17 大東亜共栄圏というアウタルキー論(3)
1941年6月5日、海軍省軍務局第二課長・石川信吾によって起案されたとされる「現情勢下ニ於テ帝国海軍ノ執ルベキ態度」という文書が裁決を得た。
この第二項は「物資ニ関スル情況判断」と題され、「帝国ノ自存自衛上ボトルネツクタル物資ハ左ノ如シ」として、米、燃料、重要戦用資材、輸送力の4点を挙げている。
この史料から、主に日本海軍がどこから資源を得ることを考えていたのかを見ていきたいと思う。
まずは米。「米ノ供給源タル仏印及泰ヲ経済的ニ確保スベキコト論ナキ所、而シテ其ノ供給ニ支障ヲ来ス場合、帝国ハ実力ヲ以テスルモ両地域ヲ確保セザルベカラザルハ亦必然ノ勢ナリ」と、仏印とタイに米を求めていることが判る。
燃料については開戦1年目から3年目までの供給想定量が表にされており、それによると国内石油は毎年45万トンで変わらず、人造石油は1年目30万トン、2年目50万トン、3年目70万トンという想定であった。
また、蘭印からの取得量は1年目0、2年目100万トン、3年目250万トンと想定されている。
これに伴って、将来は油槽船の数が不足するだろうとの見込みが述べられている。
三つ目の「重要戦用資材」については、「戦用資材中重要ナルモノ多々アリト雖モ戦時ニ於テ取得上ボトルネツクトナル物資ハ左ノ如シ」として、ニッケル、生ゴム、錫、モリブデン、コバルト、銅、バナジウム、鉛、水銀、石綿、雲母、アンチモン、亜鉛、タングステン、マンガン、クロム、工業用塩の17品目を挙げている。
特にニッケルについては「帝国平戦時ヲ通ジ絶対必須要件ナリ。故ニ若シ本鉱石ノ禁輸ハ重油ト同様帝国ノ武力発動ノ一要因タリ」とまで言い切るほど、海軍はニッケルの取得を重視していた。
これはある意味で当然のことで、艦艇の装甲としてニッケル・クロム系合金は欠かせないものであった。
このニッケルはセレベス、ニューカレドニアを占領して取得することを見込んでいた。
その他、生ゴム、錫については東南アジアから取得出来る見込みがあったが、それ以外の戦略資源に関しては日満支経済ブロック内で鉱山増掘や使用制限をかけるといった、かなり曖昧な見込みしか立てられていない。
次に、1941年10月22日、企画院が作成した「海上輸送力ヲ吻合セシメタル昭和十七年度物動主要物資ノ供給力」という史料を見ていきたい。
この史料ではどの地域からどの物資を取得するのかということが書かれていないが、供給見込量として次のような数値を掲げている。
コバルト……594トン 前年比254パーセント
ニッケル……380トン 前年比28パーセント
普通アルミ……27,040トン 前年比165パーセント
屑銅……38,000トン 前年比139パーセント
マグネシウム……4,916トン 前年比117パーセント
鉛……82,581トン 前年比109パーセント
高級石綿……2,167トン 前年比103パーセント
亜鉛……82,239トン 前年比99パーセント
水銀……495,100トン 前年比88パーセント
錫……8,175トン 前年比82パーセント
生ゴム……42,700トン 前年比83パーセント
主要な品目を列記すると、上記のようになる。
企画院総裁・鈴木貞一が11月5日の御前会議で行った昭和天皇への説明では、「生ゴム、錫、ボーキサイトハ米国ニトリ極メテ痛手トナル物資ト存ゼラレマス」とあり、あたかも日本が東南アジアを抑えれば米国への資源供給の一部を遮断出来るかのような内容であった。
確かに、錫については今も昔も最大の産出地域は中国からマレー半島、インドネシアにかけての地帯であるが、当時、アメリカは東南アジアに代わる錫の供給地としてボリビアを確保していた。
日本が東南アジアを抑えたとしても、アメリカの軍需産業にとって致命的な痛手とはならない。
自給自足圏としての大東亜共栄圏は、開戦前からこのような見立てしか持っていなかったといえる。
海軍の「現情勢下ニ於テ帝国海軍ノ執ルベキ態度」を見ても明らかなように、日満支経済ブロックを大東亜共栄圏という自給自足圏に拡大したとしても、そこで得られる資源は日本の戦争遂行能力を維持・拡大するためには依然として不足していたのである。




