014
「ここはお前達のような存在が近付いていい場所ではない。分かったか? 分かったら退け。さもなくば……」
住宅の陰から現れ、桐葉と篝を睨む男。
しばらくは五メートルの距離を保っていたが、ふと、男は足を止める。
「――そこに二つの首が転がることになる」
その顔に、獰猛な笑みを浮かべながら。
「うわー野蛮。どう思う? 姉さん」
「そうだねぇ。そういうことならさすがに予定を変えないと駄目かなぁ?」
一方、冗談めいた態度で言葉を交わす桐葉と篝。
その瞳は信徒に向けられたまま、空き家の怪物の様子を交互に伺う時以外、一瞬たりとも逸らされることはなかった。
信徒が現れたことも、空き家に怪物が侵入したことも既に組織には知らされている。
直接連絡があったわけではなかったものの、耳から入って来る音声によって篝達は他の部隊の出動を知っていた。
「フン、今更どうなるわけでもない。お前達のこの後の予定は決まったも同然だ」
そんな桐葉と篝の喉元に爪を突き立てたのは、犬を模した小さな怪物だった。
突如、音もなく桐葉と篝の背後に現れ、流れるようにその身体を登って行ったのである。
その姿はまるでおんぶをされた子供のよう。
しかしそんな和やかさとはかけ離れた光景だった。
「……なんのつもりですか? これ」
喉に生温い感触を浴びながらも、桐葉は取り乱すことはなかった。
既に何度も怪物の脅威を目の当たりにした彼はもう、怪物を目にした程度で叫ぶことはほとんどなくなっていた。
「動くなよ。叫べばどうなるか……分かっているな?」
「そんなに目立つのが嫌ならそのクソダサ白ローブどうにかしたらいいんじゃないですかね?」
悪態をつきながらほんの少し、桐葉は左手を小さな怪物に向け伸ばそうとした。
(……ちっ)
しかしほんの少し持ち上げただけで、怪物の足に込められる力が強まる。
無理に引き剥がそうとすればどうなるかは明白だった。
(ちょっとは話通じるかも、なんて思ったのに。結局これかよこの野郎)
桐葉も決してそこまで期待していたわけではなかった。
もしかしたら追い返そうとするだけで終わるかも、程度のものだった。
決して見逃そうなどと考えていたわけではない。
かつての教団の行いを断片的ながらも学んだ桐葉にとって、それはあり得ない選択肢だった。
「お子様には分かるまい。この外套がいかに高貴で尊いものなのか」
「その布切れを褒められないのがお子様なら一生お子様のままで結構ですよ、俺」
それは他でもないキリハの率直な感想でもあった。
桐葉にとっては忘れがたい記憶であると同時に、危険の象徴でもあったのだ。
「というかですよ? 退けとか言ってすぐこれってどうなんですかね。大人しく帰ろうと思っても帰れないじゃないですか。離してくれません?」
「断る。恨むなら自身の判断の甘さを恨め。この場所へ足を踏み入れたお前達が悪いのだ」
「そういう横暴はもう身内だけでお腹いっぱいなんですけど」
桐葉達はあくまで調査のために赴いたに過ぎない。
市街地で怪物が目撃されたという異常事態への対処のために向かったという認識しかなかった。
だからこそ信徒の言葉に、深いため息をつく外なかったのだ。
「(……桐葉くん、準備はいぃ?)」
「(いつでもいけます)」
頷き、桐葉は浮かべたイメージを一層強める。
自身にまとわりつく怪物を凍らせるその瞬間を。
「「《凍結》」」
爪先だけを、的確に。
「何――をぉっ!?」
怪物達が行動を起こすより早く、二匹の小型犬は呼び出した男へと投げつけられた。
喉元に突きつけられた爪のみを凍らせた桐葉と篝は、怪物が足を引いたその瞬間に男へ投げつけたのだ。
全身を凍らせる必要などないのである。
「「《火炎》」」
男の足元に落下した瞬間に、別の攻撃魔法で止めを刺せばよいのだから。
(まさか……!)
