tail-05: 音符
右を見ても左を見ても人、人、人。大賑わいの意味を忘れたらこの会場を思い出すといいい。
外見と国籍が豊かな空間だ。イベントのために他国へ行く理由といえば、近いか、主義主張が敵対的でないか、ついでに見たいものがあるかだ。この場は白人至上主義でなく、共産主義でなく、寒冷気候でなく、鉄道がある。人は多様な事情を鑑みて最も楽な場所を選ぶ。
控え室への廊下までざわつきが漏れ聞こえる。チケットの確認や物販は現地スタッフが担い、彼らとの連携は通信機越しに、主にリグが担う。
メイドの四人は定位置で待機している。リグは通信席、ロゼは倉庫、レデイアは観客席、ダスクは舞台袖。それぞれが目となり耳となり、不審な動きを見つけては思い過ごしとわかりひと安心を繰り返す。
会場の上空には有線ドローンが二機と、そのドローンを経由した無線ドローンが五機。全方位カメラによる撮影や演出を担う。これらは会場側の設備とは別に五階が持ち込んだものだ。普段はドラムやキーボードの陰で操作しているが、今は操作権をリグに渡している。
有線ドローンが車を見ている。宿泊施設が用意したバスをはじめ、タクシーやレンタカーでの来訪が多い。現地人らしき姿は自家用車や徒歩もちらほら見える。彼らの怪しさとは、変な方角から来た車とか、車の大きさに対して出た人数が少ないとか、車に人が残った気配とかだ。もちろん善良らしき人影がほとんどだが、ひとつでも紛れる可能性がある以上、目を休めるのは早計だ。現に怪しい車を三台もすでに見つけている。
「リグから警戒情報。男一人、推定百七十、上半身は現地赤系。観客席ならおよそ一分後」
「レデイアからダスク、任せたい。こちらは遠い」
「ダスク了解、出入り口はすべて見えます」
時間までは誰も動かない。誰もが五階の動きに合わせて動き方を変える。どのように変えるかはある程度の規則性がある。変わる前すなわち今の動きを見ておけば役立つし、変わり幅が不自然に大きい小さいも材料になる。
あらゆる準備が物を言う。直前になってようやく可能な準備もある。前日のおかげで直前があり、直前のおかげで現在がある。
準備に必要なものは知識と発想だ。準備するべきものは何かの知識。自分だけが喋る演説ならば知識だけでも成り立つが、自分と相手の対話になれば足りない。準備させられる範囲はどこかの発想。暴力も対話の一形態だ。グーにはパーを、釘抜きには検問を、サリンには誘導路とガスマスクを、銃には銃を、ミサイルにはミサイルを。防御の限度を超えた先で先手を取るために。
では、現在が始まる。
楽器のひと唸りがざわつきを静まらせた。デモンストレーションを一人ずつ、舞台奥に最も近いドラムのアユムから始めて、ドラムロールに呼ばれてエレキベースのアレスターが、ベースも加えてキーボードのヨウが、最後に三つの楽器によるジングルに合わせてエレキギターのアリナが登場した。
挨拶はアリナが英語で、次いでヨウが現地語にフランス語にと主要な言語へ翻訳していく。賑わいに方向性が加わり裏方まで漏れ聞こえる量も増える。無線機でのやりとりには支障がない程度に。
「ここでも喋らないんすか、奥の二人は」
「私も聞いてない。レデイアからロゼ、そっちは?」
「配置よし。それとも声か?」
「ダスクから全員、まだ異変なし」
音楽ライブは大きな音を中心にした一体感が売りのイベントだ。乱入する側もその一部になる。壁越しとはいえ歓声や音が少しだけ漏れて、その漏れたものを合図に動く。アナログな手段だが通信機よりも確実だ。特に今のように、ただのガールズロックバンドには不似合いな電波妨害がなぜか動いている場では。
「リグからダスクさん、ポイントCの哨戒を。ロゼさんへ集めます」
「了解、姿を見せます」
「ロゼさん、二分後に七人ほど行きます。カメラを送ります」
「確認した。予想通りのRORAの連中だが」
銃は大きな手荷物かのように。照準器を使いにくい反面、薬莢を持ち帰りやすいとか、硝煙の拡散を抑えて痕跡を隠すとかの偽装として安価で役立つ。画像は全員に届く。ステージ上にいる五階も、ドラムやキーボードで隠れた小さな画面がある。立ち位置の都合もあり、見ていないのはアリナだけだ。
「ロゼから全員、他を警戒しろ。こいつらは陽動だ」
「リグ了解、根拠は?」
「銃を持っただけの若者が多い。これで本隊は無理だ」
引率の先生に着いていくだけの社会科見学なら、何が起きても眺めるだけでおしまいだ。目線が甘ければ見落としが増え、重心が甘ければ気づいても間に合わない。
