第69話 ほーりゅう
「ほーりゅう、詳しい待ち合わせ場所を、電話のときに聞かなかったの?」
下校時間がとっくに過ぎているため、生徒の姿がない真っ暗な校内は、昼とは違う雰囲気をかもしだす。
静か過ぎて妙に響く空間のために、夢乃にそう訊かれたわたしは、声をひそめてささやき返した。
「学校へきてくれって言われただけだったよ? 前にここで待ち合わせたことがあるし、てっきり同じ場所でいいんだと思ったし」
先週の土曜日に、ジプシーと待ち合わせをした生徒棟一階の階段下で、わたしと夢乃は立ち尽くす。
ここから眺めることのできるテニスコートは、土曜日はクラブの交流試合があったせいか賑やかだったのに、いまはひっそりとして人影がない。
「でも、たぶん待っているはずのジプシーがいないってことは、ここの場所じゃないってことよね。――教室かしら?」
「今日、最後に別れたのが教室だもんね。そうかも」
わたしと夢乃は階段をあがり、四階にある一年の教室へと向かう。
教室のドアには、鍵がかかっていた。
「当然と言えば当然か。たいていわたしが毎朝、職員室へ鍵を取りに行くものねぇ」
夢乃がつぶやいた。
わたしは思いついて口にする。
「鍵がかかっているってことは、ここでもないよねぇ。それじゃあ、お昼にお弁当を食べている自習室かなぁ? 色々打ち合わせって、最近では自習室でしているしさ」
そう言いながらもわたしは、廊下から窓へと近寄っていき、教室内に動くものが見えないかと目を凝らす。
そのとき。
わたしの耳が、音を捉えた。
「――夢乃、ピアノの音が聴こえる」
わたしの言葉に、夢乃もうなずいた。
夢乃は、神経を集中させるようにうつむいて目を閉じる。
「この音、たぶん音楽室のほうからだよね。――それに、この曲……聴いたことがある」
そのまま耳をかたむけていた夢乃が、はっと顔をあげた。
「この曲! わたし、最初の16小節ほどだけれど、小学生のころにピアノの練習曲として弾いたことがある!」
驚いたように口を押さえた夢乃に、わたしはおそるおそる訊ねた。
「なに? そんなにびっくりするような曲なの? なんて曲?」
一瞬ためらった夢乃は、やがて小さな声だけれども、はっきりと口にした。
「リヒナー作曲の『ジプシーダンス』」
突然、わたしは、妙な胸騒ぎを覚える。
ジプシーに呼びだされた学校で。
聴こえてくるピアノ曲が『ジプシーダンス』?
「――ねえ。これって、もしかしてジプシーが弾いているの?」
「ん……。ジプシーは、ピアノを弾けるけれど、この曲を知っているかどうかは、わたしにはわからないなぁ」
「え? 本当にジプシー、いま聴こえている曲のレベルは弾けるわけ?」
半分は、冗談で訊いたのに。
本当にジプシーって、なんでもできる奴なんだ。
呆気にとられたわたしに、小首をかしげてみせた夢乃は、言葉を続けた。
「そうね。最近はほとんどピアノに触っていないみたいだけれど。一時期は一年くらい続けて、『幻想即興曲』ばかり練習しているのを聴いたことがあるわ。基礎は習っていたみたいだけれど。なんていうか、そのあとは我流で練習を続けていたみたいだから。弾き方は、けっこう荒っぽかった気がするな」
「その『幻想即興曲』って? 夢乃、わたし、その曲も知らないかも」
「たぶん聴いたら、どこかで耳にしたことのある曲だと思うけれど。――どうする? 音楽室まで行ってみようか」
「うん。なんとなくだけれど、このピアノの音って、無関係って感じがしないもんね」
そう話がまとまって、わたしと夢乃が音楽室のあるほうへと身体を向けたとき。
周囲に、複数の人影が立っていることに気がついた。
「――え?」
わたしは一瞬、状況が把握できなかった。
下校時間の過ぎた暗い校内で、数人に囲まれるって。
――もしかして、これって、とってもまずい状況?






