第21話 Anthem (We Are The Fire)
かの有名なギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーン氏はとあるインタビューでこう語っている。
『誰とも遊ばなかった。友達も作らなかった。とにかくギターばかり弾いていた。何年も、何年もだ。1970年から1980年くらいの間、ギターを弾く以外何もやらなかったってことだ。毎日12時間とか13時間とかだ』
この言葉を聞くと蒙昧な輩は『なんだよこいつタダの友達いない性格最悪の根暗野郎じゃないか』と思うだろう。確かに性格に関しての指摘は一部その通りかもしれないが、しかしそんな輩でも彼のギタープレイを一度聞いたならこの言葉の説得力を思い知ることになるのだ。
「……うーん、やっぱりインギーは最高だな」
自室でDVDを観終わって、私はしみじみとそう呟いた。
イングヴェイこそやはり私の中での最強ギタリストだ。演奏も、言動も。ああどうせバンドでコピーするならイングヴェイがやりたいなあ、とは思うけれど流石に今のメンバーでは無理がある。まあバンドが出来ているだけ幸せなのだし贅沢は言うべきではないか。
『奈緒がやりたい音楽には、俺が付いて行く』
――と、少し前の記憶が蘇る。
『奈緒がやりたい曲があるなら俺が付き合うよ。ライブでやるっていうのはメンバーが揃わないから無理だけど、この前のディープ・パープルみたいにスタジオで合わせるくらいならいくらでもやってやる』
そういえば誠二はバンドを組んだばかりの時の帰り道でこんなことを言っていた。ライブが決まったりその練習が忙しかったりですっかり忘れてしまっていた。
『……なあ奈緒、俺はどうやったらもっと上手くなれるんだろう。どうやったら、奈緒や先輩の足を引っ張らなくて済むようになれるんだ?』
さらにまた、もう一つ。あいつの言葉が蘇る。
「……ふむ」
棚の中を漁って、条件に合いそうなCDを探す。
しかし我ながらとんでもない量のCDだと思う。もしかするとこれは長い戦いになるかもしれないな、何て思いながら私は一枚目を取り出してプレイヤーにセットした。
翌日、私が眠たい目をこすって本鈴直前に登校すると、もう誠二は席に着いていた。
「おう奈緒、おはよう」
「ふぁ~、おはよ。あどっこいしょ、っと……うーん」
荷物を下ろして席につく。ちなみに二つ後ろの席に変な座り方の奴はいない。この時間で来ていないということは、きっと佐藤は遅刻だろう。
「何だ、随分眠そうだな?」
「まあね……そんな訳で、はいこれ」
「どういう訳だかはさっぱり分かんねえけど、どうも」
私は寝不足の理由をカバンの中から取り出して誠二に手渡した。
「えーっと……トリビウム、でいいのか?」
「トリヴィアム、ね」
誠二に渡したのはTriviumの四枚目のアルバム、『The Crusade』だ。
「へー、へー、へー、へー」
誠二はそう言いながら机をバンバン叩いた。
「……確かにバンド名の由来はそこから来てるらしいけど」
「おお、意図せず大正解か」
「はいはいおめでとう」
それにしてもその番組はちょっと古い気がするぞ、誠二。
「んで、これが? また教材として貸してくれるのか?」
以前も誠二にCDを何枚か貸したことがあったが、しかしそれはあくまでメタルの布教のためのものだった。今回もその意味も含めてはいるけれど、しかし主な目的はそれとは違う。
「このCDの四曲目、一週間で覚えてきて」
「へ?」
「私からの課題曲ってこと」
全く、今の誠二に適切な難易度の曲を選ぶのは骨が折れる作業だった。誠二のレベルは多少マシになったとはいえ、まだまだ初心者に毛が生えた程度のものだ。そんな誠二にいきなり難しい曲をやらせることは不可能だ。変拍子バリバリのプログレなんかは当然出来ないし、ガシガシのメタルはツインペダルもないから不可能。かと言って簡単過ぎる曲では課題として機能しない。加えて付き合う私にも良い練習になる。そんな丁度いい塩梅の曲を探すのは中々大変な作業だった。お陰で今日は大いに寝不足だ。
