八章「彼女は来たりて各語りき」5
やらかした次の日というのは、どんな天気のいい朝でも憂鬱である。
角で待ち合わせたゆうちゃんと(幸いいつもと変わらないように見えた)昇降口で別れるまではなんとか装っていたけれど(まあゆうちゃん見抜いてたかもしれないけど)その姿が見えなくなると、ため息は自然と漏れ出た。
ゆうちゃんに寄り添ってようやく落ち着いて家に戻ってから、時任には迷惑かけてごめん、のメールは送った。「気にするな、佐倉たちには俺から言っておくから、今夜はたくさん寝ろよ」と気遣いがちりばめられたメールにじんとした。
昨日の今日でも時任は、決して変な目で見てはこないだろう。確信がある。それでもやっぱり億劫に教室の開きっぱなしのドアをくぐると、窓際の俺の席で時任が座っていて、俺に気づいて「はよ」と笑った。
「おはよ」
つられて答え、自分の席につき平たい鞄を横にかける。
「よく眠れたか」
「意外と寝れた」
「だろうな。くまもないし」
顔を眺めて軽くうなずく時任。
それを前に中の教科書やノートを取り出して机の中に収めて。そしてあくまでさりげなくこちらに身体を傾ける時任を見て。
――そこで俺は机に勢いよく突っ伏した。
ああああっナニコイツなにこいつなにこいつ! この気配り! この優しさ! 人間ができすぎてる!
「……俺が女だったら惚れてるわ~っ!」
「もてないぞー」
はははは、と笑う時任。それは佐倉さんがいるからだよ。赤面してないかと手の甲を顔にあてて
「いや、ほんと、すみませんでした」
「お前の常識的な対応には癒される。佐倉と半田はやらかしたその後の対応も必ず斜め上を突っ走るからなあ」
こいつの珠のような人格は数々の試練のやすりで磨き上げられた賜物なのだろうか。
「篠原さん、大丈夫だったか?」
「――ん。ちょっとへこんでたけど、なんとか復活。でも気になってる。無理しないことがないし」
「放課後は顔を出せそうか?」
「それは大丈夫。多分、佐倉さんとか半田君で気がまぎれると思うよ」
「奇人変人にもそれなりに役割があるな」
時任がうなずいた。シリアスになりたいときはちょっと厄介だけど、重い空気を振り払うにはあの二人は打ってつけだ。奇変隊に囲まれてるとゆうちゃんよく笑うしな。
「いそべん先輩は……」
「メールでも送っとこうぜ。和むようにダブル机土下座の写メで」
「和むカナー?」
なんなら動画にするか? と首をかしげる時任に、こいつもやっぱり奇変隊だなあ、と思いながら、近くの伊藤に頼んで二人して机に手をついて頭を深々さげてる写メを撮影してもらって添付。
本文は
『昨日は恥ずかしいところ(キャッ)を見せてすみませんでした。このとおりです、お許しください。(写真は全身で謝罪を表現する本人と付き合いのいい時任)』
返信は授業始まる前にきた。
『ボケ』
授業が終わって部室に向かう途中、待ち合わせていたゆうちゃんにも俺達の間の空気が伝わったんだろう。ゆうちゃんはほっとしたような顔をした。時任もスキル全開で何事もなかったようにゆうちゃんに話しかけるから、自然に和んだままだった。この調子なら大丈夫そうだ、と俺はこっそり安堵していた。
待ち構える残り二人は、どうせ佐倉さんと半田君だ。変な行動か発言ひとつで全てが流されるだろう。そんな風に安心しきって、部室の戸を横に滑らせた。
「はああああっ!」
開いた瞬間、佐倉さんの姿が見えた。部屋の角隅から奇声をあげながら走ってくる。いつものソファやちゃぶ台は横に片付けられ広くなった部室で佐倉さんが勢いのままくるっと空中一回転した。!?
そして流れるように畳に逆立ち、その体勢から肘を曲げてくるりと前転――
ばんっ
と大きな音がした。直後、佐倉さんの開いた両手が畳に叩きつけられている。目まぐるしい展開(転回?)から一転した静寂と静止。「隊長オッケーです!」デジカメをかまえた半田くんが隅っこから叫んだ。佐倉さんは畳に膝をつき両手をつきその間にねじこむように深々と下げる頭。
総合した姿勢は――外人風に言うと
ジャパニーズDO☆GE ☆ZA
エクストリーム土下座とかローリング土下座とか、ともかくアクロバティックな動きで土下座の姿勢に持っていく謎の目的を有するそれを、そんな風に呼ぶらしい。意味わからん。
「ばっちりとれてます隊長! ユーチューブとかに投稿したらすっごい閲覧数になりますよ!」
「血迷っても血迷うなよ半田」
「わかってますよー」
デジカメで再生させているらしい、動画をのぞいて興奮した声をあげる半田君の斜め向かい、時任がこめかみに青筋をひとつ走らせて釘を刺す。そんでもいつの間にやらいそべん先輩との下りをこの二人に携帯で伝えている辺り、こいつらにはまだまだ俺には見えない結束があるんだろうなあと思う。まあそこで二人が土下座に食いついてなんか別の遊びに昇華させてるとはさすがの時任も読みきれなかったようだが。
ともかく、奇変隊は今日も奇変隊だ。そして佐倉さんの運動神経ってやっぱり規格外だなあ。空中一回転とかジャニーズで見るくらいだよ。
「お茶入れますねー」
そういうわけで気まずさとか微妙な空気とかは、曲解された日本文化によって俺の予想を遥かに上回る勢いで爆破されたため、俺達はすんなり部室に収まっていつものように半田君が入れてくれた茶をすすることができた。
が。
俺達が奇変隊オンリーならこういうおかしな行動をして笑ったり引いたりまったりして終了でいいだろう。しかし、俺達には目的があって、目下脅威がある。そのことについて話し合わなければならない。あの――昨日の女のことも。ことはデリケートなので本人以外は持ち出しにくい。ここには俺かゆうちゃんから言うのが筋だろう、って思いつつも、どう切り出していいのかわからず、うーん、と茶をすすりながら思ったとき。
ドカドカドカドカと、廊下から声が聞こえた。さすがの佐倉さんや半田君ですらアクロバティックを繰り広げるには遠慮した、可哀想な床板を打ち鳴らして誰かがやってくる。
威勢のよい駆け足。そして止まったかと思うと、勢いよく戸が横に開いた。それは勢いがよすぎて向こう側にあたってまた自動ドアよろしく閉まった。その調子だ古いドア。締め出せ。でも気にせずにもう一回、戸を横におしやって自信満々に叫んだ相手は
「僕だ!」
僕だった。




