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大日本帝国のIFと架空戦記創作論  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞


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13 海上護衛戦(1)

 1941年12月8日以降の日本の戦術的行動、あるいは戦争指導方針を変更したとしても、海上護衛作戦を疎かにした場合、やはり最終的な結末は史実と似たようなものとなってしまうだろう。


 開戦前、日本が保有していた船舶量は646万総トンであった。

 これは、イギリス、アメリカに次ぐ世界第3位の保有量であった。

 戦時中は新規建造や拿捕等で新たに363万総トン増え、その合計は1009万トンとなる。この内、戦時標準設計型船、いわゆる戦標船の数は1340隻、338万トンであった。

 しかし、これら膨大な船舶も、終戦時に残存していたのは166万総トンに過ぎなかった。実に843万トンが失われたことになる。

 この数字は、大戦中に1133万トンを失ったイギリスに次ぐ第2位の数字である。

 しかも、終戦時に稼働可能な船舶量は166万総トンよりも低い約80万トンであり、日本よりも船舶喪失量が多いイギリスは大戦を勝利している。

 もちろん、イギリスはアメリカの支援を受け、日本は一国で船舶量を維持しなければならなかったという事情があるにせよ、海上護衛という戦術面で日本がイギリスにはるかに遅れをとっていた事実を見逃すことは出来ない。


 この問題を解決しなければ、たとえどのような戦術的勝利を収めようとも、日本の継戦能力は早々に立ちゆかなくなるだろう。

 ただし、この問題を1941年12月8日以降の歴史改変だけでどうにか出来るのか、というとなかなか難しい。

 それこそ、戦前から各種対潜装備の技術開発、海上護衛戦術の研究を行い、戦時中も絶えず戦訓を分析して対潜戦術を向上させていかなければ、どうにもならない。


 正直、やはり歴史改変を戦前期から行わなければ、海上護衛作戦の問題を完全に解決するのは難しい。

 しかし、ここでは1941年12月8日以降の歴史改変で、日本がどこまでやれるかについて考察していきたい。

 戦前期からの歴史改変については、海上護衛作戦問題に限らず多くの論点が存在するので、また別の機会に譲ることとする。


 まず、基本的な日本海軍の対潜装備について見ていきたい。


 ソナーについては、日本海軍は九三式聴音機と九三式探信儀の二つがあった。どちらも、1933年正式採用である。

 聴音機の方は、12ノットで航行中に1000メートル前方を約10度の誤差、6000メートル前方を約3度の誤差で方位を探知出来た。

 探信儀については、12ノットで目標探知可能距離2000メートルである。

 これらソナーは日本のエレクトロニクス技術の後れ、熟練のソナー員が必要なことから、あまり使い勝手が良くなかったようである。

 その後、ドイツからの技術供与によって、性能が大幅に向上した三式探信儀が開発されるが、量産化は1943年末以降であり、ソナー員の育成も遅れていた。


 続いてレーダー。

 日本海軍は対空用の二一号電探、一三号電探、対艦用の二二号電探などを装備していたが、相応の性能を示した一三号電探の量産は1944年2月に入ってからであるから、船団護衛を担当する艦艇に行き渡るのはもっと遅くなる。

 そして当然、ここでもエレクトロニクス技術の後進性の問題は付いて回る。


 三つ目に、爆雷。

 日本海軍が大戦中に使用した爆雷は、九五式爆雷と二式爆雷、三式爆雷の三種類である。

 九五式が炸薬量100kg、調定深度は30メートル、60メートルの二つのみ。二式が炸薬量100kg、調定深度30、60、90、120、150メートル。

 三式は海防艦専用の爆雷であり、炸薬量は型によって異なるが100kgから150kgの間、調定深度は40、80、120、160、200メートルで沈降速度は前の2つよりも早い5メートル毎秒である。有効半径は50メートルであったとされる。

 この爆雷を、九四式爆雷投射機や三式爆雷投射機によって、海中に散布する。


 駆逐艦沢風に15センチ9連装対潜噴進砲を装備した写真が残るが、これを装備したのは1945年2月のことであるとされ、やはり対潜装備の開発・充実は遅きに失した感は拭えない。

