020
艶のある美しい黒髪。
儚く、線の細い腕。
髪と対照的な白い柔肌はあちこち泥をかぶっている。
潤んだ少女の瞳はまるで水晶のようだとさえ桐葉は感じていた。
しかしそんな少女が纏っているのは白い布のみ。
服とすら呼べそうにないものだった。
「えっと君、どうしてこんな……」
「――っ!」
「……あれっ?」
努めて平和的に接しようとした桐葉を少女は睨みつけて拒絶した。
身体を小刻みに震わせ、立ったままの桐葉をおそるおそる見上げながらも睨みつけていた。
(何この目。なんで親の仇みたいな目で見られてんの俺。わけ分からないんだけど)
桐葉も、自身が少女に敵として認識されていることはすぐに分かった。
しかしその心当たりが一つもなかった。
キリハ自身[創世白教]を追い、山の中へ迷い込んでしまったようなもの。
直前の攻撃を避けるだけで精一杯だったのだ。
「な、もしかして勘違いしてない? 俺、違う。あいつらの仲間じゃない。分かる?」
「ッ……!」
「いやだから睨まないでくれよ。本当に違うから」
桐葉の弁解も少女には通じなかった。
必死に後退りながら弱々しい威嚇を続ける。
そんな少女の姿を前に、桐葉もあまり強く言えなくなってしまっていた。
(どうしたもんかなこの状況……)
痒くもない頭を掻く桐葉。
だが、この状況を打開する名案は何一つとして思い浮かばなかった。
(あの白ローブ共は奥に行った筈だからいいけど……ちっ、暗くてよく見えないなあいつら。もっと目立つ格好しとけよ)
桐葉の周囲に[創世白教]の姿はどこにもなかった。
何度も前後左右を調べた上で結論付けた。
少なくとも目に見える範囲にいないことだけは保証された。
しかし今の桐葉には当面の安全に一息つく余裕もない。
今度はしゃがみ、少女と目線の高さを合わせた上で向かい合う。
「とりあえずさ、何か言ってくれない? 誤解を解きたくてもこのままじゃ話にならないから」
「ぅぅぅぅぅ――――!!」
「ひでぇ嫌われようだなおい」
身体を抱き寄せ少女は唸る。
そんな声にも桐葉は聞き入りそうになってしまった。
然し状況がそれを許さない。
すぐさま桐葉に冷静さを取り戻させた。
近所の野良猫からさえ、少女のような敵意を向けられたことはなかった。
桐葉が半歩近づけば、少女も僅かに後退る。
逆に桐葉が一歩退いても、距離が縮まることはない。
桐葉が手を伸ばしても肩に触れられない程に二人の距離は開いていた。
(この子、一体なに考えてるんだ……? せめてもうちょっと言語的なコミュニケーション取ってくれたらやりようもあるのに)
桐葉の中には戸惑いが募る一方だった。
何故、この少女はこんなところに。
どうして、これほどまでに自分を恐れるのか。
そもそもこの少女は何者なのか。
あの[創世白教]が人手を割いてまで探し出そうとする目的は何なのか。
「俺、敵じゃないから。むしろあの白い連中に襲われたことあるくらいだから。降参。この通りっ」
「……?」
「そこで首傾げられても」
桐葉に残されたのは思いつく限りの方法でコミュニケーションを取ることだった。
しかし両手を上げ降参のポーズを取っても少女には通じない。
代わりに、少女の表情からほんの少しだけ警戒の色が薄れた。桐葉にはそう見えた。
「えーっと……あ、そう、I’m not your enemy」
「……っ……」
「これでも駄目かー……」
同時にそれ以上の進展は見込めそうになかった。
再び両手を上げた桐葉だったが、少女の表情に変化はない。
更に二歩分、少女との間に距離が開く。
(ここまで会話が成り立たないって相当だぞおい。教団の連中だって意味は分からなくても最低限、ヒトの言葉は使ってるのに)
当然ながら、桐葉も[創世白教]の考え方に共感しているわけではなかった。