その時ようやく、男も桐葉と篝の正体を悟った。
本来魔力の持ち主であることを知らせる怪物に無力化を求めたため、今に至るまでそれを知る事ができなかったのだ。
「お前達、[アライアンス]の……! だったら遠慮はいらないな!」
最初から遠慮なんてなかったくせに。
桐葉の文句が口から飛び出すより早く、右手を空に掲げた男の足元に魔法陣が浮かぶ。
「――おい出ませ!」
そして、海面から浮かび上がるように現れたのは。
(三本尻尾……!)
先日、初めて目にしたばかりの新たな怪物だった。
以前桐葉たちが見つけたそれと、姿形は全く同一のものだ。
「その反応、見るのは初めてではないな? まさかお前達ごときが知っていたとは。さすが我らが盟主」
「そりゃまあ、ついこの間ぶちのめしたばっかりですし」
「……ほう? 倒したというのか。大したものだ」
言い返した桐葉を見やる男は笑っていた。
愉快でたまらないと言わんばかりに笑っていた。
それを見た桐葉は思わず数歩後ずさってしまう。
あまりに不自然で、不気味な反応だったのだ。
(こいつ、やっぱり何か企んで――)
桐葉の直感は正しかった。
「お願いします」
怪物の口から火球が放たれたのは、まさにキリハが口を開こうとしていた時の事だった。
「………………ぃっ!?」
桐葉が交わす事ができたのは全くの偶然だった。
(ほ、炎!? なんであいつが……!)
左耳を掠める高熱の正体が、一瞬桐葉には分からなかった。
「桐葉くん止まっちゃ駄目ッ!」
「ぅえっ!?」
戸惑う桐葉を、突き刺すような篝の声が現実に引き戻す。
(バカスカ撃ちすぎだろあの野郎!?)
怪物の口から放たれた炎は一つではなかった。
篝も桐葉も、自身を狙って次々放たれる火球をひたすら避けるしかなかったのだ。
「っと、わっ、このっ……!」
飛び跳ねながらも桐葉はひたすらに攻撃を躱す。
しかし決してそれだけではない。
彼の頭の中には既に、明るい炎が灯りつつあった。
「さっきから熱いんだよこの丸焦げ野郎……! 《火炎》!!」
桐葉は《火炎》の魔法を怪物へ投げつけるように放つ。
「…………は?」
「…………あれぇ?」
しかしそれも、三本の尻尾に瞬く間に打ち落とされた。
怪物によって、迎撃された。
(なにアレ。あんなのアリ? どうなってんの? は??)
これまで一度もなかった自体。
予想だにしない事態に、一瞬桐葉の思考は停止する。
しかしそこで完全に足を止めることはなかった。
「どうした、ひどく間抜けな表情ではないか。そんなに意外だったか?」
「今まで見たのは当たれば一発で吹っ飛ぶようなのばっかりだった、ん……でっ!!」
男の言葉に刃向かい、駆け出し拳を叩きつける。
その一撃を、三本尻尾の怪物は飛び跳ね躱す。口先で炎を燃え盛らせながら。
「学習能力のないやつめ」
「んなわけあるか!」
叫び、飛び退く。
その場所を炎が襲った。
(師匠に比べれば遅い、師匠に比べれば遅い、師匠に比べれば遅い……!)
必死に言い聞かせ、攻撃の直後の隙をやり過ごす。
(おいおいおい……!)
しかし攻撃の雨は止まない。
(やばっ――!?)
故に一瞬、反応が遅れた。
「――邪悪を阻みし凍てつく盾、《氷壁》!」
「うぉあっ!?」
それを防いだのは篝の氷の魔法だった。
「な、なんとか間に合ったぁ……怪我はなぁい?」
「おかげさまで……た、助かりました。ありがとうございます……ひぃ」
今すぐその場で尻餅をついてしまいたい気持ちを抑えながら、桐葉は拳を硬く握る。
戦いはまだ、始まったばかりなのだから。




