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35.扉を開けて

 歓迎舞踏会当日、煌びやかな会場には学園の生徒たちが思い思いに着飾って集まっていた。

 日も沈み、星が散らばる空は宝石のように輝いている。その空の下、会場に集まる生徒たちも負けず劣らず煌びやかな衣装を着ていた。会場前の中庭では、待ち合わせをしている生徒たちが集まっていた。チラチラと周囲を見ながら自分が浮いていないか、身だしなみは整っているのか、チェックしている。

 そんな中ひときわ注目を集める生徒が一人。


「え。あの子、誰?」

「綺麗……!」


白い肌によく映える薄い水色のドレスを着た女子生徒が、何度も深呼吸して中庭に佇んでいた。誰かを待っているというよりも覚悟を決めるじゅんびをしているように見える。ここにいる誰よりも美しいのに、緊張している様子が何となく目を引く。

 そして何より、そんな綺麗な生徒ならば一度は学園で見かけているはずなのに、全く見覚えながないのだから、何となく目で追ってしまう。

 それもそのはず。

 なんせ彼女は魔法を扱う者の中では人見知り引っ込み思案引きこもりで有名なハットン伯爵家の令嬢、シルフィーなのだ。

 ハットン家の魔法を使って人目を避けて学園生活を送るシルフィーを見つけられる者は少ない。しかもいつもの地味な格好ではなくクリスティーナ仕込みのオシャレをしているのだから余計である。

 だが、周囲からそんなことを思われているとは想像する余裕もないシルフィーは、ただただ恐怖していた。


ーーこ、怖い!!


 普段意識も認識もされていないせいか、周囲から確実に見られている状況が怖くてたまらなかった。

 結局、シルフィーはルークから誘われなかった。誰と待ち合わせをしているわけでもなく、会場に入る勇気がなく、こうしてこの場に佇んでいるのだ。


ーー帰りたい。


目の前の大きくて豪華な扉を前にシルフィーは途方に暮れていた。分厚くて大きな扉の向こうには、これまで自分とは無縁の世界だと思っていた煌びやかな世界が広がっている。

 煌びやかで美しい世界は、眩暈がしてどうしても尻込みしてしまう。

 けれど、そこにルークがいるはずなのだ。

 シルフィーはきゅっと唇を噛み締めた。

 ルークの隣には、きっとカリナがいるのだろう。シルフィーは別に、ルークやカリナを見返してやりたいとは思っていなかった。けれど、自分の目でその事実を確かめたいと思っていた。まだ噂でしか聞いていない二人の関係を、自分の目で見て、ルーク本人から聞いて、それから事実を受け止めたいと思ったのだ。


 怖い。

 怖くて仕方ない。

 でもこの一歩がシルフィーにとっては、とても必要な大きな一歩に感じていた。


 シルフィーは決心して一歩、そしてまた一歩と、ゆっくり扉の方へと歩み始めた。


「お待たせ。」


 その時、シルフィーは後ろから優しく腰を抱かれ、甘く囁かれた。


「え?」


聞きなれた声にシルフィーは目を丸くした。ゆっくりと後ろを振り向くと、そこにはルークがいた。

 この扉の向こうにいるはずのルークが、今自分の隣にいることに、シルフィーは頭が追いつかず、ぽかんとしていた。


「ルーク?なんでここに?」

「なんで、て……。シルフィーがここにいるから、かな?」


ルークもシルフィーの様子に首を傾げた。


「カリナと一緒なんじゃないの?」

「カリナ嬢?ああ、あの噂ね。」


ルークはようやく合点がいったという表情を見せた。


「あれはフリーダンスの時に一緒に踊ろうって約束しただけ。舞踏会のパートナーになったわけじゃないよ。でも俺が生徒会の準備で忙しすぎて手が離せない時を狙ってそんなデマを流したんだろうね。」


困った様子を見せたルークに、シルフィーは呆然とした。


「嘘、だったんだ。」

「当然だろ。」


ルークがカリナを好きになったと思っていた訳ではない。けれど、噂を聞いた時はショックで色々な事を考える事が出来なかった。

 その余裕もなかったのだ。

 もし本当にルークとカリナが愛し合っていたら、と考えた時、シルフィーは目の前が真っ暗になった。

 そして、それが勘違いで、噂も嘘だったと分かり、じんわりと心の中で温かいものが広がっていく気がした。今まで張り詰めていたものが緩んでいく感覚に、シルフィーは自然と笑顔をこぼした。

 ルークはシルフィーのその笑顔に、頬を染めた。

 そして生徒会室に怒鳴り込んできたクリスティーナの姿を思い出した。


「シルフィー。俺さ、好きな女性を誘うのがこんなに大変だとは思わなかった。」

「誘う?」


シルフィーはキョトンとしていた。ルークとカリナがそういう仲ではないと知り、それだけで満足して気持ちがふわふわしていた。


「ごめんね、シルフィー。舞踏会誘うの遅くなって。」

「え……?」


 突然ルークはシルフィーの前で跪いた。

 会場の扉の前、待ち合わせの生徒たちをはじめとした多くの人々の視線が集まる中、ルークはシルフィーの手を取った。


「シルフィー、」


真剣なルークの表情に、シルフィーは吸い込まれるような心地だった。


「俺と一緒に舞踏会に行こう。」


周囲から小さな黄色い悲鳴が聞こえてくる。それを目の前で至近距離で言われたシルフィーはもっとたまったものではない。顔から火が出るかと思うくらい優しく甘く囁かれ、オーバーヒートするかと思った。

 けれどルークの視線は、シルフィーに縋るような必死な気持ちがこもっていた。

 その視線に気付いたシルフィーは、思わず笑みをこぼした。

 小さい頃のルークの姿と重なったのだ。

 大きくなってカッコ良くなって、成績も優秀で将来有望視されるルークは、シルフィーが知っている小さい頃とはかけ離れて見えた。

 けれどどうやらそれは違ったようである。


ーールーク、変わらず可愛いな。


 小さい頃にシルフィーに追いつこうと背伸びしていたルークは、一生懸命だった。

 そしてそれは今も変わらない。

 シルフィーのために、ルークは一生懸命になってくれるのだ。


「ふふ。行こうって、それ、誘うっていうか行くこと決まってるじゃない。」

「そりゃあだって俺たち、夫婦だろ?」

「それもそうだね。」


クスクスと笑い合うこの関係が心地よい。


「じゃあ、行こうか。」


 もう緊張の糸は解けてしまった。

 シルフィーはルークの手をとり、一歩を踏み出す。

 そして二人で舞踏会の会場へと扉を開けたのだった。


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