017
「ッ……!」
今度は真横。
美咲と身体を傾けてなんとか避ける。
今更腕を振っても掠りもしなかった。
「いッ……!?」
そこをまた突き飛ばされた。
でもまた、すぐ後ろから思いっきり押し返される。
「踏ん張って! これでいいんだよね!?」
「分かってる! ……サンキュ」
俺が美咲を守らなきゃいけないくらいなのに。
さっきからずっとこうだ。バランスを崩すたびに後ろから支えてくれてる。
「さっきからなんなのあの犬!? 私達のこと狙ってる!?」
「そんなこと考えなくていいから。……さっきのデタラメ人間に擦りつけとけばいいんだよ」
「絶対そういう問題じゃn――きゃああっ!」
(こいつ、また……!)
遅い。師匠よりは絶対に遅い。
けど。
(身体が小さい……っ!)
当たらない。とにもかくにも攻撃が当たらない。
個体差なんてあるのかよ。モンスターのくせに。
前に襲って来たやつはそれこそ俺より大きかった。
でもこいつは違う。子犬くらいの大きさしかない。
すばしっこい小さな身体。
家庭用サイズってか。やかましい。
でもなんとか少しずつ動きが読めてきた。
避けるのは間に合ってもこのまま反撃できなきゃジリ貧だ。
「ちょっときっくん!? もしかしたらって思ってたけどあの犬叩くつもり!?」
「そうじゃないけどそのくらいしなきゃこっちがヤバいんだって! 美咲も見ただろ!?」
窓ガラスを軽く割る力だってある。
それなのに血も垂れてない。やっぱり、普通の犬なんかじゃない。
「とにかく俺の後ろに隠れてろって! 壁と俺で挟めばさすがに手は出せないだろうしな……!」
「それきっくんが噛まれるだけだよね!?」
「ないない。こんな犬ッコロにこれ以上好き勝手させるかよ!」
怖がるな。俺が怖がってどうする。
もっと怖いやつを知ってるのに今更こんなのにビビってる場合か!
今は後ろに美咲だっているだろうが……!
「――やはり誰かいるのか! 早く開けろ!」
(まだ帰ってなかったのかよ外のやつ……!)
なんて往生際の悪いやつ。
開けてやるわけがない。誰が開けるか。
そんなことしたらどうせ他の化け犬けしかけさせるくせに。
「このっ、こっち来るな! どけ!」
化け物が少しでも足を動かせばその瞬間蹴り上げる。
空振りしたって構いやしない。これ以上こっちに近づけさせなければどうだっていい。
魔力だけは切らさないように。
その状態の足が当たれば少しくらいはダメージになる。
飛び掛かってくるたび蹴り返されてるんだから。
(焦って攻めるな、攻めるなよ……っ)
軽く、素早く。威力は後回し。
大きく振っても隙を晒すだけ。
それと、絶対に視界から外すな。
何度も師匠に言われた。
こっちが下手に動けばその分、後ろも危なくなる。
教団の連中に追いかけられた翌日から、耳にタコができそうなくらい言われた。
見極められない内は下手に攻めるなって。
ドアを殴る音もどんどん大きくなってる。
多分この状況でまだ動いてるやつが――俺達がいるから。
(どこで何やってるんだよ[アライアンス]の連中は……!)
こんな時にダラダラと。
非常事態だろ。動けよさっさと。職務怠慢かっての。
待ってられない。
(なんとかこいつだけでも黙らせないと――)
「きっくん危ない!」
「ばっ――!?」
――無我夢中だったことだけは覚えてる。
いきなり視界が斜めになって、今にも飛び掛かろうとした黒い犬が右側に消えた。
原因を考える暇なんてその時は全くなかった。
(間に合え――!!)
