いばら姫と騒がしき森の中
胸いっぱいに吸い込めば、すぅとした薄荷水の様な空気に満ちる森の中に漂う、張り詰めた気配。それを醸しているのは、サンドリーネ。
「ん!男の子!ん!」
男の成りをしている彼女には、てんで興味がない様子のパッパリーヤな王子。ふん!ズルズル……。ゼリー状のソレをひと息吸い込む。一度合わした視線を、プイッとローズの方に向けた。
満足そうに微笑むペロー伯爵。娘に続いて臣下の礼を取る。
「ごきげんよう、殿下。朝のお散歩で御座いますか?」
「ん!えと?だれ」
「お城に仕える者ですよ、そしてサンディの父親でございます」
「サンディ?」
フン!ズルズル……。タリリ。視線を再びサンドリーネに移した王子。慌てて父親の言葉を打ち消す彼女。
「ち!違いましてよお父様。わたくしの名前はサンドリーネですわ!」
「?……、女の子の名前だよ!ソレ!知ってるもんね、あの子はいないの!おしろに来ないもん!君は男の子なのに、どしてその子の名前を言う?」
「わたくしは女ですわ、王子様、事情があり、男の服を着ておりますが……、れっきとした令嬢で御座います」
ズルズル……、テリリ。グルグル……、クルルルルル!渦巻きが高速回転をし始めた!視線を下げているローズだが、エアリーのちょっと見てみん?目玉グルグルやで。の声にそろりと見れば……。
……、はう!なんですの?目玉のグルグル模様が動いてましてよ!魔女達にお聞きしたいですわ。それか魔法書で調べてみたいですわ。あら?何かしら……。
手のひらがムズムズと、こそばゆくなったローズ。彼女の本の虫が動いている様子。キュッと握りこぶしを作ると、だめよ。後でね。となだめた彼女。
「はくひゃく令嬢?男のコの服を着てる?変だ!おかしい!このまえ読んだ、おとぎ話ではあべこべの服着た、悪い魔女が出てきたしぃ!はぅ!お前はその本から出てきた魔女らな!魔女は火炙りって、書いてあったし!えひえい!えひえい」
ローズがグッパグッパとしている最中、ますます騒がしくなる森の中。木馬を引っ張っていた衛兵が命を受け、動くべきかどうか、状況を見定めている。そこに哀れなサンドリーネの声が響く。
「ち!違いましてよ!王子様」
妻にそっくりな娘の事が、愛おしい父親の声が重なる。
「違います!我が息子は少しばかりおつむりが奇しく!バカなのです!自分のことを女だという病気なのです。殿下!」
「お父様!バカとはどういう事ですの?」
「サンディや!お前は男なのだよ!殿下もそう仰られておる」
「フン!ズルズル。およふく、間違ってないよ!僕は。エッヘン!そだよ。女のコがドレス着てないのは、おかしいのだ!」
そうでございますとも!殿下!お利口さんでいらっしゃいます!王子に付き添う侍従のひとりが、場を収める為に声を上げた。そして封書を一通、恭しく主に手渡した。
「フン!ズルズル、ズルズル……。エッヘン!そこな赤いおよふくの女のコ。近うよれ」
ひい!手のひらに気を取られていたローズは、息を飲んだ。とんでもない事が起こりそうな予感が、彼女をひしひしと包む。やはり空に逃げ出しておけば……。後悔の念が胸の内にフツフツと音立て沸き起こる。
「はい……」
頭を深く下げたままで、ドレスを上に引き上げしずしずと近づく。
「フン!ズルズル……、お名前は?こたえよ!」
「名は……、ローズですわ」
「ローズ!コレをそなたに、城で待ってる!」
手にした封書を、再び侍従に手渡した王子なのだが……。それを受け取った侍従は少しばかり顔をしかめると、見たところ異国の御方でございますゆえ。と申し立てた。
「少しばかり彼女とお話をしてもよろしいでしょうか?殿下」
伺う彼に鷹揚に頷くパッパリーヤな王子。木馬に跨った彼は両足をパンパン、腹に当てて遊び始める。
「失礼では御座いますが、旅の途中でしょうか?お嬢様」
ローズに問いかけた侍従。
「ええ、そうで御座いますわ。向こうでお供の者達がいますの」
エアリーがサワサワ、ザワザワと枝葉を揺する。
「お急ぎでございますか?」
「ええ」
ローズの答えを受けた侍従は、白馬の木馬に騎乗する主に、この『舞踏会の招待状』をお渡しする事は、無理ではないでしょうか。と伺う。
「ん!旅の途中?むぅ!せっかくの、赤いおよふくの女のコなのに!」
「それはそうでございますが、殿下。今宵の舞踏会は特別なもので御座います。他国の御方をお呼びになられるのは……」
「おととい、読んだお話だと、旅の途中のお姫様と結婚する!王子様がいた!だから渡せ!ダイジョーブなのら!」
青の瞳に描かれた渦巻きが、再び高速回転を始める。
……、ダイジョーブではありませんわ!
即座に断りたいローズ。
「でも殿下、先をお急ぎになられているのですよ」
「うううん!渡せ!渡さないと、これから、お野菜食べないもんね!ケーキばっかり食べるもんね!フーンだ!フーンだ!ぷんぷん!」
足をバタバタと動かすパッパリーヤな王子。困り果てた侍従。宙に浮いた一通の招待状。それを羨まし気に見つめるサンドリーネに気がついたローズは。
……、もしかして、招待状を手に入れれば、わたくしの代わりにお城へ……、という事も出来るのではないかしら……。
ふと、思いついた。プンスカ!プンスカだもんねぇ!お城に戻ったら、お母様に言いつけてやるモンモン!フーンだ!とタダをこねる主をどうしようかと悩む姿の侍従に、ローズは声をかける。
「行けるかどうかは、お供の者に聞かなければなりませんが……、お受け取りだけなら、受け取りましょう」




