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tail-02: 懸念

 仕事の日に限って気まぐれになる連中がいる。普段は杓子定規なくせに、急に駆け足で三歩進んだかと思えば行きすぎて二歩下がる。彼らの名は太陽と時計だ。


 乗り換えを増やせばもう少し素直に動く。中継地クアラルンプールとホーチミンなら太陽も時計もちょっと遅くなるだけで済む。時間は主観で丸二日かかるものの、考えなしでも時差ボケを抑えらえる。


 しかし彼女らはプロだ。事前に現地時刻に合わせた生活リズムで三日、行ってきますと言ってから現地に着くまで主観で一日半、現地では初日に拠点を確保してから情報収集を九日。この間はロゼとリグの二人旅だ。


 ここはトルコ国際空港。眠に短し食事に長しの待ち時間で二人の内緒話があった。


「そろそろいいですか。ロゼさんの企みについてですが」


 グループでの付き合いはそれなりの二人だが、互いの関係はいまだに、恋人レデイアの友人と、恩人レデイアの恋人だ。直接の交友はこれから築く。性格がいくらか似ているのは知っているし、性格の出し方が少しずつ違うのも知っている。


 まだ雑談より仕事らしい話のほうが馴染む。焦ることはない。会話は周期を合わせて成り立つ。慣れた仕事の周期で始めて、スローとクイックの出し入れで反応を窺う。学校で教わる話の総合的な応用だ。小学校レベルの音楽で、中学校レベルの理科で、高校レベルの現代文で、大学レベルの数学で。誰も教えてくれないのは最初の一歩だけだ。


「探し人っすよね。どなたを?」


 ロゼは周囲を目で探った。慌てた様子で連絡する男、案内板を睨む中年グループ、おしゃべりに夢中な若者。誰も自分たちを気に留めないし、喧騒にまぎれて録音機は役に立たない。周りに聞こえるのが中国語とフランス語ばかりなので、多国籍の空間に英語を仲間入りさせた。


「ダスクと私の初対面を知ってるか」


 首を振った。リグが知る範囲は本人から聞いた断片だけだ。お嬢様と付き人の関係で始まり、ある時に全てを失い、二人だけで生き抜いて、強い絆を育み、レデイアと会って終わる。クライマックスだけは詳しく聞いたが、過程は概要だけで、始まる前はせいぜいイギリスから移住した程度しか知らない。


 メイドは問題児の集まりだ。誰の過去へも踏み入らず、ロゼもその気遣いを理解し黙っていた。リグなら調べられると思われているが、期待と実態の間には溝がある。隠しては進められない今、昔話を始めた。


「あいつが四歳の頃だ。人買いに連れられて、私の家に来た」


 奴隷商。治安の問題は調べたばかりだから驚きもしない。ちょうど二十年前で、ロゼは五歳だ。


「私はそんな背景を何も知らなくて、妹ができたみたいに喜んでさ。仲良くやってたんだよ」


 ロゼの表情は穏やかだった。周囲に違和感を見せない意図もあろうが、リグの目には克服した過去に思えた。起伏には敏感だ。そうでなければメイドなんてやってられない。


「知ったのは十五の頃、家も家族も炎に消えた後だ。私は稼ぎ口を探して人の良さそうな女と話してたら、ダスクが血相を変えて飛んできた。あまり乱暴に追い払うものだから、知ってる顔かと訊ねて、言いづらそうだが粘って、ついにすべてを知った。ダスクは怯えてたが私は大喜びだ。燃えてよかった。汚いものすべてが、汚い連中が。吹っ切れたね」


 ロゼは裏社会の解体屋と呼ばれている。解体屋が裏社会にいるのではなく、裏にある社会の解体を繰り返している。実力行使はもちろん、白日の下に曝け出すこともあった。なぜそんな活動を始めたかを誰も知らなかった。


 原体験だ。自分が損失を被ってでも成し遂げたい結果がある。痛みを厭わずに動ける目的がある。言動や行動にはロゼの琴線と逆鱗が浮かぶ。信用だ。後ろめたい行為をしてはならない。嘘で誤魔化してはならない。目標や責任を明確にする。すべて信用に基づいている。


「ご注文通りのDNA鑑定キット、つまり探す相手は」

「ダスクの父親」


 この一節だけは日本語で言った。周囲のどの言語とも違い、かつ英語よりも知名度が低い。


「どうやら現地でそれなりの地位にいるらしい。情報源はだいぶ怪しいが」


 本当に怪しすぎる。それなりの地位とは、真っ当に考えれば官僚とか企業の重役とかだが、今回の行き先はもっと辺鄙な地域にある。産業特区と言っても周囲との繋がりが薄い場所に重役はいない。まさかロゼが仕事をそっちのけにして私用に入り浸るはずがない。矛盾なく成り立たせるには三つのパターンがある、初日の通りがかりだけで調べ尽くす計画か、実家に帰っているか、あるいは、辺鄙な地域での地位を持つか。