なんとか踏ん張って、無理矢理身体を起こして、左腕を突き出して。
「ッ、くぅ……!?」
噛まれた痛みで、現実に戻った。
「き、きっくん……?」
「悪い美咲、タンマ。ちょっとタンマ。あとで滅茶苦茶キレるからそれだけ覚えとけ」
泣いたって許さない。絶対に許してやるもんか。
でも、まずは、
「――いつまで噛んでるんだよこのヘドロ野郎!!」
このクソ犬からぶっ飛ばす。
腕を思いっきり振り回してやるだけで簡単に吹っ飛んだ。
あの化け犬がこんなに軽かったなんて。
前に押さえつけられた時はどうしようもならなかったのに。
「痛いんだよ、お前のかみつき無駄に痛いんだよ! 習った《硬化》も間に合わなかったしさぁ……!」
軽く振っても全然痛みは収まらない。
こんな調子じゃまた師匠に叱られる。
言われたのに。何回も言われたのに。
すぐ使えるようにしておけって。
(あーあ……メニュー倍増で済めばいいけど!)
遅かった向こうも悪い。それで行こう。
別に迂闊な行動なんてしてないんだから。今回は言い負かせる。
【Grrr……!】
「キレたいのはこっちだっての! お前のせいでどれだけ迷惑被ったと思ってるんだよ!」
こいつに言ったってどうにもならない。
だってこのモンスターはただの駒。倒してもどうせそのうち変わりが出てくる。
それでも、何か言ってやらなきゃ俺の気が済まなかった。
(落ち着け、落ち着け……外のヤツが来る前に、倒さないと)
半歩ずつ近づく。
美咲から離れすぎないように。周りの警戒も怠らないように。
(深呼吸で、息を、整えて)
いつも変なタイミングで二匹目が出てくるから絶対に気は抜けない。
(……ありったけの、魔力を込めて)
加減なんて考えなくていい。そんな余裕ない。
向こうが飛んで、逃げ場がなくなったタイミングに――
「――ふざっけんな!!」
硬く握った拳を、真正面から叩きつける。
ぬるま湯の中に突っ込まれたみたいな感覚。
それに、ヌメっとした気味の悪い感触。
振り切った時にはもう、化け犬の姿はどこにもなかった。
「――ッハァ、ハァ、ハァ……!」
抑えてたものが全部息と一緒に外に出た。
ヤバかった。今のはマジでヤバかった。
体力も何もかも今ので全部使い果たした。もう無理。動けない。
「なに、今の……溶けて、消えて……?」
「分かるかよ、そんなの……犬の見た目だけした、風船か何かだったんじゃないのか……?」
「ない。さすがにないよ。冗談言わなくていいからじっとしてて? 今、消毒液とってくるから」
「バカ。止めろって。まだどこに何がいるかも分からないのに動くなよ。……手、震えっぱなしのくせに」
「……きっくんだって」
今だけは本当に離れたくなかった。
「あーもう、わけ分かんね……ご近所様揃いも揃ってぶっ倒れるし変な犬は窓ガラスぶち破って来るし……厄日ってレベルじゃないだろこれ……」
「外から変な声も聞こえてきたしね……」
「……あ?」
外?
(……そう、いえば)
聞こえない。
さっきからあのドスの利いた声が聞こえてこない。
化け犬を殴り飛ばしたのは玄関の真逆。
後ろからどんな音が聞こえたか、覚えてない。
(まさか、そんなこと……)
いきなり身体が浮いた。
力任せに引っ張り上げられたみたい、に――ッ!?
(し、絞められて……!?)
気付かなかった。入られたことに気付かなかった……っ!
「きっくん!? あなた誰ですか!?」
「よくもやってくれたな……! 大した力もないくせによくも!」
(苦、しぃっ……! こいつ、本気で……っ!)
息が詰まる。目が痛い。身体に力が入らない。
「やめて! 離してください! 怪我してるんですよ!?」
「知ったことか! 今動けるということはお前もだな? 己の犯した罪をあの世で償うがいい!」
「つ、罪? なに言ってるの……!?」
(こいつ……っ!)
まさか美咲まで巻き込む気かよ!
(そんな、こと……!)
……動けよ。
こんな時くらい動けよこのナマケモノ!
「丁度いい。まずは貴様から――」
「――ぁぁあああああっ!!!」
「な――っ!?」
緩んだ。力が緩んだ。
(早く美咲を、どこかに、連れて――)
動けよ。早く。動かないと、また……っ!
「――よくやった、クソガキ」
その時、誰かの腕が支えてくれたような気がした。




