CASE ドリーム・キラー -夢の中の怪異譚‐ 3
再び夢の中に入ると、セルジュもイリーザも、洒落た着物姿へと変わっていた。
神社の外だ。
ぽつり、ぽつりと、真っ暗な空から雨が降り始めている。
赤い唐傘が二つ壁に立て掛けられていた。
使え、という事なのか……。
二人はそれぞれ、傘を手にして広げる。
そして、夜道を歩いていった。
帰り方は分からない。
アナタージャいわく、とにかく、道標となるものが現れるから、それを目指せと言われた。
二人は歩き続けると、赤い階段へと突き当たった。
下り階段だ。どうやら、これを降りていくのだろうか。
緩やかな坂のような階段だった。
「ねえ、セルジュ。後ろから、何かが追い掛けてきている……」
イリーザは不安そうに呟く。
「ああ……、そうだな…………」
セルジュは息を飲む。
ひたひたひたひた、と、何者かが追い掛けてくる。
裾をまくり上げているとはいえ、走りにくい服装だ。
倒せない怪物だった場合、逃げ切れるだろうか。
雨がぽつり、ぽつりと、降り注ぎ、次第にどしゃぶりになっていく。
背後にいる何者かの気配は強い存在感を伴っている。吐息や歯ぎしり、嗚咽、啜り泣き声、遠吠えといったものが聞こえてくる。明らかに一体では無い。かといって、その何者かは複数いるわけではなかった。……塊、と言ってよいのだろうか。塊のようなものが迫り、近付いてきている。
セルジュもイリーザも、速足で階段を降り始めていた。
足元は雨によってぬかるんでくる。
周りは、階段以外に、何も見えない。
「夢の中に土足で入り込んできた奴を食らう化け物が存在する、って、アナタージャは言っていたな。………………、んっ……?」
セルジュが横を向くと、イリーザの身体が巨大な靄のような腕によってつかまれていた。
そして、イリーザの身体がそのまま宙に浮いていく。
セルジュは振り返る。
その怪物は、気体のようで、黒い靄のような姿をしていた。靄の中に、無数の老若男女の顔が浮かんでいた。その中に人間の口のような大きな口が開いていた。イリーザは口の中に飲み込まれようとしていた。イリーザは助けの声を叫んでいた。
「セルジュッ! 助けてよっ! 身体の身動きが取れないっ!」
「おい、イリーザ、頑張れっ! お前、連続殺人犯だろっ! いつものように、生身の一般市民相手を虐待するように、そいつも八つ裂きにしてやれよっ!」
セルジュは声援とも皮肉とも言えるような言葉を投げ掛ける。
靄状の怪物を、どうやって倒せばいいか分からない。
セルジュにはこの怪物からの、イリーザの助け方が分からなかった。
「ちょ、ちょ、この清純派アイドルの私に一体、何をするのよっ!」
イリーザは喚き散らしていたが、もちろん、怪物が聞く耳を持つ筈が無い。
怪物は腕を振り回していた。
イリーザは悲惨にも、身体を目まぐるしく動かされて全身を振り回されていた。しばらく、怪物が腕を振り回すのを止めた後、大口を開いてイリーザを飲み込もうとする。イリーザの連続殺人犯としての輝かしい人生は終わりを告げようとしていた。
セルジュは一瞬、助けようかどうか、迷ったが、全力で彼女を見捨てる事に決めた。
考えてみれば、イリーザと共に行動して、ろくな目にあった事が無い。先ほど、助けられた部分もあるが、トータルで考えれば、死に掛けた方が多い。ならば、此処で見捨てるのも得策なのではないか。
「セルジュー! この薄情者っ! 人でなし! 地獄に落ちろっ! 私が生きていたら、バラバラに切り裂いてやるっ!」
何か言っているが、セルジュはただひたすらに逃げ続ける事にした。
「セルジュー! 臆病者っ! 女を見捨てる最低下劣のクズっ! この、この、この…………、大好きだよセルジュっ! 私、貴方の事が好きっ!」
セルジュは一瞬、思考停止する。
そして、気付けば、懐から剣を抜いていた。
夢の世界において、服装を強制的に変えられたとは言え、どうやら寝る前に携帯していたものはしっかりと身に着けているみたいだった。自身の得物は透明で見えなかったが、確かに感触として存在している。セルジュは自身の得物である剣を抜き放つ。
それは刀身が三つ首の狂暴な犬の頭部になっていた。
そして、犬達は次々と口腔を開けて、黒い靄の怪物へと襲い掛かってくる。悪夢の中の怪物は実体無き存在だ。そして、この犬の剣もまた、似た怪異そのものだ……ならば、攻撃が通じるのではないか……?
