005
「ん~……んむむむむむむ……」
どうしよう。本当にどうしたらいいんだろう。これ。
今日は珍しく早く帰れたけど、その理由くらいさすがに分かる。
(今もいろいろ勉強してるんだよな、きっと……しかも独学で)
俺達と同じ学校に通うために。早ければ夏休みが終わり次第。
(橘さんはあんなこと言ってたけど、やっぱりまだ色々問題あるよなあ……)
勉強の方は問題ないと思う。そんな気がしてた。
もうあそこまで呑み込めたらなら二年の内容だってすぐに追いつく。ひょっとしたら追い越されるかも。
俺の暇つぶしとはわけが違う。
でも問題はそこじゃない。
あの拠点にいるだけでも狙われそうだったのに、学校に行ったらどうなるか……
(確かに《飛翼》でそのまま逃げられるかもしれないけどさ……またあの化け鳥出るかもしれないのに。いいのかそれで)
橘さんだしそのくらいのことは分かってるんだと思う。
でも師匠をいつでも捕まえられるわけじゃない。本当なら他所へ行かなきゃいけないところをなんとかこっちに留まれるように調整してるって聞いた。
その師匠だって、まだあの化け鳥を倒せるようになれとまでは言ってこない。
俺の魔法習得が遅いからなんだろうけど。
「きっくん大丈夫? 悩み事?」
「……いつもみたいな冗談が思いつかないくらいには、まあ」
「なら安心。なんて言える空気じゃなさそうだね?」
明らかに美咲の目の色が変わった。
そこまでかよ。俺が冗談言わないのがそこまで珍しいのかよ。
俺だってさすがに相手とタイミングくらい考えてるよ。
(まあ、悩んでるのは本当のことだけどさ……)
いつになく真剣に。自分でもそう思えるくらいには。
初めて会った夜だってそう。この前も、明らかにイリアを狙ってた。
まだ町のどこにいるかも分からないような連中に。
「で、どうしたの? またあの天使の話の続き?」
「そっちは解決した。おかげさまで。成果を見せることはできないけど」
「いいよ別に。本物の翼生やされても困るし」
やっぱりエスパーだろ。絶対超能力者の系譜だろ。綾河家。
急な先祖返りでもしたってか。恐ろしい。
「じゃなくて。ほんとにどうしたの? 私にできる事なら言ってくれていいからね?」
「……突拍子もない相談でも?」
「いつものことでしょ。何年幼馴染やってると思ってるの?」
「その言い方はさすがに傷つく」
あれか。つい最近、飛ぶイメージの話なんて聞いたからか。
(でもあの時は美咲のおかげで……いやいや)
だから駄目だろ。
あれは最悪、急がなくてもよかったこと。でもこれは違う。
「私はきっくんがそうやって誤魔化そうとしてることに傷つきそうなんだけどなー?」
「うぐ……」
(……しちゃっていいのか。これ。美咲に相談。本気で)
っていうか、なんて言えばいいんだろ。
転校そのものはまだ誰が相手であっても話すな、って釘を刺されてるし。
「きっくん?」
……これだもんなあ。やっぱり勝てる気がしない。
「……普段、話したりしてる相手がさ、急に他の場所でも会いたいって言ったんだよ」
話し出しても、美咲からすぐ反応が返ってくることもなかった。
「顔は勿論知ってるし、何度も会って話したこともある。けどそれって、全部その人の家みたいな場所でのことなんだよ」
疑われないように、慌てて付け足した補足も、もしかしたらまだいらなかったのかも。
「しかも、ちょっと前まで外に出たがろうともしなくて……意外だったのも、多分あると思う」
それでも結局、一度出したらもう止められなかった。
「だからちょっと、世間知らずみたいなところもあるんだよ。なのに、そういうことまで一から勉強してるって言われて」
美咲が頷いてくれるのをいいことに、どんどん口も動いていった。
「健康のこともあるから、危ないと思ったんだけど……どういうわけか、周りの人もすっかり乗り気になってるんだよ」
次から次へと、何度も詰まりながら言葉が出てくる。
「勉強してた証拠まで見せて、『それを見た上でよく考えてみろ』なんて言ってきたんだよ。もう決定事項かよって感じで」
ゴチャゴチャだった頭の中も、不思議なくらいに整っていった。
「だからってわけじゃないんだけど、なんか俺だけ、無理矢理その人の事抑え込もうとしてるような気がしちゃってさ……」
橘さんの前では考えもしていなかったようなことまで。
(言った。言っちゃった。全部言っちゃったよ。馬鹿か俺)
本当、さすが美咲だわ。感心してる場合じゃないけど。
どうしよう。これで気付かれたらさすがに――
「んー……今の話を聞いて私が言えることがあるとしたら……ちょっと難しく考え過ぎじゃない?」
……なんて?
