第26話 Heaven's On Fire
今回の新曲『コバルトブルー』の最大のポイントは、バンドのアンサンブルだろう。
繰り返されるユニゾンフレーズやシンコペーション、そしてキメなどを如何にリズムのブレなくカッチリ合わせて、しかし疾走感を消さずに曲の雰囲気を出していくか。これらが曲の出来を大きく左右する。
今までJUNK ROCKでコピーしたのはピロウズとエルレガーデンの2バンド。この2つのバンドの楽曲と比べると今回コピーするバックホーンのコバルトブルーは、よりバンドのアンサンブルを重視する傾向が強く感じられる。
要するにまあ、バンドっぽさが強いということで、そしてこういう曲は――
「誠二、イントロ終わりのハイハットのオープン・クローズのところでいっつも不安定になるから意識して。あと2番Aメロ、シンコペーションが続くキメ、そこはモタりがち、ビビりすぎ」
「おう、分かった気をつける」
「トモ先輩は複雑なフレーズ、スライドで誤魔化してるのバレてますから。勢いで乗りきれるかも知れませんけど、原曲聴きこんでる人には分かるんでファンに怒られますよ?」
「ぐ、ぐふ……奈緒ちゃん厳しいね……」
「マサル先輩」
「は、はい」
「確かに先輩の声域だとこの曲は少し厳しいかもしれませんけど、無理な声の出し方すると喉を壊すんで気をつけて下さい。ゆっくり調整していきましょう」
「あ、ありがとうございます……」
「……ふう。まあ私は完璧だとしても、全体としてはまだまだファックですね」
――そしてこういう曲はバンドで合わせてみると、死ぬほど楽しいのだ。この曲が完璧に仕上がってライブで披露できたら、きっと相当格好良い。それを想像するとニヤニヤが止められなくなってしまう。っと、いけないいけない。今は全体練習中なんだからそんなだらしのない顔をしている訳にはいかない。
「……なあなあ坂本、奈緒ちゃんっていっつもこんなに厳しいの?」
「そうですね、このくらいはいつも通りですよ。今までは多分、先輩たちには遠慮してたんだと思います」
「……マジかよ、俺もう心折れそうなんだけど」
「お前の場合は端折ってるからいけないんじゃないか、トモ?」
「うっせえよマサル。お前だって注意されてたじゃねえか」
「まあまあ、頑張りましょうよ。トモ先輩」
全くこの男どもは、隅っこに固まって何をコソコソやっているんだ。もうライブ本番までの時間が残り少ないことをこいつらは理解しているのだろうか。
「はいはい、それじゃあもう一回頭から通しますよー。準備はいいですかー?」
「え、あ、奈緒ちゃん、ちょっとタンマ」
慌てるトモ先輩を無視してイントロのリフを弾き始める。この曲は私のギターから始まるから良いのだ。とにかく全員で合わせたい、音を出したい。
もっともっと、バンドで良い演奏がしたいのだ。
「ふーん、今度の対バンには坂本の知り合いがいるのか。なるほどねえ……んぐ、んぐ……っかー! 練習終わりの一杯はたまんないな~」
音出し可能時間一杯までみっちり合わせて、今日の練習は終わった。帰路に着くまでの少しのだらだらとした時間、誠二は先輩にも Lily Gardenの件を話した。
「トモ、何か今のすごくオッサンっぽかったぞ」
ちなみにトモ先輩が飲んでいるのは炭酸飲料、もちろんノンアルコールだ。
「うっせー、自然とこうなるもんだろうが。っと、話逸れたな。じゃあ坂本、頑張ろうな! 一発ガツンとやってやろうじゃんか」
「俺も頑張るよ、坂本」
トモ先輩もマサル先輩も快くそう応えてくれたが、何というかまあ、軽いなあと思った。
「ありがとうございます!」
誠二は誠二でニコニコしながらそれに答えた。こいつも軽いというか何というか。というか私に話すのは渋ったのに、先輩たちには随分あっさり話すんだな。
「…………ファック」
「ん? 奈緒、どうかしたか?」
「別に、どうもしない」
本当に、全く全然、どうにもしないのだから話しかけるな、バカ。
