出発前日と、その後。篝の場合
「……もう、明日かぁ……」
――その日、篝さんに会ったのは、朝のトレーニングが終わった後だった。
あまりに大きなため息をつくもんだから声もかけづらい。
いつもとは比べ物にならないくらい、ぼうっとしてる。
「どうしたんですか、篝さん。そんな落ち込んで。まだ朝ですよ?」
「……あ、桐葉くん?」
俺が声をかけるまで気付いてなかったみたいだし、声をかけてもこの反応。
寝起きってわけでもないだろうに、反応が鈍い。
目の下に隈もないから、そういう心配はなさそうだけど……大丈夫か、これ。
「落ち込んでるわけじゃないよぉ。でもぉ……思ったよりあっという間だったなぁって」
……いくら、移動がもう明日だからって。
美咲にもなんとか受け入れてもらったけど、俺だって思うところはある。
向こうでの生活がどうなるのかとか、まだまだ分からないことだらけ。
「なんだかんだ言って、残った一年は落ち着いて過ごせましたけどね。俺は」
「……あんなトレーニングばっかりだったのにぃ?」
「ははは。あのくらいで音を上げるならそもそもついて行きませんよ、師匠に」
いやもう本当、ついて行こうとすら思わない。
ここまで来て辞めるくらいなら最初の一週間当たりで白旗を挙げて逃げ出してる。
……あの頃にはもう家の場所も突き止められてただろうけど。
「……師匠と同じ力を持ってるだけのクソヤロウなら、実際ついて行かなかったと思いますし」
師匠は師匠でとんでもない野郎だけど。悪魔だけど。
たまに愉しんでるんじゃないかってくらい性格悪いけど、それだけじゃない。あれでも。
「篝さんはあんなって言いますけど、あれでも色々調整してくれてたんだと思いますよ? 量とか、タイミングとか」
「……桐葉くん、そうやってよく庇うけどー……本当に思ってるぅ?」
「思ってなきゃ言えませんって。さすがに」
結局、師匠と篝さんの間の溝は埋まらないまま。
師匠の方が改善しようとすら思ってないのが大問題。
それとなく言っても、今の篝さんへの認識は『天条の面倒を見てるヤツ』止まり。
前に飛行魔法の練習のために連れ出した時もそう。
用件は(珍しく)ちゃんと伝えてたけど、イリアへの伝言だったよな。アレ。
篝さんも結局そこまで乗り気じゃなかったみたいだし、きっともうずっとこのままだと思う。
「それよりもうちょっと他の話にしません? 篝さんも言ってたじゃないですか。明日だって。最後の一日まで愚痴で潰すのはもったいないですよ」
「でも桐葉くん、お昼から出かけるんじゃなかったぁ?」
「ですから、それ以外の時間です。今日はイリア、一人で朝食を済ませるみたいですから」
今日は、部屋から極力出ないつもりだってイリアは言ってた。
出発前の最後の準備とか、美咲と話をしたりとか。
荷物になりそうなものはほとんど送ってあるけど、小物とか、まだこっちに残ってるものもある。
「い、いいのぉ? そのままにしておいて。衣璃亜ちゃん、寂しがってるんじゃぁ……」
「一応、後で覗いてみるつもりです。……でも、イリアも、色々とやりたいことがあるみたいですから」
……イリアのことだから、それ以外にも気を遣ってくれてるんだろうな。きっと。そこまでしなくてもいいのに。
「それはそうなんだけどー……本当に大丈夫かなぁ……」
「なら、篝さんが心配してたって伝えておきます」
本人の反応が微妙でも、伝えるくらいなら。
「……大丈夫ですよ。イリアも、いつまでもあの頃のままじゃありませんから」
根っこの部分まで変わったわけじゃない。きっと元からああだったんだと思う。
でも、確かに少しずつ変わっていった。
それはもちろん、いい意味で。……言葉の刃物が鋭くなったこと以外。
「落ち着いてるねぇ? 衣璃亜ちゃんのこと、心配じゃないのぉ?」
「心配ですよ。進学先でも誰かと仲良くなれるのか、とか……」
「そうじゃなくてねぇ? そっちも心配だけどー……」
組織のメンバーが相手でも期待できない。この拠点にそういう相手が誰もいないんだから。
「ねーぇ、桐葉くん。やっぱり、私も行ってあげよっかぁ?」
「大学のことはどうするんですかね……」
あなたまだ卒業してないでしょ。四年制なんだから。
気持ちだけでいい。本当に。さすがにこれ以上迷惑はかけられない。
「心配なんだよぉ、二人のこと。桐葉くんなんてずっと平気そうにしてるしぃ……我慢してなぁい?」
……とんでもない。我慢なんて。
むしろ、色々な人に無理を言ってるくらいなのに。
「いいんだよぉ? 遠慮しなくても。一人で背負い込んでもいいことなんてないよぉ?」
「じゃあ、篝さんも悩みがあったら教えてくださいね。その時は」
「そうやって誤魔化すってことはぁ……もしかして、あるのかなぁ?」
……とうとう篝さんにまで。
本当、どうしてみんなすぐに分かるんだろう。……言うしかないのか。
「……ありますよ。もう一つ。ちょっとどころじゃない心配事が」
「ほらぁ。……なぁに? 言ってみて、言ってみて。本当のお姉ちゃんだと思ってぇ」
今回は、篝さんにも関係のあること。
興味津々な顔してるけど、自覚ないのか。この人。……まあ、いいか。
「いや、篝さんがその調子で大丈夫なのかな、って……」
「どういう意味ぃ!?」
どうもこうもそのままの意味に決まってるでしょうが。
西明さんに聞いた感じ、あの子とはまだそういう感じじゃないみたいだけどさ……
……一応、聞いてみよう。向こうについた後でも。定期的に。
「どーぉ? そっちは。狭くなぁい?」
最初、篝は電話をするつもりはなかった。
何せ桐葉も衣璃亜も、長時間の移動を終えたばかり。
今夜ばかりはゆっくり休んでもらおうと考えていた。
桐葉が、電話をかけてくるまでは。
幼馴染とたっぷり話をした後とはいえ、連絡が来たことに喜べない筈がなかった。
『篝さんの部屋よりちょっと広いかな、って感じです。今のところは』
「……またそうやって意地悪言う……」
結局、前日の発言も桐葉が撤回することはなかった。
特に桐葉をかわいがっている自覚はある。
離れてしまったことへの寂しさも人並みに感じている――それが、篝の自己評価だった。
『いやいや、そうじゃなくて。部屋の面積ですよ。ちょっと広めの部屋にしてもらったみたいで』
「……本当にぃ?」
『疑うなら写真送りましょうか?』
少なくとも、桐葉が心配しているようなことはない。断じてない。はずである。
「……んーん、言ってみただけ。遊びに行く時の楽しみにとっておきたいからぁ」
『いつの間にそんな話が……?』
「大丈夫だよぉ。ちゃんと組織と相談して日程の調節もするからぁ」
『質問に答えてくれません!?』
ちょっと休みに会いに行くくらい、なんの問題もない。