「お、おう分かった」
「一週間後に部室でテスト。合格出来なかったら、そうだな……駅前のラーメン屋、味吉のチャー定奢りってことで」
チャーシュー盛り定食、680円。あの味の濃~いチャーシューがホカホカの白いご飯によく合うのだ。ああ思い出しただけでお腹が減ってきた。
「うげ……も、もちろん普通盛りだよな?」
「馬鹿言うなっての。ライスもチャーシューもダブルに決まってんじゃん」
何を日和ったことを言っているんだこいつは。音楽の道は険しいのだ、並盛りで済むほど甘くない。
「それ千円コースじゃねえかこの野郎!」
「合格すればいいだけの話でしょ? まさか自信ないの? あんだけ上手くなりたいって昨日は言ってたじゃん」
「それは、そうだけど。貧乏高校生のお財布に千円はそれなりのダメージっていうか……」
誠二は何だかまだブツブツ言っているようだったが私はそれを無視した。
「はい、なら決定。んじゃ私は眠いので寝る。さらば」
「おいおい夏彦も来てないし、目の前のお前に一限から爆睡されると悪目立ちするだろうが。おいだから寝るなよ奈緒、聞いてんのか? あ、そういや一週間後っていやあお前」
聞こえませんよ誠二さん、私はもう寝ているのです。
本鈴が鳴った。教室の喧騒が遠のいていく。
担任が入ってきた。ああ、もうそろそろ本気で寝そう。さらば午前中、もう少しで会えるよお弁当。
「……えー中間テストまでいよいよあと一週間と迫ってきたが、お前ら準備は捗ってるかー?」
そうなのか迫っているのか。
まあそんなの別にどうでもいいか。
だって私天才ギタリストだし。天才なんだから勉強も楽勝だし。何にも心配することはない、眠ろう。
おやすみなさい。
大抵の授業は退屈だけれど、体育だけは嫌いではない。
今日の体育はソフトボール。私は意気揚々とバッターボックスに立つ。
「おっしゃーこいやー! どおりゃあ!」
「ストラーイク」
「ふんっ!」
「ストライイクツー」
「んがぁっ!!」
「ストラーイクバッターアウトー」
……まあもちろん、嫌いではないだけで得意と言うわけでもない。華麗な素振りを3回披露して、私は打席を後にした。
「あんたってさ、雰囲気は運動得意そうなんだけどなあ」
ベンチに戻ると透子がそう声をかけてきた。
「うるさい脳味噌筋肉体育会系」
「あら気を悪くしたならごめんね脳味噌重金属ひきこもり系」
間違えていないので何も反論できない、ファックだ。
「そういや奈緒、この前ライブだったんだっけ。どうだったの?」
あのライン録りを聞いた今では完璧だったなどと言えるわけはなく、
「ん~……まあ、ぼちぼちかな」
私の答えは歯切れの悪いものになってしまった。しかしそれでもやるしかない、もっとギターを弾くしかない。もっともっとバンドをやるしかないのだ。頑張ろう、頑張りたいから頑張るのだ。
「へえ……」
そんな私を透子は面白そうな顔で眺めた。
「……何よ?」
何か文句でもあんのか、この野郎。
「そういう態度、あんたにしては珍しいなって」
「はあ? どういう意味よ?」
おちょくってんのか殺すぞ、と思ったけれど、
「バンド、組めて良かったわね」
透子の笑顔は今まで見たことがないくらい真っ直ぐで他意のなさそうなもので、
「ああ、うん……」
私はただ頷くことしか出来なかった。
「あ、じゃあ私の打順回ってきたからまた後で」
透子はそう言い残して颯爽とバッターボックスに向かっていった。流石運動部、構えも素振りも様になっている。何か、ムカツク。三振しろ。
グラウンドの反対側でサッカーをやっている男子の様子を眺めてみる。
ええっと誠二は……いた。何となくボールの動きに合わせてグラウンドを走り回っているけど、ボールに直接触ったり展開に絡んだりする様子は殆ど無い。
と思ったら誠二のところにこぼれ球が来た。
大きく足を振りかぶって……空振りしやがった!
