32.魔導書専門司書官
薄暗い生徒会長室で、ルークは不機嫌を隠さず頬杖をついて書類に目を通していた。誰もいない一人だけの部屋で、周囲を気にすることなく舌打ちをした。
「鬱陶しい。」
しかし不幸なことにその場にもう一人、ゼノがいた。
「ルーク怖いって。」
ルークが不機嫌すぎて他の生徒会のメンバーが寄り付く事ができないこの部屋に、ゼノは生贄のように追いやられていたのだ。
長年付き合いのあるゼノでも今のルークは怖いと思うのだから、他のメンバーなら尚更だろう。
しかしルークがここまで不機嫌になるのもゼノには分かる気がする。
「ま。苛立つのも無理ないけどさ。」
ゼノの脳裏にカリナが思い浮かんだ。見た目は可愛らしい令嬢なのだが、甘えた馴れ馴れしい態度がルークを苛つかせているだろうと容易に想像出来た。ルークの事だから引くくらい素っ気ない態度をしているはずなのだが、それでも気付かないのか、諦めていないのか、カリナの執念は凄まじいものだった。
「いやー。グリッド伯爵令嬢は相当図太いなあ。」
「まさかここまでとは思わなかった。」
ルークも想像以上だったようで、ため息が重い。
カリナは男性受けする可愛らしい見た目をしているので、甘えた態度を取られて嫌がる男性は少ないだろう。恐らく全くなびかないルークに、カリナも躍起になっているようで、手段がなり振り構わなくなってきている。
だからどうやって知ったのか分からないが、魔導書にも手を出したのだろう。
それにしてもヒューズをシルフィーから奪ってからまだ数ヶ月しか経っていないのに、こうもあっさりルークに乗り換えるとは。
「ヒューズ先輩も変な女に絡まれたものだ。」
「あー。ヒューズ先輩、女性慣れしていない分、良いように利用されそうだよな。カリナ嬢みたいな女性に捕まるって、テネブライ公爵家は大丈夫かよ。」
「ああ。ヒューズ先輩はテネブライ家の跡継ぎじゃなくなったぞ。」
「え?ヒューズ先輩って長男だろ?」
「ハットン家との婚約を一方的に破棄したんだ。テネブライ家がどんな手段を使ったのかは知らないが、ようやく手に入れたハットン家との婚約だったのにそれを破棄したんだからな。だからヒューズ先輩にはカリナしかないんだよ。」
勝手にシルフィーとの婚約を破棄したヒューズは、実家であるテネブライ公爵家から跡継ぎ剥奪を言い渡された。そしてそれは同じ公爵家であるイエガー家にも伝わった。
『ハットン伯爵令嬢との婚約破棄は息子ヒューズの暴走であり、テネブライ家の意思ではない。しかしこの事実をテネブライ家は重く受け止め、ヒューズを跡継ぎ候補から外す事を決定した。』
跡継ぎから外されたヒューズは、カリナ=グリッド伯爵家に嫁ぐしかない。だからヒューズはカリナに縋るしかないのだ。
だがその肝心のカリナがヒューズを捨ててしまったのだ。
ーーシルフィーとの婚約を破棄してくれた事は感謝しているが、ヒューズ先輩は散々だな。
昔、シルフィーとルークとヒューズの三人で仲良く遊んでいた事を思い出すと、寂しくも感じる。
そしてまた、ルークは重いため息をついた。
「ため息をつくと幸せが逃げるらしいよ、ルーク君。」
聞きなれない男性の声がルークとゼノしかいないはずの生徒会長室に響いた。
明るい口調が、この重々しい部屋には不似合いだった。
身構えて警戒するゼノとは反対に、ルークはぽかんと口を開けていた。
「貴方は。」
いつの間にか中年の男性が来客用の椅子に座ってのんびりしていた。ルークは立ち上がって恭しい態度で男性へと近付いていった。
先程までの不機嫌な態度が嘘のような丁寧な態度に、ゼノは動揺していた。
「一応ノックして声をかけたんだけどね。返事もなかったし、失礼ながら勝手にさせてもらったよ。」
「いえ全く構いません。気付かなかった此方の落ち度ですから。」
「はは、真面目だね。いやでもラビから聞いてはいたけど、本当にルーク君が生徒会長とはね。」
「ラビさん……ですか?もしかして、貴方が魔導書専門の司書官としていらっしゃったんですか?」
「そうだよ。」
「意外でした。」
「ドッキリが成功したようで何よりだよ。」
ニコニコした男性は、一瞬で雰囲気を変えてきた。ピリピリした緊張感が部屋に走る。
「さて。魔導書の話をしようか。」
ルークはゆっくりと頷いた。そして『石に刺さった剣』のことやこれまでの経緯について説明した。
「うん。ラビから聞いたとおりだね。実物を見ていないから何とも言えないけど、ラビが施した魔導書の制御魔法は解けかかっているね。ここ数日学園を見学させてもらったけど、魔導書の魔力が強くなっていってるよ。」
「その魔導書なんですが、今カリナという女子生徒のところにあるようなんです。」
「カリナ?」
「おそらく彼女の研究室にあるかと。」
「一刻も早く回収したいところだけど。研究室をもらっている優秀な生徒ならすぐ気付くかな。あまり心配する必要もないかもね。」
男性の言葉に、本来なら頷きたいところだが、それにはどうしても賛同できない。ルークもゼノも言いにくそうに複雑な表情を見せた。
「いえ。それは……。」
「?」
二人の様子と、ルークの歯切れの悪い答えに、男性は首を傾げた。
「カリナ=グリッド伯爵令嬢は少々問題がありまして、こちらとしても早く魔導書を回収したいところなんです。」
「おや。そうなのかい。研究室を教えてくれれば、勝手に回収しておくよ?」
「いえ。確かに貴方なら簡単にできるでしょうが、こちらも考えがあります。」
ルークは満面の笑みを浮かべた。
「せっかくなので歓迎舞踏会の際にこれまでの仕返しをしなくてはいけませんので。」




