001
「……あれ? きっくんは?」
夏休みが開け、始業式。
体育館には間違いなくいた筈の桐葉の姿が消えていることに誰より早く気付いたのは、やはり美咲だった。
廊下にも教室のどこにも桐葉の姿はない。
美咲が見たのは体育館を去るところまでだった。
「綾河さんも? ……意外だね。てっきりこの前の夏祭りよろしく一緒にいるものだとばかり思ってたんだけどな」
「違うから。さすがに私も年中一緒にいるわけじゃないから」
「そうそう。睡眠時間とお風呂の時間と、そもそも天条と一緒にいたら駄目な時間と……他に一緒じゃないタイミングってあったっけ?」
「普通にあるよ! 静乃ちゃん、どうして他にないと思ったの!?」
「それでも年中一緒って言って差し支えないんじゃないかな。さすが」
「褒めてる? それ本当に褒めてるの?」
笑い合う深山と鈴木。
両者ともすっかり美咲の反応を楽しんでいる。
実際、着替えのようなタイミングであれば桐葉と一緒にいる筈がない。
冗談めいた言い方ではあったものの、深山も鈴木もそういうものだと思っていた。
「あ、でも、最近は天条が遅くになって帰ることも増えたって。なに考えてるんだか」
「わーお、ワルだね。ひょっとしてコレ?」
「ないでしょ。天条に限って。そんなことできると思う?」
「二人ともいつになく酷くない? ねえ。その場にいないからっていうのはさすがにどうかと思うよ?」
そんな話は今まで一度も聞いたことがない。
ないのだが、さすがにそこまで酷評される程とは美咲も思っていなかった。
そういう話があることは美咲にとっても両手話に喜べるものではなかったが、あえて誰一人として言及はしない。
「え、いたら直接言うけど。探してこようか? コレはないでしょ。コレは」
「天条、顔はよくても隣はもう埋まってるしね。そういう意味で言ったんだけどな」
「お願いだからボケるならせめて一人ずつにして!?」
「「ボケてないのに」」
「そういうのはいいから! もー……なんできっくん相手みたいなこと……」
「え、やだ……」
「静乃ちゃん!」
突然声のトーンを変えた深山。
あまりに露骨な変わりようはある意味でいつも通りの光景だった。
いつもなら真っ先に苦言を呈す、例として挙げられたその少年の姿も声もやはりない。
代わりに。
「なんだよこの騒ぎ。天条ならさっき職員室に向かってなかった?」
「そうそう。なんか妙にシリアスっぽかったっていうか、落ち着かない感じだったけど」
「じゃあいつも通りじゃん。シリアスは単なる勘違いでしょ」
「いやー……そういうのじゃなさそうだったっていうか……なんだったんだろうな、あれ」
「そのくらいははっきりしてくれないかな。佐藤」
頼りない答えを返す友人に、鈴木は呆れのため息を零す。
しかし、原因は決してそれだけではなかった。
「それより聞いてくれよ。さっきとんでもない美人がいてさー。もうびっくりして思わず二度見しちまって。こう、ほわ~ってした感じの」
「……佐藤ってさ、人の耳に虚無流し込むの得意だよね?」
「うっせうっせ。気になるモンは気になるんだよ。悪いかバーカ」
「ううん、別に? 気にならないと言えば嘘になるしね。……特に休みを取った先生なんていなかったと思うんだけどなぁ」
佐藤も鈴木も高橋も、深山も、美咲でさえ知る筈がない。
佐藤と高橋が見たというその人が、桐葉の知り合いだという事を。
補充で赴任してきた教諭などではない事を。
「気になると言えば、机増えてない? 多いよね、ひとつ」
「え、嘘ッ、マジで? ……マジだ!?」
「どうしてそんな興奮気味なのさ。っていうか朝の内に気付きなよ」
「だってさ、転校生ってことじゃん? どんなコだろ。可愛いといいなー」
「そりゃあれだろ。この時期に来るってことはそういうことだろ。……最初の三〇秒が勝負だな」
「うん、綾河さん達ドン引きさせるくらいならこれ上げるから向こう行ってくれないかな。二人とも」
鈴木が差し出したのは赤い半透明のシート。
佐藤と高橋へそれぞれ一枚ずつ向ける。
「……暗記シート?」
「そうそう、勉強できるレッドカード」
「「廊下に立っとけってか!?」」
「いや……」
そこまでは言ってない。
そう言いかけて、案外悪くない案ではないかと思い直す。
しかし鈴木がそれを言葉にするより早く、予冷が教室内に鳴り響いた。
「あ、やば、もう先生来るじゃん。ごめん美咲。また後で。天条見つけたら声はかけとくから」
「ん、お願い。間に合わなかったらさすがに怒られるし。それはちょっと、ね」
「だよね。そういうのは美咲の役目だもんね」
「違うよ!?」
そうやって本気で否定するからまた言いたくなるのに。
口から出る事のなかった深山の思考は、ある意味桐葉と同じものだった。
もっとも、誰かから指摘されようものなら全力で否定するだろう。
「冗談冗談。美咲もそうやって真に受けてばっかりだといろいろ疲れるよ?」
「だからそんなきっくんみたいなこと言わなくていいから……」
「あ、ごめん撤回。そのままの美咲でいて?」
「このタイミングで言われても素直に受け取れないよっ!」
手を振り去る深山。
廊下に出た彼女が挙げた驚愕の声は、教室内の美咲に届く事はなかった。
(もー、静乃ちゃんったら……本気で嫌ってるわけでもないのにあんなことばっかり言って……)
友人が見たものを知らない美咲。
彼女の思考は既に桐葉と深山の事で埋まっていた。
(きっくんも用事があるならひとこと言ってくれたらよかったのに。昨日もなんかメールで変なこと言ってたし……変なことになってないといいけど)
ふと、美咲が抱いた嫌な予感。
理由の分からない胸騒ぎが彼女を襲う。
(……転校生……まさか、ね? うんうん、ない。さすがにないよね)
自身に言い聞かせるように、美咲は心の内で繰り返す。
「はーい、席に着いてー。今日は大事なお知らせもあるからできるだけ早くしてー」
「先生、天条君いませんけど」
「知ってる。天条君は今あっち」
やってきた担任が指をさした先。
(…………廊下??)
視線を向けたクラス一同は揃って首をかしげていた。
何故そんなところにいるのだろう、と。
「知ってる人も多いだろうけど、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。少し癖が……まぁいっか。――さ、入って」
しかし扉は開かない。
転校生を急かす桐葉の声は生憎美咲には聞こえなかった。
そうして、今度こそとが開かれる。
「ぅお……!?」
不意に、誰かが声を洩らした。
それもその筈。教室へ橋を踏み入れた少女は、中学生の目にも明らかな程浮世離れしていた。
「じゃあ自己紹介をお願い。簡単でいいから」
「?」
「俺の方は今いいから。昨日やったやつ。ほら、昨日やったやつ!」
「……やらなきゃ、だめ?」
「これそういう感じで拒否できるあれじゃないから。先生困ってるし、な? な??」
「ぅ……」
注目を集めない筈がない。
どういうわけか、桐葉が隣居ることも含めて。
(……なんか、親しくない? やけに仲良くない? ……え、どういう関係!?)
しかし美咲には転校生の要旨など二の次だった。
「……天上、衣璃亜。よろ、しく」
何故か幼馴染とやけに親しいという事実に頭を奪われ、そんな事にまで意識が向かなかったのである。