 しかも、日本海軍は爆雷を前方に投射する装備を基本的には持たず、ヘッジホッグやスキッドを装備した英米の護衛艦艇に比べて対潜能力に圧倒的に劣っていた。


 さて、大戦を通して日本が撃沈したアメリカ海軍潜水艦は、36隻であった。これは、アメリカ海軍潜水艦戦力のわずか16パーセントの数字に過ぎない。

 しかも艦艇による撃沈は、アメリカ海軍の公式では16.5隻とされている(中途半端に0.5が含まれているのは、日本側水上艦による爆雷攻撃か機雷に引っ掛かったのか不明な潜水艦がいるため)。

 一方の日本側は127隻の潜水艦を喪失(事故、同士討ちを含む)。これは、日本海軍潜水艦戦力の実に71パーセントに及ぶ。


 対潜戦闘という分野において、日本海軍はアメリカ海軍に対して圧倒的な敗北をこうむっていたのである。


  主要参考文献・論文

石丸安蔵「日本海軍の防備体制 ―対潜戦、機雷戦の観点から―」(『戦史研究年報』第24号、2021年)

大井篤『海上護衛戦』(学習研究社、2002年)

大内健二『輸送船入門―日英戦時輸送船ロジスティックスの戦い』(光人社、2010年)

坂口太助『太平洋戦争期の海上交通保護問題の研究』(芙蓉書房、2011年)

防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』(朝雲新聞社、1976年)

 本編では歴史のIFにばかり論点を集中しておりますので、今回の「あとがき」では表題に「創作論」と銘打っている通り、創作そのものに関するお話をしたいと思います。


 本稿でも参考文献や論文を挙げておりますが、基本的に私は小説を書くに当たって各種資料に当たるようにしています。

 正直、私の文才の限界と言いましょうか、何か土台となるものがないとなかなか筆が進まないのです。

 拙作「秋津皇国興亡記」も第一話のあとがきに書きました通り、史実明治初期の府藩県三治制期の史料との出会いが物語の構想が浮かんだ直接的な切っ掛けです。

 多くの諸先生方はひらめきがあってその後で資料なのかもしれませんが、私の場合は歴史研究を行っているということもあって、資料が先でひらめきが後の場合が多いです。


 特に私の作品は歴史を題材にしたり、歴史からモデルを取ってきたりと、その基礎に史実の歴史が存在しています。ですからなおさら、物語を描くにあたって資料は書かせないものとなります。

 歴史に関する書籍は多く出ておりますが、色々と役に立つのは山川出版社が出している『詳説世界史研究』、『詳説日本史研究』だと思っています。この2冊さえあれば、最低限、高校レベルの歴史の復習は出来ます。

 歴史の研究を行っているとはいえ、流石に専門の時代以外については疎いので、この2冊は非常に重宝しています。

 もちろん、各出版社が出している世界史シリーズ、日本史シリーズも役に立ちます。私が所蔵しているのは、世界史は中央公論社が出していた旧版の世界史シリーズ、講談社が出している日本史シリーズで、特に中公の旧版世界史シリーズは、堀米庸三先生、宮崎市定先生、岩村忍先生といったそうそうたる諸先生方が書いているため、今でも色褪せない名作だと思っています。

 ただ、やはりその後の研究の進展や今まであまり取り上げられていなかった地域の歴史も含めた新版もなかなか完成度が高いと思っています。

 他、山川出版社の世界各国史シリーズ、講談社の興亡の世界史シリーズも地域史という点で役に立ちます。


 日本史・世界史をそれぞれ見ていくと異世界ファンタジーの題材として面白いのではないかという題材も見つかり、そういう視点で歴史を眺めていくのもまた面白いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 重要なことではあるのですが、どうしても勇ましい海戦と比べて描写すると地味になってしまう「海上護衛」について真面目な考察を読むことができて嬉しいです。 某ゲームでも、性能のいいソナーはイギリ…
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