いばら姫に続々訪れる嵐
キィ……、部屋に、灯りを手にした侍女を従え入って来たのは母親である王妃。夜の帳が既に深く深く下りている。
ローゼリアが何時もの様に、アン記す琥珀色の魔女文字を読み過ごしていた独りの時間。そこへ隣接する小部屋で控えていた侍女が、母の訪れを告げに来た。
「まあ!お母様が?よろしくてよ」
ローゼリアは本を閉じるとアンを手の内に戻す。主の許しを伝える者、解けた髪を緩くリボンで括り、上着を着せかけ準備する者。さわさわと静かに忙しく動く侍女達。そして……。
「もう休んでいて?」
そう問われた彼女は、いいえ、大丈夫ですわ、と出迎えた。寝台の端に座る母親。小さい時を思い出し、嬉しくなったローゼリア。
「今日はね、貴方の将来についてお話しようと思うの」
そう言うと手をひとふり、人払いをした王妃。部屋に控えていた者達は、礼を取ると静かに下がった。
王妃と王女から、母と娘の顔になる二人。
「その事ですけどわたくしもご相談があります」
「まあ!それは何よりね。ここ数年で背も伸びて、すっかり大人になられてますわ、お父様はこの先が心配で心配で、最近おつむりがお寒うなりつつあらされます」
娘の事だけでは無いのだが、最近心労が重なり、ふさふさとした頭が、些か薄くなりつつある父親の事を、こっそり教える母。
「わたくしの他にもご心配事が?」
「国を護ると言う事は大変なのです。ですからひとつひとつ、軽くせねばなりません」
「それはどのような事なのでしょう、お父様のご負担が軽くなるお手伝いが出来るのなら、何なりと申し付けて下さいませ」
優しい顔ばかり向ける父親の事を案じる娘。
「そう、ではこの前のご縁談ですけど、このまま進めても良い、ということですわね」
にっこり笑む母に、それは!と二人きりという事もあり、素のまま言葉が上がる娘。
「……、無理ですわ、お母様。その、異国の香りは大変苦手でございます。出来れば……。ああ!お断りしなくても、マリーが彼に恋しているのです」
渡りに船とばかり、話題を持ち出した娘。
「まあ、マリーが。仕方のない子ね。でもね、彼は貴方のお相手だから。それにロージィ、異国のお方が苦手なのはわかります。未知なる世界は怖いのもね」
優しく諭す母。
「いえ、怖がっているのではなく、匂いが耐えきれないと思いますの、一生鼻に栓を詰めて暮らす事など不可能ですし、でもマリーはあの香りがとても好きだそうです」
必死の妹の売り込みを始める娘。
「ああ、その事なら、要はお慣れになられたら大丈夫と思いますの。そこで十六の満月迄にあの香りを薬師達が再現し、貴方の寝具に染み込ませ、それに包まれ眠り続ければ」
良い考えでしょう、得意満面な母。
『いやぁぁぁ!わたくしも臭くなってしまいましてよ!お母様!』
そう心で叫んでいるがショックのあまり、あうあうとしか声が出ない娘。
「よく考えて頂戴ね、マリーはまだ子供。この先相応しいお相手を探せばいい事」
娘の頭を愛しげに撫でると、おやすみなさいと立ち上がり、娘を襲った嵐は侍女を従え去っていった。
……、お母様本気ですわ。ああ!どうしましょう!このまではわたくしは……。
背中にゾクリと走る何か。なんとかして城を出なくては!杖を見つけに行かなくてはなりませんもの!天蓋の中でローゼリアは悶々と悩む。
まんじりとせず迎えた翌朝。歌をうたい、祈り朝食を取り、書庫へと向かったローゼリアは鬱々と悩んでいた。
最近、ちょこちょこ彼女が居る時を狙い、訪れていたマリーローゼは、今日は城下に住む貴族の館へと、出掛けていた。お姉さま!と入ってこない事に気が付き、聞かされていた予定を思い出すローゼリア。
「ああ、マリーは今日は城下ね。お茶会とか話しておりました」
クウクウ、ふにゅん、パタパタ。スウスウ……、猫達の寝息。
「早く起きて下さいまし」
試しに声をかけたローゼリア。
クウクウ、ふにゅん、パタパタ。スウスウ……、起きる毛配はまだ先の様。
ふう。仕方がない事。くたんくたんな寝相に、心なしか慰められた彼女。昨夜の事が轟々と風吹き、頭の中を舞っている。
そしてその風は、色変え姿を変え、外でも吹き荒れていた。
――。「早く!もっと早く走らせて!お父様にお知らせしないと!」
ガラガラガラガラ!左右に大き揺れる、上下に跳ねる。窓枠をしっかり掴むマリーローゼ。今日は城下に屋敷を持つ、公爵家に誘いを受け出向いていた。
街で耳にした話がこじりついている。城の中の興味本位から産まれる噂話とは違い、薄気味悪い危うさに通じる何かが入り込んでいるそれ。
