カースト頂点のギャルに激おこだったけど、百合になる暗示がかかってから可愛くて仕方ない
獅子は兎を狩るにも全力を尽くす――なんて聞いたことがあったけれど、どうやら私のクラスでカースト頂点、教室の王こと志々原凜々花は兎をもてあそぶ趣味があるようだった。
そしてこの兎というのが、いつも教室の隅で震えている私なのだから迷惑極まりない話である。
「幸坂なに、まったキモい漫画読んでんのー? 隠れてないで、アタシにも見せてみぃ」
「……っさ」
「え? なに? 表紙隠すなって」
「…………っざ」
ギリギリで『うっさ』と『うっざ』という罵倒を堪えて、私は本を閉じて鞄にしまった。口答えはできないけれど、視線だけで抗議してみる。
「しまわなくてもいいじゃん。見られたくなかった? エロいやつだったん?」
「人と話すときは本は閉じる」
「なにそれ? 幸坂、アタシと話す気なの? ウケる」
「……それで用あるの? ないなら、放って置いてほしいんだけど」
いかにも馬鹿にしたように笑う志々原は、余計癇にさわることに美人だ。いわゆるギャルって感じで、明るく染められた髪色に、着崩した制服姿だけれど、不思議と下品に見えない。
校則では禁止されているはずのアクセサリーもどうどうとつけていて、今も開いた胸元にはピンクゴールドのネックレスが見えている。
それなのに教師達から取り沙汰と注意を受けることもなく、当然クラスメイト達からの反感もないのは、彼女がカースト頂点の女だからだろう。
「用なんてわかるでしょ? 幸坂がまたボッチで漫画読んでっから構ってあげてんじゃん。そういう空気読めないで、不機嫌な態度ばっからから友達いないんじゃないの? オタクってそういうとこあるよね、変に自意識過剰だしっ」
――訂正、カースト頂点のウザ女だからだろう。
友達ならいる。クラスは違うけど、中学から付き合いのある折部という私みたいな地味な女子だ。要するに、オタ友。別に、私自身オタクを自称しているわけじゃない。好きなのも漫画くらいで、アニメとかゲームは全然だし。
それを友達が居ないとか空気の読めないオタクとか勝手に決めつけてきて、失礼極まりないウザ女だ。
ただでさえ私の貴重な漫画時間を邪魔してきているというのに。
「……構わなくていいから」
「うっわ、根暗ちゃんはこれだから……。自分一人で閉じこもってても楽しいことないよ? 可哀想に」
「…………ごめん、お手洗い行くから」
「アタシもついてってあげよっか? 一緒に行ってくれる友達いないでしょ?」
「いらない。一人で行く」
志々原を振り切るようにして教室から出た。静かに漫画を読んでいただけの私がなんで逃げなきゃいけないのか。トイレの個室に入って――んんぎゃあああああああああ、あのウザ女ぁああああああアアアアア!!! って限界寸前だった怒りを解放した。もちろんトイレの個室だからって一人で騒いでしまうと完全に不審者だ。声には出さないで体の動きとかそういうので、感情を表現している。物とか壁にも当たっていない。
そう、私は無害なオタク――ではないので、ただの地味な女子なのだ。
だというのに、あのギャル、ウザ女は――ッ!!!
