012
「あ、あの……師匠? 俺、何か怒らせるようなことやらかしましたっけ……?」
無理。これはさすがに無理。
いくらなんでも風が強すぎる。
気持ちよさなんてこれっぽっちも感じられない。
なんでこんなところにいるんだろう。俺。
ただ師匠とトレーニングしようと思ってただけなのに。
「どうした天条。そんな怯えたような声出して。珍しいじゃねぇか」
「いやだって、ここ……」
「んだよ。オマエ高いとこ苦手なんて言ってなかったろ」
別に苦手じゃないですよ。常識的な範囲の高さなら。
こんな場所に連れてこられたらそりゃ鳥肌だって立ちますよ。
こんな、車が蟻んこみたいに見える高さまで連行して。
それで『怖いのか』ってこいつ正気か。当たり前だろ誰だって怖いわ。
地面から何メートルくらいあるんだろう。
航空写真ほぼそのままな景色が足元に広がってる。
誰かこの非常識なバケモノ人間どうにかして。
師匠が最初に提示したタイムリミットはすぐにやって来た。
それからまた今まで通り鍛えてもらって、遂に迎えた夏休み。
その初っ端からこれだ。
誰も彼もが空から落ちて『痛い』の一言で済むわけじゃないってまだ分からないのかこの人。
「ま、ギャーギャー騒がなくなったのは褒めてやるよ。遅ぇけど」
「あぁも立て続けに色々と起これば嫌でもこうなるでしょうよ……師匠には分かりませんか。人の痛み」
「んだとコラ」
「キレるくらいならちゃんと説明してください。あと、やめて。この体勢で絞められるのはさすがにヤバいんで止めてください」
地面に足がついてるわけでもないのに。
いつもとはわけが違うんだぞこの野郎。
離せばいいってものじゃない。
「さてはその顔、納得してねぇな。こっちは橘の話聞いてわざわざ合わせてやったのに」
「どうせならやり方も合わせてくれたらよかったのに」
「何言ってんだ。オマエ飛行魔法の訓練始めたんだろ?」
「はっ? いやまあ、やってますけど。あのヘンテコな機械に毎日放り込まれてますけど」
「ッチ、まだその段階かよ……あんにゃろ、甘やかしやがって」
「どこがですか虐待親予備軍」
この人と結婚したら絶対苦労するだろうな。
だって想像がつかない。
この人が子供に甘くなったらそれはそれでぶっちゃけ不気味だし。
なんか、他の人が辞めてったの分かるかも。
「じゃあ聞いてやろうか。お前が思う飛行魔法ってのはなんだ。言ってみろや」
「俺の? って、いきなりそんなこと聞かれても。ある程度基本みたいなものはあるんですよね? 他の魔法みたいに」
「ねぇよ」
「……なんて?」
今、聞きたくない単語が聞こえた気がした。
「だからねぇっつったんだよ。飛行魔法に決まった形なんてねぇ。使うやつ次第でいくらでも形を変えやがる。中には飛べねぇやつもいた」
「いいんですかね。そんな大雑把で……」
形も統一せずにどうするんだろう。
っていうか、そんなにバリエーション増やせる? 普通。
師匠はどんな方法使ってるんだか。
見た感じ、飛んでるようには思えない。何か、板の上に立ってるみたいな。
「いいんだよ。ずっとそうしてたからな。そのくらい知っとけアホ。あの堅物そんな事も説明してねぇのか」
「最近ちょっとずつ教えてもらってるところなんです。ただ、飛行に関しては師匠に聞けって」
「ケッ、丸投げかよ。自分が下手クソだからって」
「橘さんも言ってましたよ。似たようなこと。『苦手だからと私に丸投げする気かあの馬鹿者は』って」
お互いこんな調子なのによくやるよ。
似てないからこそ上手くやれたりするとか? 今の発言はそっくりだけど。
「あン? この俺が何を苦手にしてるって?」
「座学ですけど。師匠からきしじゃないですか」
「実践主義っつぅんだよ。本読むだけじゃどうにもなんねぇだろうが」
「なるほど、そういう。……ところで師匠。もしかしてなんですけど、説明書読まないタチだったりしません?」
「それがどうしたんだよ」
「なんでもないです。そこだけ分かればあとはどうでも」
やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ。
この人の力で無茶苦茶したら簡単に壊れそうだけど。
「いつにも増してわけ分かんねぇヤツだな。ホラ、さっさと構えろ」
「……はい?」
構える? 何を? どうやって?