「そうなんだけど、確かにそうなんだけど。ちょっと言えない事情もあるんだよ。だからこう、おいそれと外に出ていいわけじゃない、みたいな」
「周りの人は? 賛成するからにはフォローしてくれるんでしょ?」
「そう言ってくれてる。でも、でもなあ……」
「だからそういうところだってば。考えすぎだって」
どこがだよ。
橘さん達がどうせとっくに過ぎ去ったところを未だにダラダラ走ってるだけだよ。
「そういうきっくんは? きっくんはその人と会いたくないの? よく話すんでしょ?」
「それはもう頻繁に。……というかその、最近出かけてる内の何割かがそれだったり……」
「言わなくてもそのくらい分かってるから。でも、随分信頼されてるんだね? 知り合ったのって最近でしょ?」
「……色々な偶然が重なった結果?」
自分でもびっくりするくらい。運命かよ。
でも、篝さんも言ってた。タイミングがほんの少し違ってたらこうはならなかったかもって。
「心配しなくても別に追及なんてしないから。――それで、どう?」
「そりゃ会いたくないわけないだろ。ちょっと危なげなところもあってハラハラするけど、別にそういうのも嫌じゃないっていうか……なんだろ。上手く言えないな」
「あるよ。よく似た例が身近に。私から見たきっくん」
「待って」
どういうこと。おかしいだろ。さすがに待った。
「待って美咲。美咲様。さっきの話は脇に置いて聞きたいことあるんだけど。今のどういうこと? 美咲から見た俺ってそういう認識?」
「きっくんとその人の関係が分からないからはっきりとは言えないけど、当たらずとも遠からずじゃない?」
「させてないよな。俺、別に美咲のことハラハラはさせてないよな?」
「でも心配にはなるよね。色々と」
「そういう母親めいたムーブは今いいから。それよりここ数年で一番の衝撃なんだけど。え、どうしてくれんの?」
「きっくんこそどうしてそんなに驚いてるの?」
そこまで? 普段は美咲もちょっとオーバーに言ってたとかじゃなく?
「幼馴染に保護対象扱いとか俺明日からどんな顔して歩けばいいんだ……」
「あ、気になるんだ? ちょっとびっくり」
「なんで会う機会少ない夏休みに深山の毒が伝播してるんだよ」
「私そこまで言った!?」
「言ってる」
さすがに本家にはまだ及ばない。及んでたまるか。
「と、とにかく! 大事なのはきっくんの気持ちだよ。危ない目に遭わせたくないっていう理屈も大事だけど、もうちょっと素直になったら?」
「そっちもちゃんとした本心なんだけどな。むしろ比重で言えばこっちが大きいくらいなんだけどな?」
「まあきっくん、こういう時は割と慎重になるタイプだもんね」
「だからそういうことじゃなくて」
そのくらいじゃなきゃ冗談抜きでヤバいんだって。
ああもう、あのろくでな白ーブのことさえ言えたら……
「それはこっちのセリフ。観念しなよ、きっくん。私にできることがあるなら手伝うから。……それに……」
「それに?」
「んーん、きっくんならきっと大丈夫って思っただけ。私が保証してあげる」
「いやいや、どこからそんな信頼が」
「してるよ? いつも。気付いてなかった?」
「そんなことはない、けど……」
忘れてるんだよな。
本当に忘れてるんだよな? 前にこの辺りを襲ってやがったこと。
「だから聞かせて。きっくんの気持ち。……私達の間で、そんな隠し事なんてなしだよ?」
……俺は……




