011
(でも、師匠がいてくれてよかったかも。……おかげでなんとか落ち着けるし)
しかし、信徒の声に桐葉の鼓動は早まる一方だった。
教団そのものへの恐怖心。
そして何より、声の主は桐葉にとって忘れたくても忘れられない相手だった。
先日自身とイリアを襲い、挙句空へ連れ去ろうとした人物。
かつて魔法に触れた人は違い、抵抗できたからこそはっきり記憶に残っていた。
討伐の手立てもない怪鳥の存在を警戒せずにはいられない。
隠れ場所がわからない現状も、一層彼の不安を煽った。
(大丈夫。今はまだ何もされてない。化け犬くらいだし……あの化け猫も多分同じくらい。だと思う。きっと)
外見に囚われることなく、桐葉は警戒を続ける。
彼にとって幸運だったのは、後方に怪物の姿がなかったこと。
神堂がそう仕向けるまでもなく、一方向のみに目を向けるだけでよかった。
神堂は今も後方を警戒し続けているが、まだ桐葉にはそこまで気を回す余裕もなかった。
(あとはスピーカーの場所と白ローブ本人、なんだけど……)
軽く見回すも、当然見つけることはできない。
音を辿ろうと目論んでも、桐葉の正面を陣取った怪物の存在が阻む。
固く握られた桐葉の拳を緩めたのはやはやり、神堂だった。
「いるわけねぇだろこんなとこに。そこにカメラがあるだろうが」
「カメラって、あそこに転がってる鉄くずのことじゃないですよね?」
「他に何があんだよ。いいからマイク探せ。マイク」
桐葉は知らなかった。
信徒が桐葉の存在をすぐに察知することができなかった本当の理由を。
桐葉が着地するより僅かに早く、神堂によって監視用のカメラはことごとく破壊されていた。
もっとも、集音器は破壊できなかったため、神堂の行動は信徒にもはっきり伝わっていたのだが。
信徒も自らその情報を明かすことはない。
予備のカメラすら破壊された信徒にとってはあまりに不利な状況だった。
神堂零次がその場に現れるか、それ大きな自体が賭けだった。
しかし、信徒の備えですら到底足りなかった。
仕掛けた罠の数々も、起動する前にその全てが押し潰された。
『無駄ですよ。無駄。させると思いますか? あなた達の相手はそこにいる御使い様だけではありませんよ?』
「んな雑魚で足止めできると思ってんのかよテメェ。一瞬で求めたいなら最低一万は用意しやがれ。一万」
『おや、お安い』
「テメェらのやってることにゃ一銭の価値もねぇだろうがよ」
神堂が吐き捨てたその瞬間。
桐葉の眼前で唸る怪物達は突如跡形もなく姿を消した。
僅かな魔力の動きも、そよ風さえ桐葉が感じることはなかった。
しかし状況に変化はない。桐葉が目を擦ろうと、その姿は見当たらないままだった。
「……あの、俺結局なんのためについてきたんですかね?」
「少しは慣れろよ現場の空気に。あんなのにビビりやがって」
「だ、だから別にビビってなんてないですってば。ちょっと隙を伺ってただけです。そのくらいしなきゃ俺には当てられないんで」
「オマエに隙見せてやるほど甘くはねぇけどな」
「誰も師匠の話はしてません」
あの異形が相手であれば。
少なくとも桐葉はそう考えていた。そしてその予想は間違いではなかった。
神堂もそれは認めていた。
むしろ、できないようであれば更にトレーニングを追加するとすら考えていた。
しかし決してそれを言葉にはしない。それどころか。
「じゃあやってみろ。次」
それは桐葉にとって突然の一言だった。
「……は?」
戸惑う桐葉に答える声はない。
そんな彼の目の前にまたしても、半液状の身体を持つ四つ足の怪物が姿を現した。
大型犬すら上回る個体。そしてそれとは対照的に、桐葉の腕で抱えられそうな小さな個体。
桐葉にとっても祖父母の家で馴染みのある生物の姿を模した怪物がまた現れた。
しかし桐葉の隣にいた筈の神堂の姿はどこにもない。
上も、前後も、左右にも。物音一つ立てることなく桐葉の隣から姿を消して見せた。
怪物には手を出すことのないまま。
「ちょっと師匠!? さらっと見捨てるとかどういう神経してるんですかね!? 俺まだここにいるんですけど!」
「分かってるに決まってんだろこの間抜けー。自分の言葉に責任くらい持てよー!」
「だからって高みの見物決め込むやつがあるか!」
「あ? いいのかそんなこと言って。余裕があるならもうちょっとハードにしてやろうか?」
「やります! 今のままやりますから絶対手は出さないでくださいよ!?」
その内容を想像するだけで、桐葉は背筋の凍るような思いを味わった。
何より桐葉は知っていた。
神堂の攻撃が都合よく怪物に当たってくれる筈がないと。
もしかすると、怪物を倒しても攻撃が止まないかもしれないと。
決して重傷を負うことはない。それを理由に中断されることがない。
だからこそ、桐葉には『やる』と宣言する以外の選択肢がなかったのだった。
怪物を相手に、数的不利な状況で。
(毎度毎度無茶言ってくれるよあの悪魔……!)