もともと短いライブまでの準備期間はあっという間に過ぎて、やってきた本番当日。
「おはよう」
「あら奈緒、おはよう」
「おう、おはよう」
両親と挨拶をして朝食の席に着く。ちなみに今回は前回のライブの時のようなミスは犯していない。チケットはしっかり管理して、家族の目につかないように保管してある。この前のような大騒ぎはもう懲り懲りだ。何も言わずにライブをやって、何も言わずに帰ってこよう。
「そういえば奈緒、今日は早く帰って来なさいね」
母さんが配膳をしながらニコニコ笑う。どうしたんだ、やけに機嫌がいいじゃないか、気味が悪い。
「は? 何で?」
「ふふふ、奈緒。今日は焼肉行くわよ。ヤ・キ・ニ・ク。ねえ~お父さん? 約束したもんね~?」
「あ、ああ……」
馬鹿親父は広げた朝刊から目を離さず、バツが悪そうにそう答えた。
「……父さん、今度は何したの?」
「べ、べ、べ、別に何も」
「ミユキ」
「はいごめんなさい私が全面的に悪かったですあんなところにはもう二度と行きません本当です反省してるんです許してくださいこの通りです」
母さんの一言で惚けようとしていた父さんは態度を一変させ、流れるような動作で綺麗な土下座を完成させた。
なるほど、事情はだいたい分かった。大方親父が変な店に通いつめてたのがバレたということだろう。それが昨日の夜バレて母さんに問い詰められたと、きっとそんなところだ。前にも何回かこんなことがあったような気がする。
「と、いうことだから今日は一家で焼肉ですっ。今日のお肉は全部『上』か『特上』でいいからねえ~」
「ひいっ、特上なんて連発されたら俺のお小遣いが」
「サヤカ」
「はい何でもお召し上がり下さい私にできるのは家族の皆様に奉仕することのみでございます」
「だって、奈緒。うふふ」
朝からため息をつきたくなる会話だ。どうして私の家族はいつもこうなんだろうか。
だがしかしこのまま黙って状況を見ている訳にはいかない。今日はライブなのだ、待ちに待ったライブ本番なのだ、だからそんな焼肉なんて別に全然行きたくないのだ。当然優先すべきはライブであり、もちろんどちらが大事かと言われれば私はバンドを取る。バンドは私一人の問題ではないし、今日は負けられないライブなのだし、たかが焼いただけの肉と比べるまでもない。
素晴らしい食感のタン塩も、脂のたっぷり乗ったカルビも、魅惑のホルモン達も、大したものじゃない。別にそんなもの食べなくたって生きていけるのだ。要らない、要らない、必要ない。
「……ねえ、その焼肉って今日じゃなくちゃダメかな?」
うん、でもまあだからといって絶対に行きたくない訳ではないし、家族の触れ合いというのもそれなりに大事だし、別の日にずらせたなら皆が幸せになれると思っただけだし。
「あら? 今日は何か用事でもあるの奈緒?」
「まあ、今日はちょっと色々……」
だから両親に今日がライブだと言えないなんて事情も屁の河童なのだ。全然焼肉なんてどうってことはない。肉なんて、別にタダの肉に過ぎないのだ。肉汁したたる炎の天国だなんて欠片も思っちゃあいないのだ。
「う~ん困ったわねえ。昨日もう予約取っちゃったのよねえ、『水ノ登平安苑』」
「ぶっ!」
「んごぉっ!!??」
その店名を聞いて思わず私は、吹き出した。ちなみに父さんは私よりも派手に味噌汁を食卓にぶちまけていた。汚い。
「はあぁ!? ちょ、待てお前! 平安苑だあ!? そんな高級店なんて俺聞いてねえぞ!?」
「ええ、だって言ってないもの」
そう、母さんが事も無げに言い放った店名は、県内でも一番の超高級店だ。普通だったら前日に予約が取れる店ではないはずなのに。一体どうやって――
「あら、あなた言ったじゃない? 『どこでもお前の好きな店でいい』って」
――そこまで考えたところで、母さんと目が合う。
「ま、まさか……」
まさかこの女、糞親父を問い詰めるより前に店の予約を取っていたというのか。交渉の落とし所まで全て計算して行動していたというのか?
