40.ダンス
頭が回っていないシルフィーを腕の中に閉じ込めて、ルークは満足げに微笑んでいた。
そして会場の雰囲気を切り替えるかのようにダンス曲が流れ始める。その曲に誘われて、多くの生徒たちがダンスホールに集まっていく。
「シルフィー、俺たちも踊ろう。」
「う、うん。」
ようやくルークの腕から解放されたシルフィーだったが、今度は手を引かれてダンスホールへと向かう。
まるで無邪気な少年のようにシルフィーを振り回すルークの姿は、シルフィーが知る小さな頃のルークの姿と重なった。
ーーあ。懐かしいな。
まだシルフィーもルークも幼かった頃。
シルフィーのハットン家と、ルークのイエガー家は、親が職場の良き仲間同士で、よくルークが親にくっついてハットン家を訪れていた。年が近いシルフィーが遊び相手になっていて、よくルークに振り回されたものである。
「シルフィー遊ぼう!」
明るくて快活な少年だったルークは引きこもりで引っ込み思案なシルフィーにお構いなしで色んなところに連れ回した。ハットン家の庭を駆け回ったり、ピクニックに出かけたり、乗馬をしたりと、とにかく外に出して連れ回したのだ。
たまには家でゆっくりしないか、と提案すると、頬膨らませて駄々をこねた。
「やだやだ!一緒に外で遊ぶの!」
そう言ってルークに抱きつかれると、シルフィーは何も言えずルークの言う通りにしてしまうのだ。
シルフィーを振り回す困った年下幼馴染。
それがシルフィーにとってのルークだった。
けれど、そのルークが変わったと感じたのは、確かヒューズと出会ってからだった。
その頃、シルフィーは同じ歳のヒューズとの婚約話が上がっていた。その為、時折ヒューズがシルフィーの家を訪ねてきていた。その時、ルークが遊びに来て、鉢合わせたのだ。
穏やかな笑顔でシルフィーと一緒にお茶を飲むヒューズを見たルークは目を丸くした。
普段社交界にも顔を出さないシルフィーが、ルークが知らない人物とお茶しているのだから、しょうがない。
「シルフィー、その人、誰?」
辿々しくルークはシルフィーに尋ねた。
本当は聞かなくてもルークには何となくわかっていた。
「この人はヒューズ=テネブライ。ルークと同じ公爵家だから会ったことあるかな。」
「何度か会った事あるよね。ルーク。」
「……うん。」
ヒューズとルークは同じ公爵子息として顔は知っていた。穏やかで勉強熱心と評判のヒューズは、シルフィーの隣がよく似合う男性だった。
「最近ヒューズとは本の話で意気投合したの。それで今一緒に話しているんだけど、ルークも一緒にどう?」
「いいね。ルークにもぜひ読んでほしい本があるんだ。」
二人とも本が大好きで、すっかり話が盛り上がっている。そんな雰囲気を割って入ることなんて、ルークには出来なかった。首を横に振って、まるでその場から逃げるようにハットン家を飛び出した。
貴族として、幼い頃から婚約話が持ち上がるのは珍しくない。ルークはシルフィーの婚約相手は自分だと思い込んでいた。
引きこもりのシルフィーを知る者は少ないのだから、ライバルもいない。
シルフィーは自分だけのもの。
そう、驕っていた。
けれどそれは全くの勘違いであった。
ヒューズと並んだシルフィーは見たことないほど楽しそうで、本当にお似合いだった。
追いつきたい。
ヒューズに負けたくない。
そんな思いに駆られて、それからルークはシルフィー好みの会話をするようになった。
「シルフィー、この本面白かったんだよ。」
「シルフィー、魔法覚えたんだ。」
ヒューズじゃなくて、自分を選んでほしい。
ヒューズに向けていたあの笑顔を、自分に向けてほしい。
ルークはシルフィーの気を引くために、一生懸命だった。
シルフィーは、そんな風にくっついてくるルークが可愛くて仕方なかった。けれど、ルークに気持ちに気付いていたわけではなかった。きっと姉をとられる弟のような気持ちだろう、と思っていた。
そんなルークからダンスの練習相手を頼まれるようになっていった。
「シルフィー!だ、ダンスの練習してくれない?」
「ダンス?」
「うん!」
「私は下手くそだよ。」
「それでも!シルフィーがいいんだ!」
必死なルークの様子が可愛くてついつい頷いてしまった。それから二人でダンスの練習をした。二人とも本当にダンスが下手くそで、何度も互いの足を踏んだ。
そんな時間も楽しかった。
けれど時間は待ってはくれない。
周囲はヒューズとシルフィーの婚約を決めたのだ。
貴族として婚約や結婚は覚悟していた。恋愛感情がなくても、仲良くやっていければそれでいいと、そう思っていた。ヒューズとも、恋仲というよりも友達という気持ちの方が大きかったが、結婚相手としては充分だった。
可愛いルークとの楽しい時間も、これでおしまい。
そう思っていた。
それが数年後、まさかヒューズから婚約破棄されて、ルークと契約結婚して、こうやってルークとまたダンスする事になるなんて、全く想像していなかった。
そして、ルークにこんなにときめく事も、想像もしていなかった。
「ルーク、ダンス上手になったね。」
「え?」
あんなにシルフィーを振り回すやんちゃな少年だったのに、いつの間にかこんなにカッコ良くなって、シルフィーをリードしてくれている。
あんなにダンスが下手で二人で練習しては足を踏み合っていたルークが、今はシルフィーをリードしてダンスしているのだ。
ーーそんなの、反則だよ。
シルフィーは自分だけ置いていかれたようで、少しもやもやする気持ちだった。
「ほら、昔も踊ったじゃない。」
「あー……。」
「忘れちゃった?」
「いや。うん。あったね。」
何とも歯切れの悪いルークに、シルフィーはむすっと顔をしかめた。不満そうなシルフィーを見たルークはバツが悪そうに視線を泳がせたが、シルフィーの前では嘘はつけなかった。
「あれは……その……口実だから」
「口実?」
「ヒューズとの婚約話は知ってたから、なんとか阻止したくて、頻繁に会いに行って邪魔してたんだよ。」
今度はルークが拗ねたようにそう答えた。
そのルークは、昔の頃の、駄々をこねてシルフィーを振り回す少年そのもので、シルフィーは思わず笑ってしまった。
「なんで笑うのさ。」
「ごめん。ルーク、昔から変わってないな、て。」
ルークは不満そうにむくれた。
そしてシルフィーの腰をぐいっと引き寄せ、強引にターンした。突然振り回されたシルフィーはされるがまま、ルークに身を委ねるしかなかった。引き寄せられルークの胸に顔を寄せると、ルークの速い鼓動の音が聞こえてきた。
幼い頃と違って逞しくなったルークの腕の中は、とても安心する。シルフィーと同じようにルークもドキドキしているのに、表情はとても大人っぽくて、心が奪われていく。
「シルフィー、俺シルフィーを支えられるくらいにはなったつもりだけどな。」
「そ……そうだね。」
シルフィーはルークから視線を逸らした。
ーーやめてよ、ルーク。かりそめじゃ満足できなくなっちゃうじゃない。
今度こそ、この楽しい時間が終わってほしくない。シルフィーはそう願っていた。