「ぷぷっ、格好悪」
傑作だな。あいつ球技は苦手なんだろうか。いやそもそも運動が苦手なのかも。中学の頃誠二は何をやっていたんだろうか。運動部だったのか、それとも文化部だったのか。
なんて考えて、私は誠二のことをあまり知らないのだということに気がついた。
……まあ別に、知ったからどうってことでもないけど。
「おお」
何てことを考えているうちに、耳に飛び込んできたのは金属バッドの快音。透子の打撃音だ。打球はぐんぐん伸びて外野の頭を越していく。私の呪いも虚しくこの調子なら走者一掃、外野がもたつけばランニングホームランもあり得る。
「ファック、だな……」
何はなくともそう呟いて見る。
天気も良くって過ごしやすくて、これから先への希望や期待もやる気もあって、何はなくともファックなのだった。
日中は学校で寝たり起きたりして、家ではとにかくギターを弾いて、あっという間に一週間は過ぎた。いよいよ待ちに待った誠二と課題曲を合わせる日だ。
「おっはよー、今日もいい天気だねえ」
ギターを背負ってルンルン気分で登校する。
だがしかし、私を迎え入れた教室は何故だかいつもとは違う雰囲気だった。違和感を覚えながらも荷物を下ろして席につく。
「おう奈緒、今日も本鈴直前か。余裕だな」
「だね~、流石近藤さんだね~凄いや~」
誠二も佐藤も当然の様にそんなことを言っているが、私にはさっぱり意味が分からない。
教室の中を見回す。いつものように談笑している生徒は少ない。そして逆に見慣れない光景もある。教室の中の生徒の多くが下を向き、教科書とにらめっこをしている。いつもよりもずっと静かで、何故かある種の緊張感のようなものさえ感じられた。
一体この非日常の原因は何なのかと、私は推測を始めたがその答えは入ってきた教師の一言であっけなく判明した。
「おーしじゃあ答案配るぞー。ちゃんと教科書とかノートとかしまえよー」
私の頭はすぐにその言葉が意味することを、そして今日感じた違和感の理由を全て導き出した。
「……き、聞いてない」
震える声で、私はせめてもの抗議の言葉を発する。こんなこと無駄だとは分かっていながらも、でもしかし何か言わずには居られなかった。
「は? どうしたんだ奈緒?」
「わ、私は今日が中間テストなんて聞いてない!」
私の発した言葉に、誠二も表情を引き攣らせた。
「…………マジ?」
「…………マジ」
そして二人の間に流れる沈黙。そんなことお構いなしに前の席から渡ってくる答案用紙。震える手でそれを掴んで、私は誠二に用紙を手渡す。
「まあ、その、あれだ。……うん、望みは捨てるな。諦めるな。最後まで何があるか分かんないから」
気まずそうな顔で誠二は言った。
「そ、そうだな誠二。……うん、何とかなる何とかなる! だってほら、私天才ギタリストだし!」
そうだ、私は天才なのだ。イケるイケる、前を向こう。折れそうな心を鼓舞して、希望の炎を燃え上がらせる。
そうだ、私は炎だ。私達は炎なのだ。燃え上がれ私の心、熱くうなれ脳細胞。眼前の敵に怯えることなく突き進むのだ。
「ギターは関係ないと思うけどなあ~」
佐藤の声が聞こえた気がするけど、それは無視することにした。
数時間後に残ったのは、真っ白のまま提出された数枚の解答用紙と、真っ白に燃え尽きた私の亡骸だった。
ファック。




