第76話 ほーりゅう
轟音とともに床の振動を感じて、目が開いた。
ぼんやりと見える学校の天井。
わたしはいま、どんな状態なのだろう?
だんだんと記憶が戻ってくる。
そうだった。
わたしの超能力が暴走して、結局わたし自身が階段から落ちたんだぁ。
どのくらいの時間、わたしは意識を失っていたんだろう。
やだなぁ。
花も恥らう女子高生が、仰向けに大の字で寝ちゃっていたよ。
わたしは、ゆっくりと身体を起こした。
ちょっと、どこか頭の芯で痛むような重い感じがするけれど、身体の怪我はなさそうだ。
わたしは、よいしょっと立ちあがる。
そして、周囲を見渡した。
すっかり暗くなった夜の学校の三階。
左隣にはわたしが転がり落ちてきた階段。
目の前に、二年生の教室が並ぶ長い廊下が、闇のなかにのびている。
その脇に、わたしを追いかけてきて一緒に階段下まで落ちて、意識不明の男子生徒ひとり。
おそるおそる、その男子を見つめていると、ちゃんと胸が上下している。
怪我もないみたいだ。
うん。生きているから、ひとまずOKってことで。
わたしは、このまま職員室に向かえばいいかと、くだりの階段のほうへ行きかけたけれど。
そのとき。
――殺気を感じた。
突き刺さるような視線。
思わず身体が硬直する。
これは、暗闇にのびている廊下の向こうからだ。
ここ最近、ジプシーが感じていた殺気って、きっとこんな感じだったんだろうか。
それがなぜ、いまわたしに向いているんだろう?
ゆっくり、視線を感じる廊下の先のほうを向いて、わたしは瞳を凝らす。
そういえば、階段から落ちるまで聴こえていたピアノの音が、いまはもう聴こえなくなっている。
ほかになにも聞こえず、完全な静寂だ。
その音の代わりのように、いい香りが漂ってきた。
これは――花?
静かな空間の、暗闇の奥。
周囲に漂う、甘やかな花の香り。
そしてわたしは、目で姿を捉えたわけではないのに、廊下の突き当たりに高橋麗香が立っているのが、わかった。
わたしと夢乃を校内で襲わせたのは、彼女だ。
四階の音楽室でピアノを弾いていたのも彼女。
弾くのをやめて音楽室からでてきて、たぶんすぐそばの階段をおりた。
そして、この三階の廊下の端々で、偶然いま、彼女はわたしと向き合う形になったんだ。
彼女は、わたしをジプシーの彼女だと勘違いしている。
だから、わたしに対してこれだけの殺気があるに違いない。
そこまで、理解ができた。
けれど。
ここからわたしは、どうすればいいの?
すると。
一身で彼女の殺気を受け続けるわたしのなかの力が、ざわめきはじめた。
まずい。
殺気はわたしの力の源。
このまま殺気を受け続ければ、またわたしのなかの超能力が暴走してしまう。
そして、このまま大きくなれば、間違いなく彼女も爆発に巻きこんじゃう。
でも、突き刺さるような殺気の前に、足が凍りついたわたしは動けなかった。
そして、わたしのなかの緊張感がどんどん高まって、もう力が抑えられなくなりそうになった、その瞬間。
ふいに後ろから腕が伸びてきて、わたしは背後から抱きすくめられた。
思わず声をあげそうになったところを、さらに今度は、手で口までふさがれる。
恐怖心で、力が爆発しかけたとき、耳もとで聞きなれた声がした。
「俺だ。ほーりゅう」
――ジプシー!
一気に安堵感が押し寄せ、わたしの周りの空気が急速に鎮まった。
わたしがおとなしくなったのを確認したジプシーは、わたしの口をふさいでいた手を外しながら続けた。
「おまえ、いま、緊張を解いたな?」
「だって!」
「くるぞ」
ジプシーの言葉に、はっと慌てて前方を向く。
そうか、わたしがジプシーと合流できた安堵感で緊張を解いても、彼女のほうの殺気が増しているんだ!
当たり前のようにこの場から逃げだそうとしたわたしを、さらに後ろから、ジプシーは両腕できつく抱きしめた。
動けない。
「なにすんのよ!」
「いい機会だ。実戦練習なんて、そうそう願ってもできない」
――なんですと?
「このまま彼女のPK攻撃、受けるぞ」
わたしは、我が耳を疑った。
ジプシー、いま、なんて言ったの?
無表情のまま、当たり前のようにジプシーは繰り返す。
「彼女のPK攻撃、このまま受けるって言ったんだ」
――それは無理。
絶対無理!
わたしは、背後から抱きすくめるジプシーの両腕から逃れようと暴れた。
でも、見た目が細身とはいえ、日頃から鍛え抜いている男だ。
少しも力をゆるめる気配がない。
「なにも実際に彼女の攻撃を食らえって言っているんじゃない。直前で防御してやるから。力をためる感覚を覚えろってこと。ほら、前を向いて」
わたしは仕方なく前を向く。
うひゃあ、怖いよぅ。
「ねえ、ちょっと腕がきつい」
「おまえ、ゆるめたら逃げる気だろ。前見て集中!」
「ねえ、腕が胸に当たってる。えっち」
「――前見て集中」
「ねえ」
「前見て集中! 集中しなかったら防御してやらねぇぞ!」
急に前見て集中って言われても。
いままででも、できていたら苦労していないって。
仕方がないので、廊下の奥の暗闇に瞳を凝らし、殺気を頼りに、そこに立っているであろう麗香さんの気配を探る。
そして、その瞬間、彼女から殺気の塊のようなものが放たれたのを感じた。
きたよぅ!
「目、そらすなよ」
同時に耳もとで、ジプシーがささやく。
恐怖のために、逆に彼女から視線が外せないわたしを抱きしめていた左腕だけを、ジプシーはふいにゆるめて下へ振る。
袖口から仕込み武器を手のひらに落とすと、親指と薬指、小指で握った。
そのままジプシーは、左手を前方へ突きだして目線の高さですばやく五芒星を描き、武器を握った手のひらを高橋麗香に向ける。
瞬間。
大きく見開いたわたしの目の前で、彼女の殺気の塊が粉々になって、四方にはじけ飛んだのが、感覚でわかった。