話が成り立たないという点では目の前の少女よりはるかに性質が悪いとさえ思っていた。
そのような存在と比較しなければならない程に桐葉は少女との意思疎通に悩まされていた。
(でもあいつらの狙いはどう考えてもこの子、だよなあ……)
その時と奥から[創世白教]の構成員の怒声が聞こえた。
桐葉や少女からは離れた位置から発された声。辛うじて聞こえる程度。
そんなものにさえ少女は怯えていた。
(無理矢理連れ出すのはさすがにマズいけど、このままってわけにも……)
いつ見つかってしまうか分からない。
しかし桐葉も、その時が訪れるまでにはまだ猶予があるとばかり思っていた。
遠くからしか声が聞こえなかった事で、すっかり油断してしまっていた。
「――発見! 発見!」
何より桐葉の感知能力の低さが[創世白教]の信徒の接近を許してしまった。
「げっ……!?」
桐葉が気付いた時にはもう辺りは強い明かりで照らされていた。
慌てて庇うように前に立つも、既に信徒が少女の姿を捉えた後だった。
「発見しました! 少年と一緒に隠れていた模様!」
「少年? 馬鹿な、人払いはどうした!」
「おそらく魔力を持っているものと思われます!」
白の外套に身を包んだ男達は大声で呼び合う。
しかし[創世白教]の構成員たちは桐葉の想像よりずっと近い位置にいた。
叫んでいたただ一人を除けば、全員の姿が桐葉の目にも見えたのだ。
「(とりあえず俺の後ろに隠れてっ。なんとかやり過ごして逃げるぞ!)」
「(ぅ……)」
震える少女の小さな手が桐葉の服の裾を掴んだ。
庇うように立つ桐葉の全身を滝のような汗が流れる。
それ以上取り乱さずにいたのは、美咲の家での経験があったからだった。
「坊や! 悪いことは言わない。その子をこっちに渡すんだ。君だって安全に帰りたいだろう?」
「……俺がこの子を置き去りにしたとして、その後どうするつもりなんです?」
「それは君が知るところじゃない」
間髪入れずに一番近くの信徒が答える。
その時少女に向けられたのは、桐葉にもはっきり分かるほどの殺意だった。
(……ああそうかい。そんなこったろうと思ったよ)
これまでの邂逅を通じて抱いた印象は間違っていなかった。
桐葉は、自身の中で何かスイッチが入るような感覚を覚えた。
「さあ、早く。どの道君に選択権なんてないんだ」
「嫌だね」
「……何だと?」
身が竦むような状況。
しかしそれがかえって桐葉に決意を固めさせた。
「却下。拒否。無理。断る。論外。……このくらい言えばさすがに分かりますよね? 誰がアンタらなんかに任せるかよクソが」
自分自身を奮い立たせ、信徒たちを睨みつける。
恐怖の震えも何もかも、桐葉は強引に捻じ伏せていた。
「オジサン達、いい歳してこんな子を追い駆けてさ、どうかしてるんじゃないですか? そんな真っ白なローブ来てるくせしてやることは真っ黒じゃんウケる」
「んなっ……!?」
「貴様……! 人が下手に出ていれば……!」
「ほーら本性が出た。何が坊やだよこの誘拐犯!」
(それにどうせ――)
「後ろにもいるんだろ!」
乱暴に振り回された桐葉の左腕が何かを打った。
鈍い衝撃と、聞き覚えのない男の悲鳴。
(ほらやっぱりやってきやがった! 二度も同じ手喰らうかよ!)
突き飛ばした信徒に構わず、少女の手を取る桐葉。
しかし三人の信徒たちと真逆の方向には既に黒い異形の姿があった。
(何でこんな時に限って用意周到なんだよ。この前みたいにガバれよチクショウっ)
多勢に無勢。
呼び出せないものだとばかり思っていた黒犬を前にキリハの足も止められる。
「どうする? 我々は寛大だ。跪いてそいつを渡せば助けてやらないこともないぞ?」
「ふざけんな。任せられるかって言ったろバーカ」
「なら死ね」
「何が寛大だこの大ウソツキが!」
少女の手を握ったまま、桐葉は傾斜へ飛び込んだ。




