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「ってなっ、なにをバカな!」
何だ、誰だ今のは僕は一体なにをしてるんだ。
なにかよくわからないが体が反射的に……。いやホントに、考えるよりも勝手に体が反応してしまった。
今日の僕はやっぱおかしい、完全に体調不良だ。不良というかもう故障だ。やはり一日おとなしく寝ているべきだったのかもしれない。
「わ、なにこれなんかぬるぬるしてる~」
「ってなにやってるんだよ!」
そしてためらいなく袋からブツを取り出す雫。
なにをやってるんだ僕らはどんな兄妹だこれは。
「え? だってつけて欲しいんでしょ?」
「違う、今のはちょっとした手違いで……」
雫は物体Xを手でいじりながらいたずらっぽい笑みを浮かべている。
これはヤバイ……ん? いや待てよ。そういえばこの感じって、僕がブサイク発言をする前の雫じゃないか。
ふざけて僕にちょくちょく危ないいたずらを仕掛けてくるという……。
もしやこれは許された? このままゴムをつけてもらえば僕は許されるのかもしれない。
なるほどこうすれば僕らは和解することができたのか。こんなところに解決の糸口が。
……そんなわけあるか。
いいから撤回だ。全力で前言撤回だ。
「い、今のはた、ただの冗談、冗談だって!」
「でももう袋開けちゃったけど?」
雫はにやにやしながらゴムを見せ付けてくる。
なんとまあかわいい子がこんな……、いかんだろうこの光景は。
ああ、かわいいよエロかわいいよ雫。
そんな心の声に一気に僕の思考は支配されていく。
「開けちゃったか~、なら仕方ないか」
「……そ、そう? じ、じゃあ~……は、早く準備して」
「ん? 準備って?」
「えっ? じ、準備っていうかそ、その…………、ふ、普通の状態だとつ、つけらんないんでしょ?」
「ああ、大丈夫、もうほとんど準備できてるから」
するとそこで雫は「え……マジ?」みたいな顔して固まってしまった。なにか恐ろしいものでも見たかのような顔だ。
そして僕も自分が今無意識のうちになにを発言したか気づいて固まった。
「い、いやいや違う! 今のは僕じゃなくて!」
「は、はあ?」
「いや僕なんだけど、なんていうかその、僕が本気で言ったわけじゃなくて!」
自分で言っていて意味がわからなくなってきた。というか自分でもなんだかよくわからない。
とグダグダになっていると、それまで困惑の表情を浮かべていた雫が一変して不機嫌そうな顔を作った。
「なんなのもう! ちょっとどいて!」
僕を押しのけてトイレに入り、ぽいっと手に持ったそれを便器に投げ入れた。そしてすぐジャーっと水を流す。
「はい、証拠いんめつと」
雫はそう言い放つと、ふん、と小さく鼻を鳴らして冷めた視線を僕に向けた。
おそらく、さっきみたいな流れでいつもなら慌てふためく僕を見てからかうはずが、逆に自分がからかわれたようで気に食わなかったのだろうか。
すっかり不機嫌な雫に戻ってしまったようだ。僕もさっきの自分のとんでもない発言をごまかそうと、あわててそれに合わせて平静を装った。
「ま、まあね、そうやって始末するのが、まあ正しいよね」
「そうだね。まさか本気でつけてもらおうと思って渡してきたとかじゃないしね」
「い、いやまさかねえ~、ははは」
雫は疑ったようなまなざしを僕に投げた後、足音荒く二階への階段を上っていった。
◆ ◇
結局、出かけた両親は帰ってこなかった。
「ご飯適当に食べてね(はぁと」みたいなメールが母親から着たのが午後九時過ぎ。
すでに僕はコンビニ弁当で妹たちと無言の食卓を囲んだ後だった。連絡が遅い。そして自由すぎる。
しかしそのときもそうだけど、その後妹たちがお風呂に入ったりしている間も僕はずっとそわそわしっぱなしだった。
というか、就寝間際自分のベッドで横たわっている今現在ですらそんな感じだ。
なんせあんなにかわいい子たちと同じ屋根の下にいるわけだから。
あれから何度か、隙を見てときおり二人の顔をちらりと盗み見てけどやっぱりかわいいままだった。
