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まさに「は?」って感じで僕は固まった。聞かれた僕がえ? そうなの? と聞き返しそうになった。
いきなり何を言い出すのかと思ったら、言うに事欠いてデート? デートて。
そもそもデートってなんだよ。何語だよ。まあ英語だけどさ。
ああ、なるほど。「これからデートですか?(脳内彼女と)」という意味か。やっぱ英語って難しいな。
しかしなんてことだ、別れ際にこんなすさまじい煽りをぶっ込んで来るなんて。
やっぱこれは内心相当キレてるね。じわじわといびってくるタイプだね。最終的には慰謝料請求されるね。
いっちょまえに用事が、とかってさっさと立ち去ろうとしたのが癇に障ったのかもしれない。
そちらの貴重なお時間を無駄にするわけにはいきませんのでみたいな事を言えばよかった。
ここはもう下手下手に出るしかない。ここでうだうだやってるうちに仲間がやってきたらマジで積む。
これ以上絡む価値のないゴミクズだと思わせなければ。
「い、いえデートなんてもんじゃないです。一人で適当にぶらぶらと……」
と言いかけてやばいそれ用事でもなんでもないじゃんと途中で言葉を切ると、
「あぁ~そうですかぁ、たまには一人でぶらぶらするのもいい気分転換になりますよね」
たまには? いつも一人ですがなにか。
……はっ、そうか、そういう皮肉を言われたのか。
笑顔でさらに煽ってくるなんて、この子只者じゃないぞ。
ここは変に反論せず受け止めるしかない。
「た、たまにはっていうか、いつものことですけどねえ、はは」
「えぇ~? 彼女さんと出かけたりしてるんじゃないですかぁ?」
ぐぅっ、こらえろ。
この程度の煽りで折れているようではこの先の人生が思いやられるぞ。
もうこうなったらヤケだ。思いっきりキモい感じを出してドン引きさせてそのままお引取り願おう。
「か、彼女なんてめっそうもないです。せいぜい二次元の女の子で満足して、ふ、ふふっ」
と思ったが特にその必要もなく素でキモかった。
しかしこれでこの子ももう悟るだろう。こんなのと関わっているだけ時間の無駄だと。
「うふふ、冗談ですよね?」
「い、いえまあ、それがなかなかね……」
冗談どころかガチなのが軽く死にたくなるね。
「そ、そうなんですか、そういうのも好きなんですね~。ちょっと意外」
「いや、まあ、そっち専門でやらせてもらってますが……」
もう徹底的にやって、関わりたくないと思ってもらえれば。
さすがの彼女も徐々に顔が曇ってきた。
「え、だって雫がお兄さんには彼女がいるって……」
「……え?」
……ん? んん?
なんか途中でちょっとおかしいなとは思ってたけど……。
それは一体……どういう設定だ。実は僕には彼女がいたのか? 知らなかった。いやそんなバカな。
雫のやつどういう話をしているんだ。二次元とか脳内とかそういう修飾語が抜けてるんじゃないか。
「し、雫が?」
「そうですよ? お兄さんのこと、いろいろ聞いてます」
いろいろってなんだ、何かものすごくいやな予感がする。
よせばいいのについ聞いてしまう。
「ほ、ほかにどんな話を?」
「え? えーっと、お兄さんはやさしくて頭もよくて……」
出た出た、やさしい。
やさしいとか特にほめるところがないやつをほめるときの常套句じゃないか。
頭がいいって言うのもイケメンなら知的、ブサイクならただのガリ勉とかなんだってどこかで見た。
なんか必死だ。雫のやつ必死にいい兄にしようとしている。
「あとピアノだってうまいって」
ピ、ピアノ……。まさかそんな単語が出てくるとは。
実はそれはあながちウソではないのだが……ピアノとか言われると頭が痛くなる。
母親があれでも元ピアノ教師崩れなので、本当に小さいころからやらされてた。
ただあれは中学二年のときだったか、合唱コンクールのときに伴奏者やらされて面倒そうだからいつも黙ってた。
そのときはとにかく学校で目立ちたくなかったので。
みたいなことをなにかのはずみでうっかり話したら母さんが烈火のごとくマジギレした。なんで立候補しねえんだよと。
あの時は本当に殺されるかと思った。恐怖を植えつけられた。
その件があってからもうやらなくなった。ピアノ自体は嫌いではなかったんだけど、今はまったく鍵盤に触れてさえいない。
母さんと僕の間ではピアノは口に出すものはばかられるNGワードになっていて、僕がもしまたピアノに触ろうものならそれだけでなにか言われそうなのだ。
中学時代はそんなの言いふらすほど友達もいなかったし、僕がピアノうんぬんを知る人はほぼいないと思っていた。
「そういえばそんなのもあったかな……」
「そ、それにあと……」
彼女はそう言いかけて、一度目を伏せて妙な間を作ってから口を開いた。
「か、かっこいいって……」
……はい、見事にオチがつきました。お後がよろしいようで。
あんたの妹あんたのことかっこいいって言ってますよブフーっということなんですかね。
僕自身のことをとやかく言うのはまあいいんだけど、妹をバカにするのはどうかと思う。
第一友達なんじゃないのか?
