幕間1-4
日本にいる姉二人がそんな心配を同じ頃にしていること等、独にいる岸総司大尉にしてみれば、全く知る由もないことだった。
岸大尉にしてみれば、同じ海兵隊士官同士(細かく言えば、自分は兵科士官で、彼女は軍医士官で違うといえるが)、先輩が後輩を気遣っているだけの関係のつもりだった。
エルベ河近くまで前進している第1海兵師団の師団病院近くで、岸大尉は後輩の斉藤雪子少尉と会話を交わしていたが、その内容は傍から聞く限りは恋人同士の会話とはとても言えない内容だった。
「大隊病院に派遣されていたショックから、かなり良くなられたみたいですね」
「ええ。ようやく前が向けるようになりました。とりあえず、目の前のことをこなすのが精一杯だったのですが」
岸大尉と斉藤少尉は、そんな会話をしていた。
斉藤少尉は女性と言うこともあり、師団病院に配属されていたのだが。
大隊病院に配置されていた斉藤少尉の先輩に当たる軍医士官が梅毒にかかったことから、その治療が一段落するまでと言う前提で今年の1月末に大隊病院に派遣されたのだ。
そして、斉藤少尉は独軍の反撃の前に(医師として)地獄を2月に見る羽目になった。
(第二次世界大戦当時、日本海兵隊は三段階で戦傷者の治癒を行っていた。
前線で負傷した兵は衛生兵による応急処置をまず受けて、(通称)大隊病院に運び込まれる(大隊病院というが、基本的に大隊附属というだけでそれ以外の部隊附属もある。)。
大隊病院ではある程度の治療が可能だが、診療所程度で麻酔を使った手術は不可能。
そのために大隊病院でこの戦傷者の治療は無理と判断されると(大隊病院で可能な限りの治療措置が行われ次第)、戦傷者は師団病院に搬送されることになる。
師団病院では麻酔を使った手術や入院等が可能だが、それでも10日以内の入院が前提とされており、それ以上の入院が必要となると、仏軍等を介して後方の民間病院に委託しての入院を基本的に行う有様だった。
一応、軍病院が設置されてはいたが、常に満杯状態と言っても過言ではなく、軍病院を拡大する動きもあったが、人員確保等の観点から民間委託拡大で欧州にいる間、日本海兵隊は戦傷(及び戦病)者の救護を賄うことになる。)
「先輩がナポリに遊びに行かなければ、と思いました。師団病院にいる時は治療後は生きられる戦傷者しか見ていなかったのですが、大隊病院だと応急処置しかしていなくて、トリアージ後は見殺しにするしかない戦傷者が担ぎ込まれてくるのが稀では無くて、最初の頃は失神しかけて、戦傷兵を運んできた衛生兵等から言葉のビンタを食らって、目が覚めたことまでありました。この程度の傷で失神しないでください、それでも医師ですか等々。きつい言葉でしたが、そのお陰で何とか持ちました」
斉藤少尉の言葉は、地獄の日々を今となっては懐かしんでいるかのようだった。
岸大尉は思った。
2月の孤立した戦闘時に、大隊病院で休日なしでの12時間二交代勤務を斉藤少尉は過ごす羽目になったそうだ。
単純に考えて1月だと360時間勤務の日々を3週間程は過ごす羽目になったとか。
更に、過酷な戦場の現実に20代前半の女性の身でさらされては。
心身に加えられた衝撃から、斉藤少尉が壊れかけるのも無理はない。
「本当によくなられたようで良かったです」
岸大尉は、そう心から斉藤少尉に言った。
独軍の攻撃と言う虎口からの脱出直後の3月初めに岸大尉が会った時、斉藤少尉は地獄を見た者の目を常にしている有様だった。
大隊病院から師団病院に戻され、そこでの余裕を持った勤務を送ったお陰で斉藤少尉は回復したようだ。
「お気遣いいただきありがとうございます」
斉藤少尉は微笑んだ。
作中で、斉藤少尉が「ナポリに遊びに行く」と言っていますが、梅毒に感染したことを示す海兵隊内の隠語です。
(何でナポリに遊びに行くが、梅毒感染の隠語なのかはシャルル8世と梅毒で検索すれば分かります。)
さすがに小説とはいえ、女性が男性に性病のことを直に言うのは下品に思われたのです。
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