「ふふふ、奈緒。どうかした?」
「べ、別に何でも」
「うふふふ」
我が母親ながら、恐ろしい女だと思う。恐らく私はこの女のこういった部分の遺伝子は継承していないようだ。
「とにかく、私は今日はいけないから! 晩御飯は外で食うから!」
「あらら、もしかして奈緒今日はデート?」
「ちが……」
否定しかけて、やめた。こうやって否定を続ければ、勘の良い母さんは今日がライブだと気がつくかもしれない。それは避けたい。この前のようなドタバタはゴメンだし、今度こそ本当にライブハウスに来てしまうかもしれない。
それならばいっそ、
「……まあ、そんなところよ」
いっそ、そういう事にしてしまえば良いのだ。男子と一緒というのは嘘ではないし、勘違いさせておこう。焼き肉にいけないのは正直に言うと残念で仕方がないけれど、背に腹は代えられない。
「あら」
「おお」
これで問題は解決、
「ねえねえ、相手は誰なの!? ねえねえ! この前言ってたクラスの汚物は消毒君?」
「な、何だよ母ちゃんそのイカつい名前は!? おい、奈緒! お前そんな世紀末な奴と付き合ってるのか!? お父さんいくらなんでもモヒカンでピアス空けまくりな奴が息子になるってのは」
なんて思っていた私が甘かった。
「そんなこと言ったって仕方ないわよ、お父さん。奈緒はもう彼のトゲ付きパットでヒャッハーされちゃってるんだから~」
「なんてこった! もうヤツはご自慢の火炎放射器で奈緒を天国送りしちまったってのか! おい奈緒、ちょっとそいつを早い所ウチに連れて来い!」
私の家族はどうやら、どう転んでも面倒くさい方向にしかいってくれないらしい。
つくづく、ファックな一日の始まりだった。
結局私はガタガタうるさくて面倒くさい両親から逃げるように、朝食も半分くらいで済ませて学校に向かった。お陰でいつもより三十分も到着が早くて当然誠二も居ないし、透子も朝練。話す相手も居ないのでイヤホンを耳に装着して、音楽を聞きながらうつ伏せになって時間を潰すことにした。
「あれ? 奈緒、珍しく今日は早いな。朝練もないってのに」
十分ほどして、誠二が教室にやってきた。
「……おはよう、汚物は消毒君」
「は、何だそれ?」
「何でもないわよ、ばーか」
「ここのところしょっちゅう意味の分からない理由で罵倒される……」
釈然としない表情で誠二は席に着いた。
「あー、腹減った」
「何だよ、朝食って来なかったのか?」
「半分くらいしか食べてない……」
「もっとゆっくり食ってからくれば良かったのに。こんなに時間の余裕あるんだし」
お前のせいだ、なんて思ったけれどそれは間違いなく八つ当たりなので、
「うっさいわねえ。色々あったのよ」
「ふ~ん」
そう言ってひとまず話を打ち切る。
「ねえ誠二」
「ん?」
「焼肉」
「は?」
「焼肉食いたい」
「お、おう」
「私は焼肉が食いたい」
「……朝からヘヴィだな、お前」
「ははは、まあね。私はヘヴィ・メタラーだからね、このくらい当然よ」
ああ糞、やっぱり力が出ないな。朝ごはんをもっとしっかり食っておけば良かった。あの状況では無理な話だったけど。それにしたって超高級焼肉を逃したのは惜しい。本当に惜しいことをした。まだほんの少し未練が残っている。
「じゃあさ奈緒」
「ん~?」
私は相変わらず、机の上に突っ伏したままぐったりしながら聞き返す。
「今日のライブが上手く行ったら、焼肉でも行くか」
「……は?」
「次の休みにでもさ、行こうぜ。焼肉、食いたいんだろ?」
「まあ、それは、そう、言ったけど」
「じゃあ決定な」
「う、うん……」
「あー楽しみだなあ、焼き肉」
押し切られるように、焼き肉行きが決定した。
いや、別に誠二と焼き肉に行くくらいどうってことはない。今までだって放課後の練習後に飯食いに行ったことは何回かあるし、別に大したことじゃない。そう、別に全然特別なことじゃない。