 ところで今回の仕事はギャング団の襲撃まで想定した護衛だ。最悪に面倒なパターンであり、しかも怪しい情報源との親和性が高い。愛娘を奪われた怒りで、あるいは自主的に娘を金に変えたなど、いくらでも成り立つ話がある。どうであれダスクが経緯を知らないので結末の予想がつかない。


 体毛か体液を採取するのは難事だが、これまでにも似たような難事がいくらでもあった。隣に寄って、落ちそうな毛を拾う。


「地道でデリケートな作業を頼むからルルさんや本人よりうちに、ってのはわかりますがね。その話、本人には?」

「してない。半端な情報でぬか喜びはさせられない」

「喜ぶかどうかも微妙っすけどね。まあ、見つけたなら本人が決めるでしょう」


 話がまとまった。リグは拳を出し、ロゼの拳と突き合わせた。


「やってやりますよ。相方の戦友とその戦友のためっす」

「恩に着る」


 時期は先遣隊だけで動く一週間、《《偶然にも》》近くを通りかかって落ちた髪を取る。


 誰もが無視するゴミの山にこそ宝が眠っている。リグは自称・四人の中で唯一なにもない凡人だが、執念深いゴミ漁りから始めた活動が実を結んでこの場にいる。ロゼに直接は見せていないが間接的に関わる事象からきっと気づいている。


 人にも流れがある。流れを無視すれば相応の痕跡ができる。痕跡がないならば乗り場の位置を逆算で求められる。本当になにもない凡人ならばメイドの道を選ぶきっかけもなければ進む足もない。きっかけは些細な偶然かもしれないが、選んでからの経路は紛れもない意思だ。


 流れを読む。人は食糧なしでは生きられない。食糧はあまり日持ちしない。食糧の自給自足は他の活動と両立が難しい。だから買いに行く。こまめに。買えば人との繋がりが生まれる。自分で直接は動かない者でも、どれかの下っ端とは繋がっている。見つけられれば辿り着ける。


「結局のところ危なっかしい連中の調査はしなきゃいけないんで、誤差っすね。とはいえ詳しい情報を教えてくださいよ。街並みとかじゃない、もっと闇が深い部分を」


 空港を歩く人の層が変わった。他の便が出て、また別の便が来た。自分たちの便まではまだ時間がある。聞こえてくる言語の移り変わりに合わせて目立たない言葉に切り替えた。


「闇ねえ。砂漠を歩く方が多かったからな」

「それっすね。町より砂漠の方が安全な理由、つまりは人間がいちばん危険って話があるんでしょう」

「金がなければ宿もないからな。砂漠なら穴を掘るだけで隠れられるし、衛生問題も解決だ」

「灼熱と極寒と乾燥と飢饉と研磨、ひとつでも耐えられなければ死ぬからですね。物好きな人間と、あとはスカラベやラクダあたりですか」


 自分が耐えられても餌が耐えられなければ。生きるためには水と死が必要だ。死がない場所に命はない。死が生を育む。果実や乳は一見して死ではないが、それらを育む過程に死がなかったとは言わせない。虫や菌の死に始まり、無数の加工を繰り返して果実や乳になる。


 人間の強みは運搬にある。何年も前の水と死を持ち運び必要なときに取り出す。オアシスに頼る獣では決して辿り着けない場所へでも携帯オアシスを頼りに開拓できる。


「ああ、それで思い出した」


 ロゼは一転して神妙な顔つきになった。童顔と低身長のおかげで拗ねているようにも見えるが、付き合いの長さで説得力を補う。周囲の目を欺くのも仕事人の技だ。


「人が死んだらどうなるか、知ってるか」


 リグには答えがなかった。もちろん見たことはあるが身近にではない。誰かがなんとかすると知っているだけで、具体的に誰が、具体的に何をするかは知らない。色々の果てに霊安室へ届いた後なら経験がある。ロゼが言いたいのは色々の中身だ。


「人は死んだら宝箱になる。服や金品が詰まった宝箱に。見つけたらラッキーだが、中身のすべてを持ち去るのはだめだ。警察の取り分を残しておく。満足する程度にな」

「それは」

「これから行くのはそういう場所だ」


 思っていたのと違う形が続いた。原始的でわかりやすいが、故に扱いにくい。自分たちのようなよそ者が同じことをしたら別の問題がついてくるし、積極的なトレジャーハンターがいるかもしれない。少なくともギャング団はそうだ。


 政治は民を支配する。直接的にああしろこうしろとは言わない。報奨と罰則の有無や量を少しずつ調整するだけだ。世は多量の何かが重なりあってできている。風が吹けば桶屋が儲かり、桶屋が繁盛を祝えば料理人と一次生産者と流通が儲かる。関わった人が増えるほど隣人のすべてが善良とも限らない。自分が儲からなかった妬みからやけっぱちに走るかもしれない。