ロゼは「私だけで片付くと豪語したが、決して楽な話ではない。仕事は片付くかどうかではない。片付けるのは大前提で、時間や手間をいかに減らすかが仕事だ。陽動とは時間を無駄遣いさせる役目だ。どれだけ安い命でも七つもあればエリート一人を上回る。
可能性のすべてに対応する必要はない。起こり得る範囲は可能性のうち一部しかなく、実際に起こるのはひとつしかない。そのひとつの中身を決めるのが対話だ。
メイドは四人であり、五箇所で同時に動けば必ず一箇所は通る。だが相手は四人である事実を知らないし、統制の限界がある。
同時でなければ順番に片付けられる。動けない時間を長引かせるのがせいぜいの知恵なら、ずっと動けなくて構わない。突破できそうな弱みを見せておく。誰かがあわよくば突破できそうだからもっと頑張る。その誰かとは自分であってほしいと欲を出す。欲は頭を占拠する。手順を間違えれば結局は何も成し遂げられない。
「レデイアから全員、観客席に不審な動きを確認。向かう」
「了解。リグからダスクさん、そっちにもいますね」
「代理ロゼからリグ、今のダスクは答えられない、廊下から表へ向かってる」
「なぜです?」
「警戒だ。新兵で陽動して本命へ向ける目を削る気なら四方から来る。それに道があるからな」
二重三重に仕掛けるのが陽動の常だ。そして成功と失敗は、その先の四重五重を読み切れるかで決まる。
観客席からステージを狙う者がいる。対処は楽でも時間がかかるし、もちろん無視したらおしまいだ。それを隠すように怪しいだけの動きをする者がいる。徒労だと思って無視したら紛れていた本物が完遂する。そんなのに気を取られていたら舞台裏へ押し寄せる部隊へ回す手がなくなる。的を撃つだけなら練度はいらない。
目の数と方向には限りがある。怪しい者が集める間に怪しくない者が動く。攻撃側はいつどこから動くかを決められる。
では防御側は手も足も出ないのか? 答えはもちろん否、いつでもどこからでも来る前提で備えている。飛び込めるような穴はないし、頑張って穴を開ける様子をただ眺めるだけでもない。
攻撃三倍の法則だ。攻撃側がまともな成果を得るには防御側の三倍の兵力が必要になる。防御側は戦場を選べるし、支援を受けられるし、勝利条件を決められる。攻撃側が決められるのはタイミングだけだ。障害物の位置や影響力を、攻撃側はどうにか調べた断片的な情報から大急ぎで判断し、時には賭けに出る。対する防御側はあらゆる正確な情報を基に悠々と正解だけを選ぶ。
「こちらヨウ。区画C8に一人、右胸に拳銃」
五階の目もある。演奏の真っ最中でもお構いなしの腹話術だ。銃口が自分へも向いた中でなお肝が据わり、しかも護衛対象がまともに情報を扱えるなどまたとない高待遇だ。ありがたく使う。
「リグからルルさん、C8に一人、右胸に拳銃だそうです。確認を」
「了解」
結果はすぐに届いた。
「完了、先の一人と合わせて裏へ送った」
「やけに早いっすね」
「合図がある。ドラムからの」
事前に共有した楽譜だ。即時性を求める状況ではヨウからリグを経由するひと手間が憎い。楽譜にない即席アレンジを符牒にしたら舞台から直接の情報を届けられる。通信席では雑音を防ぐ都合で届かない音だ。
曲がひとつ終わり、アリナから観客への連絡をした。なんだか変な連中が紛れてるみたい。でもなんとかするから安心して。ヨウが翻訳して会場を味方につける。掃除が早く進む。
次の曲は予定から変えて、インターネットミームで話題になった振付けがあるものにした。曲の途中で一斉に姿勢を下げたり上げたりする。熱心なファンなら知らないはずがなく、ノリのよい者ばかりが集まるこの場なら、ぽつんと立ちっぱなしの者はよく目立つし、姿勢を下げっぱなしても目立つ。居すぐりと立ちすぐりだ。
観客席は綺麗になった。パニックを起こさせる計画はもう使えない。
「レデイアからロゼ、そっちに加勢する」
「ダスクからリグさん、こちらは静かです。戻ります」
「二人とも少し、三分だけ待機してください。そのくらいで次の可能性が来ます。場所は北側」
ドローンの目を遠くへ向ける。電子的ズームだが会場よりずっと遠くまで見える。見るべき遠くとは車の他に屋上もある。事前に可能性を見ていた建物、狙撃向きな建物。
そこにちらりと動きがあった。出番が来てしまった。
「リグからルルさん至急、通信席を交代、うちは上に」
「了解。ロゼ?」
「聞こえてる。こっちに動きはない」




