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キスメット 【第7章まで完結】  作者: くにざゎゆぅ
【第四章】対エージェント編
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第97話 諜報部

「どうしたのです? なにか考えごとですか?」


 事務の仕事をしていた部下の声で、私は我に返った。

 窓を背にした革張りの肘掛け椅子に腰をかけ、デスクで書類を手にしながらぼんやりしていたようだ。

 目の前の書類の量は、朝から少しも減っていなかった。


「いや、考えごとというか。――そうだな。感傷的になっていたようだ。これからのことなのに」


 私の言葉に、部下は、狐につままれたような表情を浮かべる。

 そんな彼へ少し苦笑してみせた私は、説明するように言葉を続けた。


「今回の一件が終われば、彼は事実上引退することになっている。――引退するには惜しい腕なのだがな」

「ああ」


 部下は思い当たったようだ。


「ラストダンサーのことですか。でも彼は、今後はもう仕事を続ける意思がないのだし。それに、性格が甘すぎます。私はずっと、彼がこの仕事に向いていないと思っていましたから。穏便に引退できるのであれば、それでよいのでは?」


 この部下は、歯に衣着せぬ物言いをする。


 コードネーム:ラストダンサー。

 たしかに腕はいい。

 だが、その甘い性格で、何度も遭わなくてもいい危険な目に遭っている。

 工作員として、これ以上続けさせるのは危険だろうと、ずっと私も思っていた。


「だが今回、彼の最後の仕事で、心配な情報が二件ほど入ってきてね……」


 たったいま入手した、最新情報だ。

 問いかけるようなまなざしの部下へ向かって話しだす前に、私は深く腰をかけなおした。


「今回の仕事の件に絡んで、B.M.D.が来日したらしい」

「え! あのB.M.D.が……?」

 彼は、驚いたような声を張りあげた。


 コードネーム:ブラッディ・マッデスト・ドクター。

 通称(ビー).エム.ディ.と呼ばれている他国の情報局のエージェントだ。

 性別さえもはっきりと把握されていない、冷酷な手法と残忍な性格という噂だけが出回っている。

 我が所属の工作員が、できるだけ仕事でニアミスしたくない相手として、真っ先に名前をあげるエージェントだ。


 部下が首を捻った。


「どこから情報が漏れたのでしょうかね? ――あ。それでは、B.M.D.が狙って出てくるということは、ラストダンサー担当の件は、もう形ができあがっているという証拠にもなりますよね」

「そういうことになるかな」


 じつは、ラストダンサーが担当している件は、最初は信憑性のない情報だった。

 担当となった彼は、それでも時間をかけて、辛抱強くモノになるのを待っていたのだ。

 いかにも穏やかな彼らしい、最後の仕事だ。


 だが、私は眉をひそめた。

 つぶやくように続ける。


「それともB.M.D.の狙いが、別にあるのかもしれんな……」


 B.M.D.に関する噂は、もうひとつあった。

 目障りな工作員を潰す趣味があるというものだ。

 そうなると、この世界から退くラストダンサーが、B.M.D.に狙われている可能性がある。


「もうひとつ、気になる件とは?」


 部下に問いかけられ、黙りこんでいた私は、気がかりな情報を告げた。


「もう一件は、『東洋のジプシー』だな」

「なんですか? 東洋? ジプシーの民は東欧に大部分がいて、東洋には……」


 真面目に民族として捉えた部下に、私は片手で制しながら慌てて続ける。


「いや。私が言っているのは、そちらではなく、日本にいる……」

「ああ、ジャパニーズポリスお抱えのニンジャですか!」


 すぐに彼は、ピンときたらしい。

 この部下も彼の情報を持ち合わせていたようだ。

 私はうなずいた。


「どうやら、今回の件は、その彼も参戦してくるらしい」

「ほぅ……。ついに噂の彼の顔が拝めるかもですね」


 部下は、興味をひかれたように応えてきた。

 今回の舞台は日本だ。

 当然、日本の情報局も、遅かれ早かれ情報を聞きつけ、必ず絡んでくると思っていた。

 そして、送りこまれてくるらしいエージェントが、噂の彼ということらしい。


 東洋のジプシーとは、特殊な力を持つと言われている年齢不詳の日本警察の秘蔵っ子だと、もっぱらの噂だった。

 年若いために、大切に温存されていると言われていたが。

 このタイミングで、投入されてくるとは……。


 もしかしたら、彼もターゲットとしてB.M.D.におびき出されたわけではないだろうか。

 なぜなのか、私は、ふっとそんな予感がした。

 私としては、温存されていた彼がデビューするにしては、首をかしげたくなるような地味な仕事だと感じたからだ。

 それとも、深読みのし過ぎなのだろうか。


 私は椅子を回し、窓の外へ視線を投じる。


「どちらにしろ、ラストダンサーが最後に担当するこの件は、一筋縄ではいかない仕事になりそうだな……」



 窓の外に黒く垂れ込める雨雲を見つめながら、そっとつぶやいていた。


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