019
『合流できていないだと!?』
神堂が電話越しに聞いた橘の声からは、驚愕と怒りがまるで目の前にいる時のようにはっきりと伝わって来た。
桐葉達を待ち伏せていた信徒の捕縛。
役目を終えた橘の元へ、神堂からの連絡は想定していた時間を過ぎても届かなかった。
橘が捜索に人員を回した後にかけた電話。
そこで神堂が口にしたのは思いもよらぬものだった。
しかし神堂とて、拠点の現在の状況までは把握できていないのである。
彼もまた、桐葉が姿を見せない疑問を抱き、また感じた魔力の正体を確かめるべく、魔力の動きがあったその場所を訪れていた。
桐葉たちが既に去ったその場所を。
「っせぇな。入り口の側指定しなかったのはオマエだろうが。そんなに心配ならこんな配役にするんじゃねぇよ」
『これが一番安全だと判断したからだ! 信徒の排除も貴様の役目に決まっているだろう……!?』
「んなこたぁ分かってんだよ。いいからとっとと場所を言え場所を。どうせ付けてんだろ」
『……安全のためだ』
位置情報を知らせる小型の機械。
桐葉本人にも知らせていなかったが、彼の携帯電話には密かにそれが取り付けてあった。
普段は拠点の外へ出ないイリアも同じ。
組織の構成員に渡される端末には最初から備わっている機能でもある。
万一の事があってもすぐに所在を把握できるように。
しかし橘も、まさかこんなに早くから使うことになるとは思ってもいなかったのだ。
しかも、まだ桐葉のものは用意できていない。
「理由なんて聞いてねぇって。っつぅか、監視カメラどうした? あの辺にも置いとけよタコ」
『今も稼働している。だが……』
「衝撃受けて変な方向向きやがったか。ったく、中途半端なもん使いやがって」
『貴様の文句は後でいくらでも聞いてやる。とにかく天条達を見つけ出せ。一番近いのは間違いなく貴様だ』
「だろうな。いたらそいつは裏切り者だろ」
『……勝手な真似はするなよ?』
「心配すんなよ。そっちはオマエに任せっから」
『不安を増やすなたわけ』
しかし、それが最善だと両者ともに理解していた。
人の姿はない。
虫の息だった犬の怪物も神堂によって止めを刺された。
信徒が垂れ流した魔力の反応も途中で途絶えてしまっている。
神堂にとっては、その場にいないのなら即座に切り捨てられる程度のものだった
「……あ、いたわ」
何より、飛行魔法も習得せずはるか上空を飛んでいる少年少女の回収が最優先だったのである。
たちまち地面は遠ざかっていった。
暗闇の中、桐葉にもそれがはっきりと感じられるほどに彼を襲う風は強い。
何度も枝が、木の葉が桐葉とイリアを肌を撫でる。
(やばいヤバいヤバイ絶対やばい!!)
しかし、桐葉の全身から溢れ出す滝のような汗がその程度で拭いきれる筈もなかった。
(なんでこんなにデカいんだよおかしいだろ! 正気かあいつら!)
信徒が呼び出した怪鳥は最初、イリアだけを攫おうとした。
実際、イリアは掴まれた衝撃で思わず桐葉と繋いだその手を離してしまった。
躓き、倒れ掛かったところを踏みとどまった桐葉が必死に追い駆け、ギリギリのところで怪鳥の足に飛びついたのである。
当然、上空で脱出する術などなかった。
足に捕まっている桐葉の事など構わず羽ばたく怪鳥にしがみつくだけでも桐葉は精いっぱいだった。
神堂が現場に着く前。
目的の少女とおまけの一人を確保したと確信した信徒は隠しておいた車へ一目散に向かって行った。
桐葉の敵は現状、怪鳥一匹。
しかし木々が点のように見える程高くへ連れ去られてしまった今、その程度の事実は桐葉にとって気休めにもならなかった。
星の海を目指して上昇を続ける鳥の怪物。
桐葉の肌を撫でる風は冷たくなる一方だった。
薄着が一層寒さに拍車をかける。
加えて、叩きつけるような強風が桐葉を襲い続けていた。
「んの、やろ……!」
しかしとうとう、桐葉は無謀な賭けに出た。
風にあおられ続けられ、かえってその状況に身体が慣れたのだ。
ほんの一瞬であっても足を掴む手を離さなければならない危険な賭け。
桐葉は、怪鳥の背中に乗ろうとしていた。
手を僅か上に移動させるだけでも死と隣り合わせの行為。
危険性を理解していたからこそ、桐葉の精神はかつてない勢いで摩耗していった。
(こな、くそ……っ!)