「というわけで……本当もう我慢の限界で……」
「だろうね。それお昼の話でしょ? もう放課後なのにめっちゃ引きずってるし」
限界の限界過ぎて、放課後に折部の部屋へお邪魔させてもらっていた。高校から私の家までの道中にあって、漫画やらアニメグッズやらが所狭しとならんでいる彼女の自室は、私に取って第二のホームだ。オタクの部屋、居心地良い。
教室で心すり減らしてきた今の私には全身から染み入るような何かまで感じる。天国かな。
いつもだったらベッドの片隅を占領して、折部おすすめの漫画を読みながらまったり談笑しているのだけれど、今日はその前にたまりにたまっていた愚痴を聞いてもらっていた。呆れながらも、うんうんと聞いてくれる折部は天使だ。
「あーもうっ、どうにか志々原のこと黙らせられないかな」
「先生に相談?」
「……いじめってわけじゃないし、どうだろ」
個人的にはいじめレベルの精神被害は受けていると思うけれど、客観的に見れば一々絡まれて面倒なくらいだ。
教師に報告してもまともに取り合ってもらえるとは思えない。
そもそも志々原はギャルのくせして教師受けがいい。クラスメイトからも担任からも慕われているのが傍目にもわかる。だから私みたいな隅っこの者が訴えて動いてくれるはずもない。
「じゃあ、あれは催眠アプリとか」
「催眠アプリっ!?」
折部の部屋の壁に貼られたポスターと目が合う。和服を着たイケメン男子だ。
ゲームのキャラらしいから私は詳しいことはまるで知らないが、どうにもアンニョイな表情を浮かべていて色っぽい。
――えっと、それでなんだっけ? 催眠アプリ?
けったいな単語に、私は思わず聞き返していた。折部もどこちなくぎこちない笑みで、「あーいや、その」と口ごもる。
「折部、変な漫画の読み過ぎじゃない? なに催眠アプリって。ないよ、そんなのない」
「あたしもそこまで信じているわけじゃないけど、ほらこれ」
「えぇ?」
そう言って見せられたスマホの画面には安っぽいフォントで『催眠アプリ』と書かれていた。そのまんまだ。なんだこの小学生のイタズラみたいな代物は。
「タップするとかける催眠の内容が選べてるみたいで」
「ふーん」
画面に触れると、いくつかの選択肢がズラっと並んで出てくる。
「えっと……『エッチな気分にさせる』……いやいや、やっぱ漫画でよく見るあれだよね? ふざけてるよね?」
「あはは。まあ、そうなんだけど。でもこれが本物だったら志々原さんへの仕返しもできるのになって」
「エッチな気分にさせてどうしろとっ!!」
志々原は美人だけれど、私にそういう趣味はない。それにあいつ、背は高いけど胸は小さめだしな。多分、私の方が大きい。むっ、まさかあいつ私の方が胸が大きいからそれを妬んでいるのか?
「でも他のやつならさぁ……ってあんまり使えそうなのないね。『感度百倍』ってなに?」
「…………なんだろうね?」
適当に話を逸らす。愚痴も言い終わったし私は漫画タイムへ移るつもりだったけれど、折部はまだアプリが気になるようだった。
「あ、これは『百合にする』だって。ほら、これ使って、志々原さんに惚れてもらったら優しくしてもらえるんじゃない?」
「惚れられたくないし、優しくしてほしくもないんだけど」
「えー、でもさ、仲悪い二人が恋に落ちるとかよくない?」
「よくないっ! それこそ漫画の読み過ぎっ」
カースト頂点にしてウザ女、志々原への不満を聞いてもらっていたはずが、どうして私と彼女が恋に落ちなくちゃいけないのか。ありえない。落とすなら地獄だ。もちろん志々原一人だけ。
私はため息をついて言う。
「だいたいさ、催眠とかそんなのあるはずないじゃん」
「まあ、そうだけど。でも本物かどうか一回くらい試してみたくならない?」
「……試せば?」
「自分だとちょっと怖いし」
だから志々原で試してみろ、というのが折部の本音らしい。確かに志々原だったら催眠アプリの効果で『感度百倍』になっても私の知ったことではない。なっても得はないけれど、あいつが少しでも不幸な目に合うなら十分憂さ晴らしにはなる。