瞬間的にかわいく見えてはっとさせられるっていうのならこれまでにも何度もあったんだけど、今回はずっとそれが続いている。
どうやら僕の頭がおかしくなって妄想が現実化したとかそういうことではないようだ。
これはまさにいつか夢見たシチュエーションではあるのだけど、実際そうなってみると別人のような感じがしてどうしても落ち着かないというか。
しかし明日朝目が覚めたら全部元通り……なんてこともありうる。
ただ気になるのはおとといの夜? の父さんの話か。今すぐにでも電話して父さんに確認してみたいけど、多分母さんに邪魔されるだろうし。
大体それ自体夢かなんかである可能性もあるし、そんな確証もないようなことをあせって電話して僕がおかしくでもなったかと心配させるのもあれだし。
それからは寝る前の恒例の悶絶タイム。
今日の出来事を振り返り、かなり痛々しい言動の数々を反芻する。
自分でもよくわからないうちにかなり危険な言動をしてしまった。今日は特にだ。
後は……伊織のこととかも。
学校が休みになって連休が始まったというのに、心休まる暇がない。
今日も簡単には眠れそうになかった。
そして翌日。
昨日の今日で、連休だというのに僕は連日朝から出かけることもなく部屋にひきこもっていた。
しかもひどいことにこれは家から出かけないという意味ではなく、文字通り部屋にひきこもっている。
確かに僕はインドア派で、特に出かける場所も予定もなく、今日こそはとりためたアニメを消化するぞといきまいてはいた。
でもさすがに自分の部屋から一歩も出ないというレベルじゃない。そこだけは誤解のないように。
出れるけど、出れない。厳密には出たくない。いや出ないほうがいい。……どっちも一緒か。
とにかくとある事情により、僕は今自分の部屋から出ることができないのだ。
「きゃはは、え~それマジで~!?」
耳慣れぬ数人の女子の嬌声がかすかに聞こえる。そしてどんどん、どたばたと軽い振動音。
自宅の、自室にいるにもかかわらずだ。
なにせ部屋から出ていないものだから細かい状況はわからないんだけど、気がついたら、というか起きたらすでにこの有様だった。
目が覚めたのは午前十時過ぎ。確かに昨日寝るのが遅れたせいもあるけど……何たる不覚。
そして自室から一歩も出ず神経を研ぎ澄ましてひたすらエスパーして出た結論が、雫の友達が家に来ているということ。
父さんたちはやはり帰ってきていないようで、連中は二階の雫の部屋ではなく下のリビングを占拠して好き勝手やっているっぽい。
結構前に連休は家族四人で遊園地みたいなことを言ってたんだけど、結局父さんが帰ってくるってなって母さんが全てぶっちぎった結果になった。
二人でどっか行ったまま帰ってこないというのは割とよくある。そもそも妹たちのあの感じからなくなるとは思ってたけど。
それを予期していたのか、または僕のいないところですでに話がついていたのかわからないが、雫が友達と遊ぼうということになったのだろう。
この音の感じだと、泉は一緒ではなくたぶんどこか出かけたっぽい。そして敵は三人ぐらいと推測がついた。
妹の友達が来たぐらいでなぜコソコソ部屋に閉じこもる必要があるんだ、なんていうのはもちろん愚問だ。
基本コミュ障の僕がその中にどうも~なんて言って入っていけるわけがないというのは説明するまでもないだろう。
それに加えて僕には前科がある。
確かちょうどニ年前ぐらいか。前にも雫の友達がウチに大集合していたことがあった。
といっても三~四人ぐらいだったけど、それだけの数を連れてきたのは初めてだったと思う。
玄関先でワイワイガヤガヤやってるところに、一人家に帰ってきた僕。
笑い声が一瞬で止み、思いっきり全員に顔を、全身をガン見された。
僕はすぐ感じ取った。満場一致で「うわぁ……なにこのブサイク。キモ」っていう感じを全員がかもし出しているのを。
まさか玄関開けたら女子の群れがたむろしているなんて思ってもなかったから、完全に無防備だった。