「ボーっとしてんじゃねぇよこのスカポンタン。んな調子で飛べんのか?」
「えっ、いや……えっ?? 飛ぶ? 本当にどうしたんですか。師匠こそさっきから何言っt」
「いいからさっさと行っ――ぃ――」
師匠の言葉は最後まで聞き取れなかった。
「…………えっ」
暴力的な風圧。
信じがたい加速感。
飛ぶように消えていく白い雲。
「……あぁ!?」
やっと気付いた。
落とされた。俺、今あの鬼畜師匠に落とされた!
「まっ、てめっ……ちょっと待てぇえええええ――――――っ!!?!?」
「あ゛ぁ゛ぁ゛……」
生きてる。俺、生きてる。
地面って素晴らしい。
もう一生ここから離れたくない。
「おつ、かれ」
そっと撫でてくれるイリアの手が心地いい。
本当にこのままでもいいかも。せめてあと三分だけ。
「大丈夫? さっきから凄い顔してるよぉ……?」
「ハハハ……なんでもないですよ。なんでも。……忘れさせてください一刻も早く」
そうだ。あれはきっと悪い夢だ。
疲れたせいで悪夢を見ただけ。そうに違いない。
パラシュートもなしにスカイダイビングさせられて、地面にぶつかる前に師匠にキャッチされたのなんて全部夢。
その証拠に身体だって全く痛くない。
代わりに風圧だけはやたらとはっきり感じられたけど。
ジェットコースターなんて生易しいものじゃなかった。意識跳びそうになったし。
「さっきまで神堂さんと一緒だったんだよねぇ? やっぱりやめた方がいいよ。こんな無茶苦茶な特訓してたら桐葉くんの身体が壊れちゃう……」
「? いつも通りでしたよ? まあ無茶苦茶なのは否定しませんけど」
「桐葉くん、記憶……」
やっぱり同じ方向を目指しても仕方ない。
そんなことしても師匠の劣化版みたいなものにしかなれないし。
でも、あのデタラメな身体能力の持ち主に一泡吹かせようと思ったらもっといろんなものが必要になる。
(……そのためにも、やっぱり飛行魔法は覚えないと)
師匠も橘さんもああ言うってことは、実際役に立つ場面も多い筈。
早いとこ身に着けた方がいいに決まってる。
そうと決まればやることは一つ。
師匠が言ったような、俺の飛行魔法のイメージを完成させること。
それが済まないことには始めようもない。
ちょっと名残惜しいけど、この温もりとも一旦サヨナラしないと。
「ベッド、つかう?」
「そこまでしてくれなくても。このくらい平気だって。なんとか起きるから」
「だめ」
けど、起き上がろうとしたらすかさずイリアに肩を押さえられた。
そのまま柔らかいカーペットの上にまた寝かせられる。
「……何が?」
「まだ、このまま」
力もそんなに強くない。
振り払おうと思ったらどうにでもなる。
でも、そんなことできるわけがなかった。
いつも以上に真剣な雰囲気だったからだ。
「本当に大丈夫なんだって。それでも駄目?」
「だめ」
「恥ずかしいって言っても?」
「だめ」
取り付く島もない。
「きりは、がんばりすぎ。ちゃんと、ねてる?」
「そりゃあ勿論。休まないと次の日動けなくなるし」
「じゃあ、やすんで」
「夜の話をしたんだけどな。俺」
「いまのこと、いった」
どうしたものか。
全く引いてくれる気配がない。
このままの状態はさすがにちょっと問題ありだと思う。
篝さんもこんな時に限って何も言わないし。
「げんいん、わたし。わかってる。だから、やすむ」
「違うって。疲れてるのは俺の自己責任なんだよ。な? だからそろそろ……」
「ちがわない」
そんなことはないって何度も言った。
でも結局、納得はしてくれなかった。
まさか昼食の時間になるまでイリアが解放してくれないなんて思いもしなかったけど。
……どうして責任感じるんだろうな。イリアが悪いわけじゃないのに。