「……まあ絶対効果ないと思うけど、やってみるだけいっか」
無料アプリで変な登録が必要なものでもないなら、遊びで使っても面倒なことにはならないだろう。もちろん万が一のことを考えると自分に使うのも避けたいけれど、志々原ならどうなっても構わない。いや、むしろ催眠の効果とか副作用ですごい目に合ってほしい。
私は折部からスマホを渡してもらって、適当に操作する。試すとして、どうやったら催眠がかけられるのだろうか。
「あーこの『催眠実行』ってボタン押せばいいの? これ押したらターゲットとか選べるのかな?」
「え、ちょっとそれ待った方が」
「ん?」
言われたときにはもう遅く、私がタップし終えたスマホは画面をピカピカと光らせながらキュイキュイと鳴る。激しい明滅と機械音が頭に刻まれていくようで、私は驚いてスマホを落とした。するとどこかのボタンに触れたのか音が止んだ。
「だ、大丈夫?」
「う、うん。……それより、ごめん。スマホ落として」
「えっと、うん。こっちも大丈夫そう。……それより、平気? 催眠かかってない?」
「……うーん?」
変な光と音に多少くらっと来ただけで、気分が悪くなったり、頭がぼんやりしたりなんてこともない。
「大丈夫そう。……でもそっか、画面見せて催眠かけるのか。これだと志々原に試すの難しいかも」
「あー、そうだね。催眠かけようとしたの、志々原さんにバレバレだもんね」
アプリだしもっと簡単にかけられるかと思った。でもそういえば漫画とかで出てくる催眠アプリもこんな感じだったかも。私は基本的にどんな漫画でも読むけど、催眠アプリにそこまで詳しいわけじゃないからな、知らなかった。
「でも効果なしかー。まあそうだよね。それに効果あったら今頃、幸坂が……えっと何の催眠選んでたの?」
「そっちはいじってなかったから……あー多分、百合?」
「えっ。もしかして、なった? 百合なった?」
「……いや?」
折部が笑いながら聞いてくるけど、やはり私が何か変わったような様子はない。
「なーんだ。残念、あたしと幸坂のラブコメが始まるかと思ったのに」
「ないない。始まるのは漫画タイムだから」
「『きらら』ってこと!?」
「……そういう意味じゃない」
つまないことを言う折部に呆れながら、私は立ち上がって本棚を勝手に物色する。壁のポスターとまた目が合った。優男が、なんだか腹が立つ顔に見えてくる。あれ、こんな顔だったっけ? もっとこう色気のあるイケメンに見えてたけど……案外好みじゃなかったのかな。
翌日、目下の悩みである志々原凜々花のことを思うと、私はまた憂鬱な気分になる。
なんだかこう胸の奥が熱くなるような。きっと積もり積もったストレスによって、今まで以上の怒りの感情が煮えたぎっているのだろう。
だけど幸か不幸か、今日に限って志々原が私へのちょっかいをかけてこない。いつもなら、授業の合間の短い休憩時間だって、お昼休みだって隙を見てこっちに来て嫌がらせしてくるのに。
来ないなら来ないで、無性にお腹の底からムカムカしてきた。
――なに? なんで今日は来ないわけ?
きっと今もこの状況を遠目に、私を馬鹿にしているんだろう。これも嫌がらせの一環に違いない。
いつ来るのかわからせないことで、私のイライラを煽っているのだ。でもきっと放課後までには――。
結局授業がすべて終わって、担任が来て適当に話してみんなが帰り支度を始めても、志々原は私の所へ来なかった。我慢の限界だ。昨日も思ったけれど、今日こそ本当に耐えがたい。一言、はっきり言わないと腹の虫が治まらない。胸のモヤモヤが、苦しいくらいなのに。
綺麗な顔に湿気た表情を浮かべた志々原へ詰め寄った。待っていると帰られてしまう。他の生徒達はもうパラパラと教室から出て行っている。
私から話しかけるなんて、当然初めてのことだった。
「っなんで来ないわけ!?」
「幸坂っ!? なんであんたがっ」