セルジュが思った通り、犬達は見事に、靄の怪物達を喰らい始めていた。腕を喰らって、イリーザは自由になる。彼女は半泣きになりながら、必死で走ってセルジュの下へと向かっていく。
「馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿っ! なんでもっと早く助けてくれなかったのっ! 私は…………っ!」
イリーザはセルジュの胸元を殴り続ける。
そして。
イリーザは懐から、出刃包丁を取り出して、セルジュの喉を裂こうとしていた。
セルジュは数ミリ首をズラして、それを易々とかわす。
イリーザは地面にうずくまり、泣き崩れていた。
「本当に怖かった…………」
「あの怪物、まだ生きているぜ。走れるか?」
「足、くじいた…………」
「抱きかかえてやるよ…………、仕方ねぇえ、女だな……」
セルジュはイリーザを抱き締める。そして、そのまま、抱きかかえる形になった。
セルジュはイリーザを背負いながら、小柄の癖に体重があるな。金属音が多いな、服の中に大量に暗器を隠し持っているんだろうなあ、と思いながら、暗い夜道を走り続けるのだった。
しばらくすると、雨が止み始める。
光のようなものが見えてきた。
†
夏祭りの屋台などを三名で巡っていた。
セルジュとイリーザは浴衣を着ていた。
デス・ウィングはいつもの汚らしいニットの服にマフラー。着古したズボンといった格好だった。
イリーザは金魚すくいなるものを行っている。
セルジュは無難にたこ焼きとラムネ飲料を購入していた。
「キヨノリ君の両親はどうだった?」
セルジュはデス・ウィングに仕事のその後の事を訊ねる。
「発狂したまま、家の中に祭壇を作って、カプセルの中の霊魂となった息子を毎日、拝んだり、話し掛けたりしているらしい。苦しいとか助けてとかも言っているらしいが、それでも、両親は喜んでいるんだとな」
「親心ってのは分からないもんだな。もっとも、俺は報酬を貰っているから、どうだっていいんだがな」
イリーザが二人に声を掛ける。
空には何本もの花火が上がっていた。
神輿を担ぐ掛け声が聞こえてくる。
五百円で入れるお化け屋敷もあるらしい。……セルジュは試しに入ってみて、陳腐な見世物ばかりで呆れて出てきたが。
イリーザは何匹か金魚をすくう事が出来たみたいで、ご満悦の表情を浮かべていた。
家に帰って、彼女の“家族達”の土産にするのだと言う。
……イリーザが家族と呼んでいる者達は、確か精神病棟みたいな場所で、サイコキラーや狂人達、その他の異形の化け物ばかりを住まわせていた筈だが……。セルジュはそのような事を思い出して、何も聞かない事にした。
空に打ち上げられる花火は何処までも綺麗だ。
まるで、朦朧として消える一瞬の夢のように咲き誇っては、夜空に溶けていく。
少しだけ……この無意味で不条理な世界の下に、幻のような美しさがあるような気もした。
デス・ウィングはお化け屋敷に入って、楽しんできたらしい。
イリーザは射的を楽しんで、当たらない事に不貞腐れていた。
了