あくまでも桐葉は正面だけに目を向けた。
二匹だけに注意を向けていた。
決して、周囲の全てを把握していたわけではなかった。
今はまだそれ以上多くに意識を向けられるわけではない。
直感的に理解していたからこそ、無自覚ながらも選んでいた。
(素早いやつならむしろラッキー……力が強いやつでもいける。けど……)
犬を模した怪物に桐葉はこれまで何度も遭遇してきた。
特定の能力に秀でた個体の存在も、そうした経験の中、身体で覚えてきた。
だからこそ記憶にない猫を模した怪物が一層不気味に思えていたのだ。
視線を向けた桐葉を見つめ返すのは、他の怪物と同じ真紅の瞳。
どのような見た目であれ変わらない。その事実を桐葉に認識させるには十分すぎた。
(けど……)
桐葉に戦う以外の選択肢は残されていない。
他でもない桐葉本人が自らその可能性を切り捨てた。
「っ……」
緊張が桐葉の喉から水分を奪う。
見下ろす神堂は自ら気配を消し、自身の存在を桐葉の中からも消し去った。
睨み合いを破ったのは、黒犬。
(危なっ……!?)
桐葉の腹部を狙った一直線の突進。
間一髪、体を逸らした桐葉を狙うのは黒猫。
(――左!)
飛びかかる寸前、急速な成長を見せた黒猫の爪は桐葉の頭上で空振った。
屈んだまま、桐葉は早口に同じ言葉を繰り返す。
「燃えろ燃えろ燃えろ――《火炎》!」
最初に覚えた炎の魔法を発動させるために。
桐葉の背後へ飛び去る黒猫を狙った火球は、しかし標的に届かない。
(っ、また外して……!)
再度詠唱。
投球フォームを真似た動きから放つ一撃は他と比べ、速度がある。
しかし黒犬の姿はそこにはない。
そして、突如桐葉を覆う影。
(――上か!)
見上げることなく前へ飛びこむ桐葉。
彼が立っていたその場所で鈍い音が響いた頃、桐葉はすでに木の陰に身を潜めていた。
(くっそ、やっぱりキツいな二対一は……!)
幹から顔を覗かせつつ、しかし二匹の怪物を桐葉は目で追い続ける。
(凍らせてやれば……いけるか? ……当てられないよなぁ……)
二匹の怪物は、幹に隠れた桐葉にジリジリ迫る。
対する桐葉も、いつでも隠れ場所を変えられるよう身構えていた。
(っていうかなんだよ。あのネコの爪あんなに凶暴になるのかよ! ネコのサイズじゃないだろあれ!)
唐突に伸びた爪を、桐葉は思わず刀と見間違えた。
(だったらここから――)
呼吸を整え、唱えながら必死に浮かべる。
より強力な、強大な炎を。
「――塵も残さず焼き尽くせ!」
視線の先の怪物達を飲み込むほどの炎を。
たとえ身軽であろうと、逃げることのできない灼熱を。
桐葉自身経験したことのない業火が、たちまち二匹の怪物を呑み込んだ。




