いばら姫とお父様とパッパリーヤ!
ザワザワ……、不穏が風に混じり、新緑の梢を揺らす。この辺りにねぐらを持つ小動物達は既に逃げて気配はない。泉に住まう、水面でチチロチロロと、泳ぎ銀の鱗を煌めかす小魚の群れも深く姿を隠している。
「ローズ様。ひとつお願いがございます」
前門からは馬の蹄の音。後門からは野太い馬の蹄を真似る声が刻々と近づく中、サンドリーネは真剣な面持ちでローズに話す。
「魔女の『魔』の字も出さないで下さいまし。そう……、旅の途中で近くに天幕を張っているとか、朝の散策でここに来たとか……、そういう事にして下さいまし」
「はい。構いませんけれど……、何故ですの?」
キョトンと問うローズ。柔らかな寝台の上でうつ伏せで肘たて顎を支えているかのような成りを取っているエアリーが、ああ!そやな。とサンドリーネに同意をする。
「エアリー?何故ですの?貴方はわたくしと違って、世俗に詳しいですわ、どういう事ですの?」
「そりゃぁ、魔女は火炙りっつぅ事を、言い出すもんもおるちゅうことや」
「火炙り!」
思いもかけない返事に、口に手を当て隠しつつ、淑女らしからぬ声を上げたローズ。深く頷くサンドリーネ。
「ええ、ですから……、あら!お父様が!」
ササッと回り、ローズの背の後ろに隠れたサンドリーネ。ザッ!ヒヒン!嘶きひとつ。低い灌木を飛び越え、栗毛の馬が姿を表す。
「サンドリーネ!やはり!ここにいた……か。ん!」
ドウドウ……、手綱を引いた父親。ポンポンと首筋を労る様に手を当てた後、きらびやかなドレスをまとうローズの成りを、上下に目視。動じる事も無く、背筋を正し、にこやかなる笑みを浮かべる彼女に、自身より身分が遥かに上を察知する父親。
馬から降りると手綱を握ったままで、深く一礼を取る。
「旅の途中ですわ、お気になさらずに」
「お心遣い感謝致します。私はペロー伯爵。この先にある瑠璃の館の主でございます」
「わたくしはローズ。旅の途中でこの森で、夜を明かしましたの」
「それはそれは。共のお方は何方に?」
「向こうにて天幕を張ってますわ、綺麗な森ですから、少しばかり散策をしてて、侍女と離れてしまいましたの」
怪訝な顔をした父親だったが、娘と同じく、風の娘の姿が見えないエアリーが機転を利かし、辺りの枝を揺すり音を立てる。
「それはそれは。近くに来られている様子ですな。ところでローズ様。背後に居る者の事ですか……、渡して頂けませんか」
「サンドリーネの事ですか?彼女は嫌だと言うと思いますが……」
……、パッカッ!パッカッ!パッカッ!パッカ!ガラガラガラ……、パッカッ!パッカッ!パッカッ!パッカッ!!ガラガラガラ。
野太い声の集合体と、草地をえぐり削りながら進む音が近づいてくる。それと混じる底抜けに脳天気な声も。それを耳にした父親は、伸び上がる様にしその方向に顔を向ける。
それにつられて、ローズとサンドリーネも後ろを振り返る。軽く嘶き、ザッザッと前足で地面を掻く栗毛の馬。不安をみせるそれに父親は落ち着くよう、首筋に手を当てる。
「お父様、先にお帰りくださいませ。わたくしはちゃんと家に帰りますから……」
「ならん!殿下がこちらに向かっているではないか!お前はあわよくば今宵、城にて嫁選びの為に開かれる、舞踏会の招待状を手に入れようとしているのだろう!」
「……、そ、そうですわ。お父様。魔女の呪いを解く唯一無二の方法ですもの。わたくしの真実の愛の口づけで、王子様はお馬鹿さんではなくなり……、その後求婚さえして頂ければ、わたくしは死ぬことはないのです!きっと王子様はわたくしを選んでくださいます!」
「くぅぅ!魔女め!つまらんしくじりをしてからに……!見つけたら火炙りにしてくれるわ!いや!ならぬ。我がペロー家は代々学者、その娘が世界一の馬鹿と結ばれるなど言語道断!」