これにはさすがの僕も、頭に血が上り始めるのを感じた。
「あのさぁ、そういうのって……」
「そ、それで……ですね、あの……」
「いやもうわかったからさ」
「わ、私もそう思ってまして……」
……。
……えーっと。
メガネかけてないみたいだけど大丈夫なのかな?
今すぐメガネ買ってきたほうがいいんじゃないかな。ビン底並みにぶあっついレンズのやつを。
「な、なに言ってるんでしょうね私」
本当になに言ってるんだろうね。
こっちが心配になるぐらいに顔が真っ赤になっている。
「あっ、あーっと、は、恥ずかしいついでに、あのこれ、もしよければ……」
彼女はあたふたと一瞬変な動きをした後、スカートのポケットからなにやら紙切れを取り出した。
そしてそのままこちらに差し出してくる。
僕はよくわからないまま小刻みに震えているその紙切れを指でつまむ。
メモ帳を一枚ちぎったものらしい。うさぎの絵柄のついたピンクっぽい紙に丸っこい字で何か書いてある。
これは……電話番号にメールアドレスにID?
名前もフルネームで書いてある。早川菜摘というらしい。
これは今その場で書いた、とかじゃなくてもう前もって用意していた、という類のものだぞ。
ありえないだろそんなものを持ち歩いているなんて。
どこの営業マンだよ。
「え、これって……」
「あの、今日雫の家で遊ぶってなって……、もし、わ、渡せたらなと思って」
さっぱり意味がわからない。
渡せたらと思ってポケットに忍ばせておいた? そんなバカな。
第一僕に連絡先なんか渡してどうする……。
――はっ、これは……。
そのとき僕は気づいた。やっと気づいたといってもいい。
これは……これは罰ゲームだ。
絶対罰ゲームだわ。なぜ気づかなかった。
どうせなんかの遊びで負けて、ブサイクアニキに連絡先渡すとかいう流れだ。
僕がトイレに突撃したのはちょっとしたハプニングだったとして、その前から仕組まれていたに違いない。
それでしつこく引き止めてきたのか。ようやくこれで合点がいった。
それにしても最近の若い子の罰ゲームは容赦ないというか、かなり身を削るなあ。
それのダシにされた僕はたまったもんじゃないが。
しかしそうとわかると、僕も頭にくるのを通り越して急激に冷めてきた。
「……ふーん。……で、なにで負けたの? 人生ゲーム?」
「へ?」
「それか桃鉄か」
「も、モモテツ?」
最初彼女は僕が何を言っているのかわからないという顔をしてしらばっくれていたが、やがて観念したように頭をうなだれた。
「……す、すみません、やっぱり迷惑でした?」
「いや迷惑っていうかねえ……、迷惑といえば迷惑だけど……まあしょうがないか」
これだけ格好のエサがいたらね、そりゃ罰ゲームのネタにもされるか。
「そ、そうですよね……」
彼女は今にも消えてしまいそうな声でつぶやくように言った。
どうやら相当反省しているようだ。
ここで僕があんまりキレても大人げないし、さっきのこともあるしでチャラにしよう。
「いやまあそこまで気にしてないから…………あ?」
と、ふと彼女のほうを見ると、うつむいたまま微動だにしていない。
……なんかこの子、今にも泣きそうじゃないですか? ていうか泣いてないですか?
うそーん。なんでそうなるわけ? それはおかしくない? むしろ泣いていいのって僕のほうじゃない?
なにやら泣くのをこらえている、という感じで、雫のように大爆発ということはなさそうだが……。
これ僕どうすればいいの? どうすればよかったの? うわぁ~だまされたぁ~ドッキリ大成功とかってやればよかったわけ?
もう完全に意味がわからないが、とにかく女の子を泣かせてしまった、ということで頭が真っ白になりかけていると、
「なつみ~?」
そのとき、後ろのほうから声が聞こえた。
それは聞き間違えるわけもない、雫の声だった。




