞かされていた。
(……よかった、思ったより浅そう。ショックで気を失うとかなんとか言ってたからそのせいか……)
その事実を知れただけでも桐葉にとっては救いだった。
安心するにはまだ早いが、最悪の状況は遠い。それだけでも桐葉にとっては十分だった。
正確には、『魔力を纏った一撃を耐性のない者が受けた場合には』という条件の上で成り立つもの。
そして、目が覚めるまでには時間を要する。
全く同じことが桐葉が橘の拳によって意識を奪われたあの夜にも起きていた。
実際にはそれを利用して気絶させられたに過ぎない。
ただの腕力によるものではなかったのである。
(怪我してることに変わりはないし、早くなんとかしないと……そもそも美咲がどこにいるか分からないし……)
手当てこそ終えたものの、安易に動かす事などできる筈がない。
しかしいつまでもこの場に放置しておくこともできなかった。
(とりあえず救急車? でも、どうやって説明したらいいんだ、これ?)
怪物のことなど説明できる筈がない。
しかし、喧嘩の仲裁に入ったとは思えない負傷をしていた。
その上、通報すれば事情を聞かれる事になる。
どのくらい時間がかかるか分からないのだ。
それは今の桐葉にとって一番避けたい事だった。
悩んだ末に浮かんだのは、事情に詳しく、ほぼ間違いなく連絡の取れる二人。
(とりあえず橘さんか篝さんに――……って、最初からそうしてりゃよかった……)
組織であれば何かしらの情報を持っている筈。持っていない筈がない。
組織のメンバーに渡される携帯電話も当然、桐葉は持ち歩いていた。
「ん……?」
しかしその時、音を聞いた。
橘に連絡をしようとしたまさにその時、どこからともなく響いてくる音を桐葉の耳は捉えた。
(今のって一体……割と近くから聞こえた、ような……)
ほんの僅かな間の出来事。
音が聞こえなくなっても、桐葉は近付く何者かの気配を感じていた。
「…………はぁ!?」
迫りつつあった脅威を、存在を確かに感じていた。
(ゴリラ!? どこから逃げた……わけないよな。どう見ても)
桐葉の前に現れたそれはやはり、犬の怪物と同じ色をしていた。
紅く爛々と光る眼が、その正体を桐葉に悟らせた。
(仲間がやられたから出てきた? でも、こんなやつ今まで一度も――)
突如、怪物が地面を殴った。
「いッ…………!?」
何故。何のために――そんな考察をするだけの余裕は、桐葉になかった。
「おいおい、おいおいおい……!?」
怪物の一撃は舗装された地面をいともたやすく砕いてみせた。完膚なきまでに砕いてみせたのだ。
(こいつやばい、絶対ヤバい……! 素手で地面砕くとかどんだけ力あるんだよ! こんなところばっかり本物の再現なんてしなくていいのに!)
直撃を受ければひとたまりもない。
桐葉はすぐに理解した。理解したからこそ、身の毛がよだつ恐怖を覚えた。
(先手必勝っ!)
思い浮かべるのは、激しく燃え盛る炎。
「――燃やし尽くせ、《火炎》!!」
放ったのは、先程の倍ほどもある大きな炎。
両手を重ね生み出した巨大な火の玉を、桐葉は怪物目掛けたたきつける。
「げっ……!?」
しかしながら、倒すには至らない。
(これヤバ……っ)
怪物は受け止め、一気に迫る。
軽やかに、あっという間に桐葉がいる方へと近付く。
(って――!)
その時、桐葉は気付いた。
怪物が自身を標的にしていないことに。
倒れて動かない警官を標的としていることに、そこで気付いた。
「――どこ狙ってるんだよ卑怯者!」
気付いた桐葉は踏み込み、右拳をありったけの力と共に叩きつけた。
無防備な怪物の腹部へと叩きつけた。
それは神堂が『少しはマシになった』と評した時となんら遜色のない一撃。
(固った……!?)
しかし驚くべきことに、その一撃でさえ怪物に確かなダメージを与えることは敵わなかったのだ。