 もし隣人を調べられたら? 妬み深いグループの隣人を儲けさせればその儲けによって治安が悪化する。妬み深くない人の隣人が儲かるようにするだろう。


 だが実際は調べ尽くせない。見えない中で誰もが善政に努めている。治安は生産性になり、生産性は豊かさになり、豊かさは治安になる。自分に返ってくる結果だ。善い結果を求めて、しかし不運や見落としがあればさながら意図的な恐慌を起こしたかのような糾弾が飛び交う。


 どこの国でも起こりうる。民主主義システムは遅さと手間さを飲んでリスクを下げているが、それでもなお起こりうる。他のシステムで動く国ならなおさらだ。鶴の一声で方針を動かせる国を望む声もあるが、上手くいく間はいいが、その成果はいつでも破綻のリスクと隣り合わせにある。すぐに動くものはすぐに動かなくもなる。


「元気なら親切にしてくれるし、弱ってそうなら心配してくれる。だが本当に弱ってると気づかれでもしたら、わかるな」


 見識はそれなりに広い気でいた。粗悪な薬物も人身売買もマフィアのフロント企業もこの目で見たことがあった。しかしそれらは欲望を満たす過程にある芸術的な策謀だ。日銭に群がるのとは違う。どんな極悪人でも奇跡的に正しい言葉を届けられれば説得できるかもしれないが、善良なピラニアは決して説得できない。食えるから食う。食えなければ食える化して食う。見当違いを期待して食ってみる。


「念のためですが、ロゼさんがいた頃の話、っすよね」

「人が変わるには十日で足りる。だが人々が変わるには十年でも足りない」


 一見すると絶望的だが、理屈を持って読み直せば似た経験がいくらでもあった。届かない範囲に敵がいても問題なんか何もない。届かない範囲に友がいても助けられないのと同じく。


 もちろん絶望的ではない程度に厄介なのは変わりないが、プレッシャーがあろうとなかろうと、手順が同じなら結果も同じになる。まず技術があり、どこまで台無しにしたかが結果になる。台無し耐性の強弱がプロとアマチュアを隔てる。


 飛行機の時間だ。他の乗客の搭乗を待つ。ここからの話は隠す理由もないから、聞きやすい声で。


「厄介ついでにうちからもひとつ。大丈夫ですかね、あの二人を残して」

「なんだ?」

「知らないんすか。このごろあの二人の仲がいいのを」

「ダスクと私の絆を甘く見るなよ。レデイアだってお前を裏切るような奴じゃないだろ」

「知らないんすね。泊まりの仕事とか結構ありましたもんね。じゃあ意味がわかると怖い話でも始めましょうか」


 離陸前後の騒ぎも落ち着いた。快適な空の旅を恐怖で彩る。


「たまにですけどね。あの二人がランチを一緒に食べてるんすよ。うちにも内緒で。場所はいつもの食堂で」

「そんなの誰でも、いや、まさかだが」


 ロゼの顔が絶望に染まった。レデイアの手料理はあちこちで評判が最悪だが、リグでさえ泣いて許しを乞う地獄の逸品だが、万が一にでも理解者が生まれてしまったとなれば。


「ここ最近のルルさんがね、元気なんすよ」

「新婚の力かもしれないだろ」

「冷蔵庫にね、タッパーが増えてるんすよ」

「新妻だ新妻、先輩だぞ私らは」

「うちが増やしたのとは別で、増えてるんすよ」


 もう逃げられない。記憶が吐き気を誘発する。栄養だけは豊かだが味と舌触りが絶望的なスムージーが、地獄のワームチャーハンが、暗黒のタガメ雑炊が、つい昨日のように記憶から飛び出てくる。ロゼも大好きな米料理だからと食べてはみたが、退治するべき存在に近しい姿が、半端にパリパリとした食感と味が、今すぐに逃げろと本能に囁いた。長い極貧生活でこの世の絶望の味を知ったなど思い上がりだった。善意の舗装さえなければ気軽な拒絶で片付けられた。下には下がある。のどかな食卓に盛り付けられた絶望。心理学の言葉でダブルバインドという、恐怖と安心を混ぜるとより大きな恐怖になる。愛でさえ乗り越えられない味覚がある。時代が違えばダンテ・アリギエーリの地獄巡りにレデイアの食堂があった。レデイアの料理を食べたものは飲食店を探す癖がつく。特に二十四時間営業のテイクアウトをお釈迦様と呼んで皆で共有し、肯定的な噂を流し、定期的に世話になって利益を安定させる。カンダタの二の舞にはならない。


「なあリグ」


 ロゼは青い顔で、縋るように呟いた。


「私らも仲良くランチしよう。もう遠慮なんてしてられん」

「奇遇っすね。うちも同じ申し出をする気でした」


 好きで繋がるよりも、嫌いで繋がる方が協力できる。好きとの向き合いかたは多様だが、嫌いとの向き合い方は決まっている。


「ところでルルさんって、あの人たちの晩酌に招待されてましたよね」

「やめてくれ」

「うちもやめてほしいっすけど、まあ、覚悟と助け合いだけは何がなんでもしましょうか。同盟っす」


 客室の空気がどうであれ、飛行機は穏やかに飛ぶ。雲ひとつない空を。

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