ローズを挟み、親子喧嘩が始まる。火炙り!ローズは自身の事を漏らさぬ様、気を引き締めた。
「結婚する時には、わたくしが持つ叡智を分け与えておりますから、お馬鹿から卒業されております!」
「お馬鹿からご卒業された殿下が、お前を選ぶ確率はどれ程あるのだ?馬鹿だが見栄えだけは良い殿下、青鼻をタレた今は、どの令嬢も避けておられるが、まともになったら……、選ばれなければ、お前はどの道、死ぬのだ。良いように利用されるのは、ペロー家の恥。清らかなる身のままで、我が麗しのエリーゼの元へ逝け!」
まあ!なんと酷いお父様なのでしょう。ローズは目を丸くする。
「お父様は、わたくしよりも家の名が大切ですの?お母様の元へ逝けとは……、酷いですわ!お母様のドレス、たった一枚残されていたコレも……、こんなになさるなんて!」
ローズの後ろでボロに成り果てた、形見の品を握りしめるサンドリーネ。
「わ!私もその様な事をしたくはない!できることならお前には幸せな結婚をしてほしい。だが……だが……!殿下だけはイカン!公衆の面前で……、私は耐えられそうもないのだ。麗しのエリーゼそっくりのお前がお前が……」
こみ上げてきた愛情に押し負けたのか、目頭に手を当てる父親。ハタハタと涙が落ちる。
「あの……、口を挟む御無礼を。その。どうしてその様にお厭いになられますの?舞踏会でその、殿下とのキスが、そんなにお嫌なのですの?」
ローズの問いかけに、来たらわかります。と言葉少なく答えた父親。そこへ、……。
……、パッカッ!パッカッ!パッカッ!パッカ!ガラガラガラ……、パッカッ!パッカッ!パッカッ!パッカッ!!ガラガラガラ、ギッ!
「パッパリーヤ!はいどうどう!おや?誰かいる」
殿下と聞いていたローズは、サンドリーネや父親に習い、深々と頭を下げて出迎えた。
「ん!赤いおよふくの女のコ!それと男の子と馬のヒト!頭を上げよ!」
スッゴイのが……、エアリーの声がローズの耳に蘇る。今は……、耳にはゼイハァ。男達の息乱れる音、エアリーの声は混じらない。高みの見物と洒落込んだ風の娘は、上空高く漂いホクホクしながら、成り行きを眺め下ろしている。
頭を上げよ。と命じられ、そろそろと面を上げたローズ。興味深げに見知らぬ彼女を見下ろす、王子の視線にかち合わない様、その整ったと聞いたご尊顔をちろりと見れば。
青い瞳、大仰な羽飾りがあるつば広帽の下には、太陽の光宿す金の髪。鼻筋通った見目麗しい王子が、台車の上の白馬を模した木馬に跨がっている。
「フン!ズルズル。赤いおよふくの女のコ、だあれ?」
そう言った後もう一度、形の良い鼻から左右にぶら下がる青鼻を啜りあげる王子。右がズルズルと上がれば、左が、タラァンと下がる。ふう、息を吐けば鼻の穴からちろりと先見せ入った、うっすら青緑色の鼻水がてりりと下に降りてくる。
フルルと顔を動かすと左右にペトペト揺れる鼻水。ズルズル……、啜る王子。たりり。下がる柔らかなゼリー菓子の様な鼻水。
そして本来ならば星宿ると思われる、青の瞳には渦巻きの様な文様が描かれ、それはグルグルと回転し動いている。
ゴクン。ローズは息を飲んだ。そして城に残る、愛しい家族の顔を思い出す。そして書庫で丸くなり眠る魔女たちも。
……、お父様、お母様、マリー!皆様。世の中は……、何と広いのでしょう!王子という御身分にも関わらず、目玉はグルグル、鼻水たらぁり。馬は木馬でそれを動かすのは衛兵ですって?
「うほぉ!パッパリーヤぁ!女のコだぁ!あれだして」
ジロジロ眺めていたパッパリーヤな王子は、何かを手渡す様、お供に声を掛けた。
ハッとする顔のサンドリーネと父親。サンドリーネがこの時を逃すまいと心に決め動く。
「ごきげんよう、王子様」
乙女らしい澄んだ声で、木馬の白馬に乗った恋しい相手に挨拶をした。




