第35話 京一郎
かける言葉が見つからず、俺は、鏡越しにジプシーを見つめることしかできなかった。
「聞いたんだろ。俺の家族のことは。夢乃から」
たしかに聞いたが……。
俺は、態度にでていたのだろうか?
俺の戸惑う表情に気がついたのだろうか。
ジプシーは、鏡のなかの自分の姿を見つめ続けたまま、消えいりそうな微笑を浮かべてみせた。
「おまえも夢乃も、俺に対する態度は変わらない。そう感じたのは、ほーりゅうが明らかに俺に気を使っているからだ」
――ああ。
あの直球女に、話を聞いたあとも変わらない態度をとれなどという、そんな器用な芸当ができるわけがなかった。
俺は黙って、鏡のなかのジプシーの顔を見つめる。
奴の瞳には、鏡のなかの自分や俺の姿は、映っていなかった。
「トラが……。俺の従兄弟の勝虎が、佐伯の娘に俺のことをしっかり頼んでおいたって言っていたから、夢乃はトラから、事件の大まかなことを聞いたんだろうと思っていた。でも俺は、夢乃がたぶん考えているほど、事件自体に対して#抱__いだ__#く感情はない。――言い方が違うな。両親と妹が誰かに殺された、その場面が記憶から抜けているんだ。事件直後は覚えていたんだと思う。生き残りの俺は六歳であっても、警察でかなり事情を聞かれたはずだ。ただ、いま思いだそうとしても、事件の当日からそのあと半年間の記憶がはっきりとしないんだ。それは、きっと、これからを生きていくための記憶喪失なんだって納得していた」
普段には考えられない饒舌で、俺としてはジプシーの精神状態が、だんだんと心配になってきた。
その懸念する気持ちは、俺の表情で、どうやら奴にも伝わったらしい。
ジプシーは、舞台のジュリエットの衣装のドレスの裾を、軽くつまんだ。
「大丈夫だ。この格好で、少し感傷的になっただけだ」
そして、振り返ったジプシーは直接、俺の瞳を見つめてきた。
その表情は、いつもの見慣れた奴の顔だった。
そのままジプシーは、なにかが吹っ切れた感じもする不敵な笑みを浮かべてみせながら、左手で拳をつくり、俺の胸を軽く叩いた。
「悪い。誰かに話したい気分になったが、心配性の夢乃には言い辛いことだった。いま聞いたことは忘れてくれ」
――忘れろって。
記憶喪失になるわけにもいかないのに、簡単に忘れられるものか。
ということは、おまえのなかで引っかかっていることは、やはり我龍という名の男のことだけなのか。
それとも、俺たちに気を使っているのか。
一瞬で考えをまとめた俺は、とりあえず、当たり障りのない言葉を口にすることにした。
「まあ、なんだな。その格好のあいだは、おまえは鏡を見るなってことだな」
そのとき、教室の入り口で人の気配を感じた。
ジプシーもドアには背を向けていたが、その気配に気がついたようだ。
ジプシーに動くなと合図をしてから、俺はドアへと瞳を凝らす。
すると、ゆっくりとドアが細く開き、いくつかの目がのぞいた。
ジプシーの着替えを待っていたクラスの女子たちだ。
どうやら時間がかかり過ぎたようで、待ちきれなくなったらしい。
着替え終わっているジプシーの後ろ姿を確認したとたん、教室のドアが勢いよく開け放たれた。
そのまま、数人の女子がなだれこんでくる。
最初に教室へ入ってきた女子の手には、なぜかカメラまであった。
女子のひとりが、おそるおそる声をかけてくる。
「えっと、――委員長、ドレスのサイズは、どお?」
「ちょうどいいみたいだってさ」
固まっている奴の代わりに、俺が返事をする。
すると、女子の黄色い歓声があがった。
「やっぱり! 似合うと思っていたんだぁ!」
「とっても可愛い~! いまのあいだに写真撮ろぉよ」
「ほんとに女の子みたい!」
「触っていい?」
「ポーズとって!」
女子に見られたせいでますます固まるジプシーを取り囲んだ彼女たちから、口々に賞賛の声があがる。
その勢いと雰囲気に、俺のほうが怯んで、いくらかあとずさった。
さがったためか、その瞬間、なにげない女子の動きが、ふと違和感をともなって視野に入る。
――まるまる奴を取り囲んでいるわけじゃないんだ。
そう。
まるで、その方向へ、わざと逃げ道を作っているような……。
カメラのフラッシュが光ったとたんに、声が重なる。
「委員長、恥ずかしいからって逃げないでよぉ?」
その言葉が引き金になったかのように、女子の気迫に負けたジプシーが、あとずさる。
そして、そのまま女子に押しだされるように、教室のドアをすり抜けて逃げだした。
それを待っていたかのように、女子が大歓声をあげて追いかける。
そのなかに、楽しそうな笑顔のほーりゅうも混ざっていた。
俺は、ふいに気がつく。
普通に考えたら、これってもしかして、非常にまずい事態なのでは?
俺も慌てて、皆のあとを追おうとしたが、そんな俺の前に夢乃が立ちふさがった。
「どけ! 夢乃!」
苛立つように叫んだ俺へ向かって、夢乃は、くすくすと笑った。
「大丈夫。廊下で待っているあいだに、女子のなかで話ができたのよ」
訝しげに見た俺へ、夢乃は続けて説明した。
「だって、せっかく舞台をするなら、たくさんの人に観てもらいたいじゃない? だから、ジュリエットの姿のジプシーを校内で走らせて宣伝しようって。――いいじゃない、学校のなかでは裏の任務も仕事もないんだから。京一郎、あなたが先に言ったのよ? ジプシーも普通の高校生活を楽しめばいいのよ」
なるほど、事情はわかった。
女子の邪気のない作戦で、たぶんやっぱり精神が不安定だった奴が、まんまと引っかかったのもわかった。
だが。
――この女ども、ぜったい鬼だ。