「何かしら、臭うわ!臭うのよ!」
ピクピク小鼻を動かすマリーローゼ。共に乗っている側仕えの女官が、上下左右不規則な揺れに酔い、青い顔をし、ハンカチで口元を抑えるのを横目で見つつ呟く。
窓の外には焼けるような夕焼けの空。黒い雲が空に薄らと浮かんでいた。ねぐらに帰る鳥の姿も夕日を逆に浴び、マリーの目に写るは不吉を含んだ、黒い色が空を舞う姿。
「マリー様、市に行ってみませんこと?今日は大聖堂の広場でバザールがあるのです」
お茶の時間に楽しい計画が持ち上がった御令嬢達。早速街着に着替え馬車に乗り込み、いそいそと出向いた。ぐるりと丸く石畳が敷き詰め作られた広場は、こうして使われたり、王からのお触れ、貴人の婚礼の報せ、罪人の見せしめに使われる事もある。
ゴワゴワとした布地を広げ、品物を並べ売る人々。屋台の一角もある。布地、細工物、花に香木、甘い菓子に果物が籠に山と積まれている、焼き栗の香ばしい爆ぜる香り。
マリーはせっせと露店を覗く。外に出る事が無い大好きな姉に、お土産を仕入れる為。
「素敵なお嬢さん、布地はどうだい?」
「赤い石の腕輪。手にして見ていって」
「甘いお菓子、花の砂糖漬けのケーキはどう?」
護衛や取り巻き達と共に、あちらこちらを覗いて見て回るマリー。
異国訛りがキツイ、片言のキャル語で声がかかる。
「ダウニーの宝石細工!この石なンテ、オジョウサンニ!よく似合ウヨ!」
まあ!と立ち止まるマリー。近づこうとすると、バンカラな声が耳に飛び込んで来たのは、お城の話だったからかもしれない。ざわめく中で狙い定めた様にマリーに届く。
「やれやれ、塔に通わなくても良くなって良かった、ダウニーの露天。くう……、臭え!」
「そう言うなや。品物はピカイチなんやしな。そうか?本当にやめて良かったのか。 何でも田舎じゃ、虫の害が酷いと聞くぞ、ほれ、見てみろ。今月の市は他国と王都に住む者ばかりだ」
銀細工に赤い石が点々にはめられている腕輪を指し示しながら、片言と身振り手振りで値段交渉する男。
「あー、そういやそうだな。林檎酒の婆さん、来てないな……、やめて良かっただろ?どういう意味だ?」
「アレは城に巣食う、闇の魔女を閉じ込める為に造らせてたんじゃねぇかって、事さ」
は?耳をかっぽじり聞いていたマリーは驚いた。どういう事なのかと、宝石細工の店の前で、声高に喋るお客の声が届く場に寄る。
「城に巣食う?城には呪いをかけられたお姫さんがいるんだろ、ほら、誕生日に飴玉配る可愛いお姫さん」
その声に、ええ!なぜそうなっているのです?幾らお姉さまが表に出ないとはいえ、城中ではきちんと、お姉さまが千年眠るとなってますわ!面食らうマリーローゼ。
「そのお姫さんに呪いをかけた魔女が居るんだと。なんでも、先に産まれた姫さんが喰われちまって、身体を乗っ取られたとか何とか。で!閉じ込める為の塔だと気づき、王様に魔法をかけ、止めさせたらしいぞ」
「ふおお!そんな事になっとるんか!」
キャァァ!その様な事になってますの?声を立てず相槌を打つマリーローゼ。
「なあんてな、噂がある、本当は上の姫さんが、悪い魔法を覚えたとか何とか……、城から出されるんだろ?遠い国に嫁に行くとか。料理番に聞いたんだけどな、ああ、この腕輪くれ」
「お?メリンダに渡すのか?そういや、最近あちこちで、女フってる坊っちゃん多いよな。えと……、そう!いばら姫様を愛でる会の面々って話だな」
城から転がり出た話は、グニャリグニャリと捻じ曲げられ、四方八方に毒の棘を伸ばし育っていた。言葉が
……、なんですって?お姉さまが魔女で?わたくしが千年眠るのですか?他国に嫁ぐとは?一体、何故そのような……。お姉さまを愛でる会ですって?気持ち悪いのも大概にしてくださいませ!
あまりの話にクラクラするマリー。こうしちゃいられません!マリーは他の店に行きたそうな取り巻き達に、わたくしは所要で、これから直ぐにお城に帰ります!と言った。
ガラガラ、ガラガラ、馬車は整備された道を駆け城に向かった。戻った彼女は、着替えるのも、もどかしく思いつつ、父親に会うため身を整え、急ぎ廊下を突き進む様に歩く。
……、なんでそうなるのかしら?お姉さまを愛でる会とは!即刻、取り潰さなければ……!
コツコツ!靴音高く響かせ、父親が今使用している謁見の間へと向かう。そこでは。
忠臣達が取り決めた話を、王に進言をしている真っ最中。
「ローゼリア様を教会の塔にお移しを……、このままでは国を担う次代の者達に悪い影響を与えます故」
城に嵐が訪れた。