練習とか、ライブとか、何かのついでじゃなく休みの日に二人で会うことなんて、全く一切特別なことじゃないのだ。後ろの誠二に背を向けて、もう一度自分の机に突っ伏す。
「ちなみに、焼肉に行くカップルは既に肉体関係にあるって話を良く聞くよね~。そこんとこどうなの、近藤さん?」
気が付くと、佐藤がニヤニヤしながら私の目の前に立っていた。
「……ねえ佐藤」
「なあに、近藤さん?」
「あんた、どこから聞いてた?」
「えーっとね、汚物は消毒君あたりからかな?」
来てるんなら挨拶くらいしやがれよ、全くこいつは。別に大した内容じゃなかったけれど、さっきの会話を聞かれていたのが何故だか恥ずかしくってお腹の奥がムズムズした。何だこれ、意味不明だ。
「……寝る」
その感覚がムカツイたので、もう一度机に突っ伏した。寝ればきっと忘れる。誠二と焼肉に行くことが決まった時の変な緊張も、佐藤に話を聞かれていたことが分かった時の謎の恥ずかしさも、きっと全部忘れられるのだ。
「はいは~い、おやすみ近藤さ~ん。良い夢見てね~」
いつもなら机に突っ伏したらすぐに眠気が来てくれるというのに、今日は不思議と目が冴えてしまっている。
「授業始まったら起きろよー奈緒」
うるさい、バカ。ムカツクことは、寝て忘れるのだ。
この日の授業は全く身が入らなかった。まあ言ってしまえばそれはいつものことだけれど。
そしてやってきた放課後。いよいよ始まる楽しい時間。
「そんな訳で佐藤、チケットを買え」
「どんな訳か分かんないけど、二人共頑張ってねえ~」
「サンキュー夏彦、いつか見に来いよ?」
「そうだな佐藤。来なくてもいいからチケットを買え」
「今度ね~」
「おいてめえ今財布にいくら入ってんだ? あぁ?」
「あははは近藤さん不良みたいだね~」
「ほらほら奈緒、行くぞー」
誠二に引っ張られながら私は教室を後にした。
「なあ奈緒、もしかして今回もチケットは……」
誠二の問いかけに、私は黙りこむ。推して知れという奴だ。だって仕方がないだろう、ライブが決まったのも急だったし。そんなんじゃ皆都合付かないし。
「……すまん、悪かった」
「謝るな馬鹿野郎」
そんなことされると余計に惨めになるだろうが。ああきっとまたトモ先輩やマサル先輩は女の子を呼んでいるんだろうなあ。ライブ後の精算で私だけ気まずい思いをするんだろうなあ。そんなことを考えると少し気が重くなる。
でも今回のライブの決定は急だったから仕方がないんじゃないだろうか。二週間かそこらで急に、ライブを見に来てくれる友達なんて出来るわけがないのだ。そもそもこの前のライブから今日までで新しい友達なんか、
「……あ」
と、そこまで考えて一人思い当たった。
「どうかしたか?」
「いや、う~ん……」
友達とは呼べないけれど、私の交友関係も少しくらいは広がっていた。でもあの人の連絡先なんて知らないし、今日が運良く暇かどうかも分からない。
それでもしかし、きっと誰も来ないよりはいいだろう。断られたとしても私に損は一切ない。
「誠二、ちょっとここで待っててくれる?」
空振りに終わるかもしれないけれど行くだけ行ってみよう、やるだけやってみよう、そう思う。
「あ、おい、待てよ奈緒!」
誠二の制止の言葉を背に、私は走りだした。ライブハウスへの入り時間も迫っているし、あんまりもたもたしている時間はない。
ごった返す放課後になったばかりの廊下を駆け抜けて、私は目的地へと向かう。部活に向かう生徒やこれから帰る生徒、書類を抱えた教師など様々な種類の人たちとすれ違う途中で、赤いジャージの集団を追い越した。
はて、あの赤いジャージは何部だっただろうか、思い出せない。その集団の中に、何やら見覚えのある後ろ姿を見かけた気がしたが、急いでいたのでそんな些細な違和感は頭の片隅にも残らず何処かへ飛んでいってしまった。
『汚物は消毒君』は第11話を参照です。




