蘇芳2
実際の平安時代の制度等と異なる点がございますが、パラレルワールドだと思ってご容赦下さい。
二十二年前、ある鬼の子供が崖の下に倒れていた。狩りをしている途中で、崖から足を滑らせたのだ。もう辺りは暗くなっている。死にはしないが、しばらく動けそうになくて困っていた。
「おや、どうした?」
不意に声を掛けられた。見上げると、人間の大人が鬼の子供の顔を覗き込んでいた。狐のように細くつり上がった目。黒く艶のある髪。不思議な魅力のある女に見えた。
「お前、怪我をしているのか。脚を見せてみろ」
そう言うと、女は子供の側に屈みこんだ。そして、持っていた小さな籠から薬草をすり潰したものを取り出すと、すり傷に塗っていった。
「薬は塗ったが、治るのに時間が掛かるし、このままでは困るだろう。この近くに私の別邸がある。連れて行ってやろう」
女は、優しく微笑んで言った。
「……お前、俺の角と牙が見えてないのか?」
子供が訝しげに聞いた。
「見えているさ。お前、鬼だろう。……でも、人を食っていないな。鬼だというだけで、お前を助けない理由にはならないさ」
女はそう言うと、子供を背負って歩き出した。簡素だが上等に見える着物に子供の血が付く。しかし、女はそんな事を気にする様子もなく、ただ前を向いて歩いた。そんな女を見て、子供は目を伏せた。
別邸に着くと、女は子供の頭を布で覆い、中に向かって声を掛けた。
「帰ったぞ」
使用人らしき女が出てくる。
「あき……ではなく、蘇芳様。またこんな時間まで山にいらしたのですか。……その子供は?」
「怪我をしていたから連れてきた。私の部屋で介抱する。……ああ、私がいいと言うまで私の部屋に入るなよ」
そう言って、蘇芳は子供を連れて部屋に入っていった。
部屋は、畳もあり立派な造りに見えた。上等な着物といい、やはりこの蘇芳という女は身分が高いのだろう。部屋に寝かされた子供は礼を言った。
「……ありがとう……」
「礼には及ばないさ。傷が治るまでゆっくりすればいい」
子供が辺りを見回すと、机に書物が何冊か乗っていた。
「興味があるか?」
「無いことも無いけど……俺は、仮名を少し読み書きできる程度で、とてもじゃないけど書物は読めない……」
「私が読み書きを教えてやろう。自由な時間は沢山あるんだ」
蘇芳は貴族だが、親に愛想を尽かされていると言う。和歌や楽器の稽古を疎かにし、漢文や天文学といった分野の勉学に没頭していたからだ。いくつか縁談も来ていたが、まだ自由に勉学がしたい蘇芳はのらりくらりとかわしていた。
「終いには……」
蘇芳が話している途中で、嫌な空気が部屋に入ってきた。悪霊だ。蘇芳が呪符を取り出して呪文を唱えると、悪霊の気配は跡形もなく消え去っていった。
「このような事も出来るようになってしまった」
蘇芳が笑って言った。
子供は呆気にとられた。貴族の女がする事ではない。しかし、同時に思った。この人のようになりたいと。
「……俺に教えて下さい。読み書きも、天文学も、できればさっきみたいな呪術も」
「わかった、教えよう。……ところで、お前の名は?」
「……紅玉」
「そうか、良い名だ」
蘇芳は優しく微笑んだ。
よろしければ、ブックマークやいいね等の評価をお願い致します。




