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12.令嬢としての品位

 彼女からは、甘い香水の香りがする。

 昔はこの香りが好きだった。本人によく似合う可愛らしい香りだと思っていた。けれどそれは、腐り始めたリンゴの香りのようで、じわじわとシルフィーを犯し、蝕んでいった。

 シルフィーからあらゆるものを奪い、腐らせていく。

 まさに、この香りは毒なのだ。


 相変わらずその香りをまとったカリナが、シルフィーの後ろに立っていた。


「……カリナ。」


可愛らしく着飾って女の子らしい見た目と甘い香をさせたカリナは、相変わらずのようである。男性に媚びたような甘ったるい態度でシルフィーに話しかけてくる。


「ごめんなさぁい。私のせい、よね?」

「え?」


カリナは困ったような表情を見せた。全く心のこもっていない突然の謝罪に、シルフィーは嫌な予感を感じた。


「シルフィー、最近ずぅっと別のところに籠ってばかりじゃない。私を避けるのだってぇ、全部ぜぇんぶ私のせいよね。」


 そう言って突然ポロポロと涙をこぼしたのだ。

 泣き出したカリナに、シルフィーはぎょっとした。はたから見たらまるでシルフィーが泣かせたかような状況である。


「私、またシルフィーと一緒に勉強したいのにい、私が彼を好きになっちゃったばっかりにい!」


そしてワッと泣き出した。周囲も何事かとシルフィーたちの方を向く。多くの視線を集めて、シルフィーは頭が真っ白になった。

 緊張して何も言えない。

 吐き気がするような言葉を出すカリナから離れたい。

 けれど体が動かない。

 軽くパニックになっていて、視覚阻害の魔法もうまく発動させられない。

 シルフィーはただただ黙ってカリナを見つめていた。

 そんなシルフィーなんてお構いなしにカリナは一人舞台を続けていく。


「お願い!許して!シルフィー!」


 演技がかった態度で、カリナはシルフィーにすがるフリをした。

 触られるとさらに鳥肌が立つ。

 離してほしい、と心から思った。

 嫌な汗が流れて、呼吸もおかしくなっていく。

 けれど何も出来ずに固まっている。さめざめと泣くカリナを呆然と見つめるしか出来なかった。


「失礼。」


 シルフィーは、誰かにぐいっと引っ張られた。突然のことで驚いたものの、そのおかげでシルフィーはカリナから離れる事ができた。カリナと距離ができたことで、シルフィーはようやく息ができた。心なしか緊張も少しほぐれた気がする。

 シルフィーはゆっくりと息を吐いて、引っ張ってくれた人を見た。


「会話の途中ですみません、グリッド伯爵令嬢。」


シルフィーを助けてくれたのは、穏やかな笑顔を浮かべたクリスティーナだった。先程と変わらない令嬢としての鏡のような笑顔をしている。なのにシルフィーと話していた時と違い、どことなく笑顔が怖い。

 シルフィーは助けてもらったのに、何故か肉食獣に捕まった気分になっていた。一方、シルフィーを取られたカリナはムッとした表情をした。


「貴方はだぁれ?」


もうカリナの目に涙なんてない。


「初めまして。私はクリスティーナ=バーバルと申します。」

「あら。バーバル伯爵のご令嬢?はじめましてぇ。」


カリナはクリスティーナをじろじろと見てきた。見定めるかのような失礼な視線に、シルフィーは嫌な気持ちになった。

 しかしクリスティーナはカリナの視線なんて気にせず、堂々とした態度をしていた。さすが令嬢の見本といったその対応に、シルフィーは目を丸くした。


「初対面で失礼かと思いましたが、貴方の言葉は少し品位に欠けますわ。」

「は?」

「その謝罪は公衆の面前で行うものですか?そもそも、シルフィー様はまだ一言もお話になっていませんが?」


そしてクリスティーナはシルフィーの肩に手を乗せた。守ってくれているようなクリスティーナの対応に、シルフィーは思わず顔を赤くした。

 カリナが悔しそうにクリスティーナを睨みつけてくる。クリスティーナはその視線にも怯まなかった。


「貴方、どなたに向かってお話しされているんですか?」

「なっ!」


 クリスティーナの強気な態度に、カリナはカアッと顔を赤くした。そして周囲もざわざわとし始めた。

 部が悪いと思ったのかカリナはクリスティーナを睨みつけるだけで何も言わなかった。


「それと、グリッド伯爵令嬢は研究室を与えられた優秀な学生ですもの。私、グリッド様の興味のある分野の研究結果、楽しみにしていますわ。」


 カリナはもう何も言えなかった。プルプルと震えながら苦々しそうにクリスティーナを睨みつけていた。

 その時ちょうどよくチャイムが鳴った。


「ふん!」


カリナは鼻を鳴らして自分の席へと向かった。周囲もやり取りが気になっているようだが、授業が始まるので渋々自分の席へと向かっていった。

 みんなの視線が外れて、シルフィーはホッと胸を撫で下ろした。


「シルフィー様、差し出がましいことをしてしまいました。」


クリスティーナが申し訳なさそうにそう言ってきた。シルフィーは思いっきり首を横に振った。


「そんな事ありません!」


そしてモジモジと手混ぜしながらクリスティーナをチラチラと見た。その顔は真っ赤になっている。


「あの、」

「はい?」


そんなシルフィーをクリスティーナは優しく見守っていた。


「ありがとうございます。」


消えそうなくらい小さなシルフィーの声だったが、クリスティーナにはしっかりと届いていた。


「シルフィー様。」


クリスティーナはくすぐったい気持ちになっていた。一生懸命で、素直で、世間知らずで人見知りがすごく激しいけれど、その真っ直ぐで染まっていないシルフィーの言葉は、心に刺さる。

 純真無垢だからこそシルフィーの言葉は重みがあるのだろう。


「それはこちらのセリフですわ。私の心配事を聞いてくださって、ありがとうございます。」


クリスティーナは穏やかな笑顔でお礼を述べた。


「あの、シルフィー様。」

「は!はい!」

「シルフィー様さえよければ、これからも仲良くしてくださいませ?」

「も、もちろんです!」


シルフィーは声が裏返ってしまった。とても伯爵令嬢らしからぬ対応に、恥ずかしくて顔が熱い。けれどそんなシルフィーにもクリスティーナはとても優しい。

 こんなに優しいのに、カリナと対峙した時には凛とした態度をとっていた。

 その凛とした姿にシルフィーは知らず知らずのうちに勇気をもらっていた。





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