004
「――ふっ! はっ! ……せいっ!」
桐葉の右ストレートを、左膝を、右足の回し蹴りを、神堂は左手のみで受け止める。
開始の合図から既に一〇分。
どれだけ攻撃を受けようと、神堂の足が最初の地点から離れることはなかった。
それでも桐葉が攻撃の手を休めることはない。
受け止められ、はたき返すように返され、何度バランスを崩されても桐葉は果敢に攻め続ける。
「おー、おー、ちっとはマシになってんじゃねぇか。怠けてたらその分シゴいてやろうと思ってたのに」
「んな、わけ……あるかっ!」
山林を使ったトレーニングこそ続けていたものの、直接向かい合う訓練はお互いにとって久し振りだった。
出張で出向いただけの神堂にはそんな時間的な余裕はなく、そもそも今では稽古をつけること自体が珍しい。
桐葉は、怪物に襲われる事件には見舞われはしたが、個人で可能な範囲のトレーニングを続けていた。
だから猶更、神堂は桐葉の一撃の重さに感心していた。
言葉にした以上に、桐葉のレベルアップを実感していた。
「ただでさえっ、訳の分かんないことになってるのに……っ! サボれるかっ!」
しかし、攻め続ける桐葉はその事実に気付かない。
否、考えようともしなかった。桐葉が注視していたのは神堂の手と足の動きと、視線のみ。
余計な思考に労力を費やそうともせず、ひたすらに攻めて、攻めて、攻めまくる。
決して訪れることはないと知りながらも、神堂の隙を伺っていた。
そして同時に、自らの手でそれを強引に作り出そうとしていた。
(……ま、あんな目に遭えばそりゃ目つきも変わるか)
桐葉の狙いは神堂も察していた。
そのきっかけとなった出来事についても、一通り橘から知らされていた。
一連の事件の中で確認された奇妙な出来事についても、橘を通じて把握していた。
「けど、やる気に身体がついて来てねぇようじゃ話になんねぇな」
だからこそ、一層桐葉の変化には細心の注意を払っていた。
一撃の威力が増したとはいえ、まだ神堂が本当の本気を出さなければならない程ではなかった。
「…………へっ?」
故に、桐葉の足を引っかけるなど神堂にとっては容易いことだった。
「――あがっ!?」
対して、攻め続けていた切り刃にはそれを防ぐ手段などありはしなかった。
「ったく、偉そうな口きく前にもうちょっと動けるようにしとけっつの。このすっとこどっこい。そんなんじゃもたねぇぞ」
「今まさに転ばされたんですけどね? 痛ぇ……」
うつ伏せに転がったまま、桐葉は起き上がろうとしない。それだけの体力が残されていなかった。
今日だけに絞っても、神堂によるトレーニングは複数行われていた。
山林を使ったトレーニングに、思わず桐葉の意識が飛びそうなほどの勢いの急上昇。
更には強制的に高速飛行させられる中でブレーキをかけるよう命じられ、止まったところへ無数の火球が撃ち込まれたのだ。
大きな怪我に発展する事のないよう配慮されていたと桐葉も分かっていたが、その疲労度は並のものではない。
神堂に呆れられると分かっていても、動くだけの体力はもう残っていなかったのである。
「威力だけならなんとか使い物になるレベルに届いてんだ。後は速度上げろ、速度。当たんなきゃ意味ねぇだろうが」
「………………」
そんな桐葉だからこそ、神堂の言葉にはただただ驚愕していた。
顔だけをゆっくり神堂へ向けるが、言葉は出ない。
大袈裟だという自覚を持ちながら、しかし驚愕を抑える事ができなかった。
「なに黙ってんだ。こっち見るなら何か言え、三秒以内に」
「そりゃ開いた口も塞がらなくなりますよ。師匠がほんの少しでも誰かを認めるなんてとんでもない異じょぉお゛ぉおっ!?」
突然の脅迫。
懲りもせず勢いに任せて答えた桐葉を襲ったのは押さえつけるような鈍い痛みだった。
狙われたのは足でも、腕でも、まして頭でもない。
それらに比べればまだダメージの軽い――それが神堂によるものという事実に目を瞑れば――ものだった。
「テメェが原因だろうがこのスカポンタン。お前がやることやってりゃこんなことにゃなんねぇんだよ、あぁ?」