それでも桐葉は両腕の力を振り絞って足を登る。
太い枝ほどもある怪物の足は、桐葉がよじ登る上で実に都合が良かった。
手を滑らせてしまえば後はない。
その事実を無理矢理頭の隅に追いやり、桐葉は必死に黒い怪物の背中を目指し続けた。
心臓が止まるような思いを何度も味わいながらも桐葉は止まらない。
「ふんッ、ぬ……!」
何度もずり落ち、その度にまた這い上がり、オフィス街が一つの光点に見えるほどの高さまで黒い鳥が上昇した頃、ついに腹部を掴む。
鳥の怪物は桐葉に身体を掴まれても、そこから崩れ落ちることはなかった。
以前、桐葉が『ヘドロのよう』と感じた怪物と比べ、より確かな形を持っていたのだ。
「ぅお……っ!?」
両手でそれぞれ体毛を掴んだ桐葉を襲う突風。
桐葉にとっては体毛を掴んでからが本番だった。
危険度は先程とさして変わらない。
或いは先程以上に身体のバランスを保持するのかが難しい。
同じ個所にぶら下がり続けていては、いつその部分が抜け落ちるかも分からなかったのだ。
しかしながら、そんな状況であろうと桐葉の脳内に『降参』の二文字はなかった。
「てぃ、や……っ!」
掴んだ腕の力を頼りに桐葉は自身を引っ張り上げる。
足をかけようとする度に滑り落ち、結局、それ以上に姿勢を安定させることはできなかった。
必死に登ろうとする桐葉をあざ笑うかのように何度も風が吹きつける。
その都度、鳥の怪物にしがみつくことで桐葉はやり過ごした。
そして。
「――どっ、せい……ッ!」
とうとう桐葉は登り切った。
決して体毛から手を離さず、残った力で怪鳥の背中に身を落ち着けさせる。
呼吸は荒み、両腕は悲鳴を上げるように軋んでいた。
全身から溢れ出す汗もまるで止まらない。
冷たい向かい風に吹き飛ばされても、たちまち全身汗まみれになってしまっていた。
気の遠くなるような挑戦を経てなお、事態の根本的な解決には至っていなかったのである。
(あと、少し……ッ)
背中に張り付いたまま、這うように怪鳥の頭部へ。
なんとか首から上だけ覗かせる。
腕に捕まったままのイリアの姿を見つけるために。
「いり、ア……! イリア……!? 大丈夫か!?」
「……!?」
「お、おいおい……なんでそんな、驚いたような顔してるんだよ……見捨てるわけ、ないだろ?」
なんとか笑って見せる桐葉だったが、その笑みは力ないものだった。
桐葉ばかりを見ていたイリアがその異変に気付かない筈がない。
「むり、しないで……!」
「分かってる。大丈夫だって。このくらい師匠のあれこれにくらb、ぅおっ!?」
その時、またしても強風が桐葉をあおった。
(ぎ、ギリギリセーフ……)
自身とイリアの無事を知り思わず安堵していたが故に、危うく振り落とされそうになってしまったのだ。
しがみつくのがあと一瞬でも遅ければ、今度こそ桐葉も無事ではなかっただろう。
イリアもそれを理解していたからこそ、目に涙を浮かべて桐葉を呼んだ。
「きりは……! きりは!?」
「大丈夫。耐えたからセーフ。……ちょっと危なかったけど。ははは、ウケるよな」
「うけ、ない!!」
「……ハイ」
おどけるような態度に、イリアの語気も強まる。
あの一瞬で起こったかもしれない最悪の可能性をイリアは正しく理解していた。
これには桐葉も平伏するほかなかった。




