第73話 ジプシー
「江沼、また貴様か!」
「な――先輩! なぜここに」
そう言ったとたんに、一瞬の隙ができた俺は、四人の中のサッカー部の二年に右手首をつかまれていた。
つかまれたと同時に俺は、無意識に身体をひねり、つかんでいた彼の右上膊の裏の急所を蹴りあげていた。
しまった!
――折れていなけりゃいいが。
それでも、手を放したが痛さを感じてはいないような表情の顎に、俺は左の拳を手加減して叩きこんだ。
その直後、俺は左の急所、横三枚に激痛を感じた。
はずみで吹っ飛ばされ転がされる。
脇腹を押さえて身体を起こした俺を、会長が拳をひきながら構えなおし、冷ややかに見下ろしていた。
息をとめるほどの痛みのために片膝をついている俺を睨みつけながら、生徒会長は居丈高に言い放った。
「今日も朝から教室で騒ぎを起こしてくれたようだな。昼休みに詰問に行けば、貴様は逃げたあとだ。さて、俺は生徒会室で仕事をしていたために、この場に偶然居合わせたのだが、ちょうどいい。いまからたっぷりと事情を聞かせてもらおうか」
会長のこの様子では、彼女の傀儡術にはかかっていないようだ。
まさか自分の意思で高橋麗香に協力しているわけでもないだろう。
会長がこの場にいるのは本当に偶然というわけか。
俺は、痛む横腹を押さえながら、ゆっくり立ちあがった。
高橋麗香に操られている三人は、仲間の二人が倒されたことがわかっているのか、俺と会長から距離をとって、様子を見ているようだ。
――口はきけないらしい連中だが、状況判断はできているのか?
そのとき、俺の耳が、別の音を捉えた。
目の前の会長の表情は変わらないから、彼には聞こえていないようだ。
――これは、ガラスが割れる音。
状況やタイミングからみて、おそらく割ったのは、ほーりゅうに間違いない。
あの音の位置は、やはり生徒棟の正門側だ。
俺は三人の連中の動きを目の端で確認しながら、会長に向かって口を開いた。
「先輩、話は、とりあえずこの状況から抜けたあとで」
そんな俺の言葉には、まったく聞く耳を持つ気がない様子で、会長は言葉をかぶせてきた。
「この乱闘も、貴様が原因なのだろう?」
拘束のために俺をつかもうとする会長の手から、俺は身体を退いて逃れる。
どうやら、俺のその動きを、会長は逆らったと感じたらしい。
本気で一度、俺を叩き伏せる気になったのが、その表情から読み取れた。
まずい。
高橋麗香に操られた三人とは別口で、空手の実力がある会長も相手か。
いま手加減をすれば、俺がやられる。
上段中段と正拳での連続攻撃を、さすがに体捌きだけではかわし切れずに、両手を使って払いつつ、俺はさがって防御の間合いをとった。
その間合いを予想していたらしい会長の右の廻し蹴りが飛んできたところを、あえて俺もタイミングを合わせる。
さらに左足を退きつつ右の廻し蹴りの前足底で、会長の蹴りを真っ向からはじき返した。
狙った俺の力のほうが強かったらしく、不意を突かれた会長の軸足がよろめく。
すかさず俺は攻撃間合いまで踏みこんで、体重を乗せた左の外腕刀で会長の胸を狙い、壁際まで押し飛ばした。
背を壁にぶつけた会長へさらに踏みこみ、反撃を許さぬ一瞬の間で、はじき飛ばした会長の喉仏を壁に動かぬように外腕刀で押しつける。
そして、右手の人差し指と中指の二本を立てると、会長の両眼に突きたてるようにして。
――あと数センチのところで、止めた。
その体勢のまま、俺は容赦ない眼光で会長の顔を凝視しつつ、ささやく。
「先輩。話は、あとにしてもらえますか? できる説明はしますから」
目を見開いたまま、驚愕の表情で俺を見る。
俺の本気が伝わったか。
だが、会長からの返事を聞く前に、俺は気配を感じて、会長の身体を横に突き飛ばし、俺自身も身を沈めた。
俺の頭があった空間に、うなりをあげるような勢いで蹴りが舞う。
高橋麗香の操っている、空手部の一人の裏蹴りだった。
息をつきながら喉もとを押さえ、ようやく会長は、俺以外の三人に目を向けた。
そして、はじめて気がついたように叫ぶ。
「一年の岩崎? それと平野か! 貴様ら、今日の練習にでてこないで、なにをやっている!」
「先輩、いまの連中は、なにを言っても聞こえませんよ」
俺は、対峙している空手部の主将と後輩たちに向かって声をかけた。
ようやく会長も、この異常な事態に気がついたようだ。
会長の顔つきが変わる。
邪魔者は排除という術をかけられているのか、空手部後輩二人が、勝てるはずもない主将である会長に向かって構えようとした。
そのとたんに、情け容赦のない会長の蹴りが飛んだ。
しかも、野球部の一人も巻き添えて、三人ともに。
瞬く間に三人が床に倒れ、俺は呆気にとられた。
瞬殺。
想像以上の速さと力だ。
先ほどの俺が優勢だった闘いは、もしかしたら偶然なのかとも思わせるくらいに、鮮やかな足技だった。
しかし、この手加減なしの攻撃、三人とも、大丈夫なのだろうか?
――ああ。
いま、俺に負けたと思った会長が憂さ晴らしか八つ当たりで、この三人に怒りをぶつけた可能性もあるか。
この会長なら、やりかねない。
そう考えつつ傍観していたら、ふいに会長が俺のほうを振り向き、指をさしてきた。
「やはり、貴様が今回の原因か!」
――だから会長、人の話を聞けって。
でもまあ、そう間違ってもいないが。