「だからって踏みますか普通!? 踏みませんよ!? 尻だからセーフとかそういう話じゃないと思うんですけど!」
同じ内容であっても衣璃亜の前では口が裂けても言えない。
そう感じる一方、桐葉は抗議を止めようとしなかった。
まさに今、この瞬間にも神堂の右足は桐葉を踏み続けている。
神堂が使うから、という理由だけで橘を除けば誰一人としてトレーニングルームへ近付こうとしない。
この瞬間だけは、桐葉にとっても神堂の扱いにある意味で感謝していた。
無論、神堂のことを思いっきり睨みつけながら。
「靴脱いでやっただけありがたく思え。うつ伏せに倒れる方が悪い」
「うわ、出たよいつもの。っていうか、靴で踏んだら出るとこ出ますよ? マジで。さすがにやらないでしょうけど」
最低限、というにはあまりにあんまりな信頼があるからこそのやり取りでもあった。
神堂のトレーニングにも耐えている少年がいる、という事実のみを知る者達はこの実態を知らない。
篝や橘くらいのものだった。
「当然だろ。俺は優しいからな」
「あちゃあ……とんだ不良品の辞書を掴まされたんですね。気の毒に。調べ直した方がいいですよ?」
「だったら替えねぇとな。ついでにもっとかわいげが会って聞き分けのいい弟子候補も探してくるわ」
「師匠の言うことを全部真に受けてたら、未来のサイボーグだって秒でスクラックプになるでしょうよ」
むしろ精密な機械ほどすぐ故障するかも。とは、桐葉も言わなかった。
何のためらいもなく攻撃する神堂の姿が容易に想像できてしまったのだ。
「それに、それにですよ? これだけ真面目で器用な弟子を捕まえて贅沢言うなんてどうかしてるんじゃないですか。罰当たりますよ」
「全部『不』が抜けてるじゃねぇか」
「ふ抜けだけに? って、ケンカ売ってるんですか」
「知るかよ。勝手にキレてんじゃねぇ」
その時ばかりは神堂も疑問符を浮かべていた。
神堂が桐葉の言葉の意味を知るのは先の事。
橘が深いため息と共に答えるまで気付くことはなかった。
意味を知った後、その話をネタに桐葉のことをイジるのはまた別の話。
「ったく、ストレッチの間だけでも閉じらんねぇのか、その口」
「じゃあまず師匠がそのやんちゃな両手両足どうにかしてくださいよ」
「今のテメェが相手なら両手両足縛っても余裕だろうけどな」
「その前に拘束具引きちぎるくせに」
「当たり前だろうがよ」
恐ろしいほどの頼もしさに、桐葉が救われているのも事実だった。
「ただい――……ま?」
美咲の靴がなかった。最初はその程度に思ってた。
今日は来るかもって言ってなかったから、違和感があったのは覚えてる。
メールもなかったから、余計に。いつもだったら絶対に一言送ってくれてた。
もっと驚いたのは、玄関で他の靴を見つけた瞬間。
母さんの靴に、父さんの靴に……おばさんのサンダルまで。
リビングの方に目を向ければ怪しげな雰囲気は漂ってた。
こっちが近付くより前に、大人達が一斉に部屋から飛び出してきた。
何かあったって分かるには、十分過ぎた。
「桐葉……! やっと帰って来たわね。あんた美咲ちゃんは? 一緒じゃないの?」
「は? いや……今日は友達と出掛けるって言ってたけど?」
「お前じゃないんだな? どこかで見たりもしてないんだな?」
「朝会ったきり。その後は全然」
「桐葉君、カギは? うちのカギはちゃんと閉めてくれた? 今も持ってる?」
「えっと……ここに。ちゃんと閉めたはずですけど」
……その時点で、薄々だけど、予感はあった。
これまでに色々あったせいなのか、いらない時ばっかり働く直感がその日もその力を存分に振るってくれたのか。
現実になってほしくないのに、それを裏付けるような話ばかり次々出てくる。
「……一応、聞いておくけど。家のどこにも?」
「さっき探してきたところ。旦那さんが今残って探してくれてるけど……」
いたずらで隠れるような性質じゃない。
そもそも、靴も荷物も見当たらない。ケータイを何度鳴らしても繋がらない。
美咲が、あの美咲が、突然姿を消してしまったんだ。




