第86話 ほーりゅう
五時間目の授業内容は、出席したというだけで、まったくわたしの頭に入らなかった。
今日の夕方に、この高校で、急に彼女と闘うって決められてもなぁ。
それに、ジプシーにだされた宿題をずっと考えていた。
彼女を挑発する言葉を考えろだなんて言われても、そんなに簡単に思いつかない。
ありきたりなものじゃダメだろうな。
どこかで聞いたような台詞を使ったら、彼女にはもちろんジプシーにもバカにされるかな。
やっぱりオリジナルの台詞のほうがいいのかな。
よく考えたら、今回の闘いに、そんな言葉って必要なの?
う~ん。
わたしって、ボキャブラリーが貧困だからなぁ。
でも、言われた限りはなにか考えとかないと、いけないんだろうなぁ……。
五時間目が終わったあと、今日の校内での部活動は全体的に中止になった。
一昨日の事件のために昨日が休校。
学校側としては、今日も念のために、夕方までには生徒を全員帰らせるつもりなのだろう。
ジプシーは結局、教室には戻ってこなかった。
京一郎だけが五時間目のあと、わたしと夢乃に連絡を伝えるためもあってか、教室に顔を見せる。
「彼女を呼び出した時間は六時。それまで、いつもの自習室で隠れて待っていろってさ」
「ジプシーは?」
「今日のためのトラップを仕掛けに行っている。終わりしだい合流するそうだ」
それから、わたしも夢乃も京一郎のあとについて、こっそりと四階の自習室へ移動した。
先生に見つかったら、校外へ放りだされちゃうものね。
六時まで、かなり時間があるなぁ。
だけど、これから彼女と闘うだなんて、なんか実感が湧かないし。
それよりわたし、本当に闘えるのだろうか。
自習室の入り口から見えない位置で、椅子に腰をかけて待っているあいだに、わたしは、足もとのチョークで書かれた線に気がついた。
――あれ?
この図形、見たことがある。
首をかしげるわたしの視線を追った京一郎が、口を開く。
「もうはじまっているってことだ。以前にも、この式神召喚の陣を見たことがあるだろう?」
京一郎の言葉で、とたんにわたしは、現実味を帯びた闘いに不安になる。
夢乃も京一郎も、いまは必要以上の話をしないので、わたしも無言で、窓の外の夕焼けをぼんやりと眺めていた。
部活をするざわめきもない静かな校舎へ、徐々に暗闇が忍びこんで濃くなり、静寂が街ごと包みこんでいく。
突然、ゆっくりと自習室のドアが横に開かれたので、わたしはどきりと入り口を見る。
足音なく入ってきたジプシーが、後ろ手にドアを閉めた。
「ぎりぎり間に合った」
ジプシーの言葉に、わたしは、自分の腕時計をちらりと確認する。
「え? 六時でしょ? まだまだ時間があるじゃない」
「いや。なにか仕掛ける気なのかどうかわからないが、彼女がもう、近くまできている」
正面の窓の外に広がる日の暮れた街へ視線を向けながら、かけていた眼鏡をはずしてジプシーは言った。
そのままジプシーは、自習室の真ん中にある柱に近寄り、その前で立ち止まる。
しばらくそのまま柱を眺めていたけれど、ふいにまた、窓の外へ視線を走らせた。
「彼女がいま、学校の敷地内に入った」
ああ、そうか。
窓の外を気にしていたのは、きっと先に放っていた式神を視ていたんだ。
やだなぁ、と頭を抱えてつぶやくわたしの言葉を聞き流しつつ、ジプシーは、左手のひらを柱に添えると、長い真言を唱えはじめた。
ふいに身体がかたむくような、小さな地震の揺れを感じたときのような錯覚が生じた。
わたしは慌てて、周囲の机の上に手をつき、身体を支える。
そのわたしの目の前で、柱の四面全体に細かい梵字で書かれた陣が浮かびあがって消えた。
「復元のための結界が発動した。これで術を解くまで、俺以上の能力を持つ者以外は誰も、外界との行き来ができなくなる」
ジプシー以上の能力を持つ者?
「ってことは、麗香さんは通れないから、結界を解くまで逃げられないってことになるの? それって、たとえば誰なら通ることができるの?」
わたしの素朴な質問に、ちょっと考えてから、ジプシーは返事をした。
「俺の従兄弟のトラなら、この結界を通ることができるだろうな。でも、通るってことは、この結界を破壊するという意味になる。術者の俺が解くことにならないから、結界術として成立しなくなるため、ダメージがリアル世界に反映されることになる」
ジプシーの従兄弟の勝虎くんか。
なるほど、陰陽道一族直系の彼なら、きっと相当な力があるんだろな。
でも、そんなに高いレベルの結界なら、今回は外から破られることもないはずだ。
ふむとうなずいたわたしへ、ジプシーが声をかけた。
「ほーりゅう、おまえは彼女の殺気を力として感じることができる。逆に彼女は、まだおまえの超能力の存在を知らない上に、感じとる能力を持ち合わせていない。いまから集中して、いつでも攻撃が仕掛けられるように力をためていろ」
そう告げると、ジプシーはさっさと自習室をでる。
なので、慌ててわたしも、夢乃も京一郎と一緒に、自習室をあとにした。