三、四人とはいえ実際目の前にしてみるとかなり威圧感がすごい。囲めるからね。襲われたら普通に負けるから。
それでも僕はなんとか、最低限不快にさせないように頑張って笑顔を作ったんだけど、その中の目が合った二人は露骨に目線をそらしやがった。
さすがにうわべだけ「こんにちは~」なんて返してはくれたが、張り詰めた感じというか、明らかに場の空気が変わっていた。
極めつけはその夜、雫に「友達がいるときは出てこないようにして」と言われた。
ショックだったけど、なんでとは聞かなかった。
そりゃ確かにこんなブサメンクリーチャー兄貴が出てきたら、みんな気分を害するだろうしね。僕は姿を見せない。それがお互いのためでもある。
こうやってまた一つトラウマが増えた。
以上おわかりいただけただろうか。
また新たなトラウマが生まれるのを避けるため、そして彼女たちの視界に不快なものを入れない配慮のため僕はこうして息を潜めて部屋にこもっているのだ。
つまりこれが僕なりの、いわゆるおもてなしというやつだ。
しかしいつもなら雫が前もって僕に家に友達呼ぶからと警告してくれるのに今回はなかった。
今ちょっと関係がこじれてるからかもしれないけど、だからおもてなしの準備ができていなかったのだ。いつもは僕が外に出かけるか、準備万端で部屋にこもる。
それにたいてい雫の部屋で、ってなるから今まではそれほど問題にはならなかったというのもある。
しかし今日は……、全く飲まず食わずで過ごさなくてはならないのと、そろそろ膀胱がヤバイということだ。
なんせ、実はもう起きてからかれこれ一時間はたってるんだよね。すでにいろいろしんどいんだよね。
さすがにこのままボトラーの仲間入りをすることはできないけど、気持ちもちょっとわかる。
最悪トイレだけでも……ただトイレは一階にしかなく、階段を下りなければいけない。その音だけでもう存在を感知されてしまう可能性がある。
リビングのある一階はもうデンジャーゾーンだし、降りてちょうど鉢合わせでもしたらヤバイ。
でもよく考えたら向こうも僕みたいなのと絡んでも何の得もないから、もし視界に入ってしまったとしてもスルーされるんじゃないかな。
えーなにキモイんだけどひきこもりなの? みたいに後で肴の話にされるのが関の山だろう。
……そんな風に言われるのか。すでにそれもキツいな。
さんざん葛藤した挙句、ついに僕はトイレに行く決心をした。というか、行くしか生き残る道はないことに気づいた。それまで長かった。
そしてその足で外に離脱することにした。主に食料を求めて。
悪魔の巣窟であるリビングに入っていって、冷蔵庫を開けて食べ物飲み物を漁るというのはどう考えても無謀だと判断したからだ。
敵地に単身乗り込んで捕虜を救出して帰ってくるぐらいの難易度はある。残念ながら僕はラ○ボーじゃない。
大丈夫だ、もし家から出る際に発見されても、ひきこもりが食料を求めて部屋から出てきたのではなく、今から彼女とデートですがなにか? という心持ちでさえいれば。
服を着替えて、サイフと携帯をカバンに突っ込む。
部屋を出たらもう一気に行くしかない。スピードが命だ。
つま先立ちで階段を下りる。僕のスニーキングスキルが上がっているのか、思ったほど音が出ないことに気がついた。
リビングではテレビもついてるだろうし、気づかれるわけがない。これならいける、余裕だ。
それより負担のかかる動きのため振動で膀胱のほうが思った以上にヤバイ。
まずはトイレだ。
僕はするりとトイレの前までやってきて、そして音を立てないようにノブをひねった。
ひねる瞬間、デジャブを感じた。よく考えたら昨日と全く似たようなことをしていることに。途中でためらってしまいそうな嫌な感覚。
ただ今回は寸前で妹が飛び出してくるなんてことはない。ていうかあんなことはそうそうない。昨日のはほぼ奇跡に近かった。よってたてつづけに二度奇跡はない。そんな神などいない。
などと考えているうちにも無事にドアは開かれた。
そして、次の瞬間僕は固まった。