いつもの小憎たらしい顔が、驚きで見たことのない表情になった。少しだけ、気持ちがスッとする。志々原も可愛い顔するんだな。
「なんでって、それはこっちのセリフなんだけど。同じ事言い返さないでよ」
「言い返すってなにそれ。……幸坂が急に来るからじゃん」
「はぁ? いつも勝手に来るのはそっちでしょ。それなのに今日はなんで来ないの!?」
「だって幸坂が昨日……」
図々しいぐらいの口調が、どこか控えめだった。なんだか、しおらしく見える。
「具合でも悪いの?」
「はぁ? 全然元気だけど。なに幸坂、本当あんたこそ熱でもあるわけ? なんか今日の幸坂おかしくない?」
「熱……」
たしかに体が熱い。でもこれは志々原への怒りが原因だ。
「ある。志々原のせいで」
「あ、アタシ!? なんで、幸坂の熱とアタシが関係わるわけ?」
「ある」
「意味わかんない言い掛かりつけんなって! やっぱおかしいでしょ、昨日だって……」
言いよどむ志々原の眉間に寄ったしわが、なにか普段のキツい表情と比べるとどこか困っているように見えた。そういう顔していると、いつものすごみのある美人顔もどこかおとなしい。
私達が言い合いしている間に、教室からは人がいなくなっていた。
「昨日って?」
「具合悪そうにしてたじゃん。態度も悪かったし」
「具合って……」
志々原との会話から逃げるようにトイレへ行ったことか。そんなのはただ志々原に我慢の限界だっただけだ。でも――。
「私のこと、心配してたの?」
「心配なんてないってのっ! でもまあ、元気ないならそっとして置こうかなって……」
「ふぅん」
視線を逸らして、どこか所在なさげな志々原が急にいじらしく見えてきた。
今日に限って絡んでこないのはてっきり遠回しな嫌がらせだと思っていたのに、まさか私の体調を案じていたなんて思いもしなかった。もっと自分勝手なウザ女だとばかり。
「案外、可愛いとこあるんだ」
「はぁっ!? 可愛いってなに!? 幸坂、アタシのことバカにしてんの!?」
「バカにしてなんてない。思ったこと言っただけ」
「だったらやっぱ今日の幸坂おかしいからっ! 可愛いとか、そんなん……」
そんなん、なに?
いつも口ごもってしまうのは私の方なのに、今日は志々原の方が黙ってしまう。しかしほんのりと赤らんだ顔には、明確な照れが見えた。こいつ、照れいるのか? 私に可愛いって言われて?
「志々原、私に可愛いって言われて照れてるの?」
「照れてねーってっ!! って言うか、そんな恥ずかしいこと聞く普通!? 幸坂デリカシーとかないわけ!? だからボッチなんじゃんっ」
「そうやってムキになって言い返すのも、照れ隠しなんでしょ」
「バっカじゃないのっ!? そんなわけねーじゃんっ!!」
口では全力で否定しながらも、気づけば整った顔は耳まで真っ赤になっている。
と、思うのだけれど麦穂みたいに明るい茶髪は肩より少し長く、肝心の耳は隠れてしまっていた。多分、ピアスが目立たないようにだろう。
私は彼女の耳がどうなっているのか気になって、つい髪に触れてた。ほとんど無意識だった。
「なっ、幸坂っ!?」
「やっぱり耳まで真っ赤。なに、そんな恥ずかしかったんだ?」
「ふっ、ふざけんなって! やめっ」
志々原が私の手を払いのけようとする。けれど私はまだ小さな可愛らしい耳が、赤く縮こまっているところをもっと見ていたかった。
「おいっ!? なんだよっ、離せって」
「いいでしょ。もっと見せてよ。ピアスしてないんだね、意外。てっきりいっぱいつけてるかと思った」
「こっ、校則で禁止されてるじゃん」
彼女の言うことはもっともなのだけれど、少しはだけた胸元にはネックレスがつけられている。
「じゃあこれはっ?」
髪を押さえていたのとは逆の手で、今度は志々原のシャツの首元を広げた。ネックレスがもっとよく見たくて、第三ボタンも外してしまう。
「へっ、変態っ!! ほんっと、なにすんのっ!?」
「ネックレスはしてるのに、なんでピアスだけ校則守るの?」
「ボタン外すなっ!! 四つ目に手をかけるなっ!!」
「なら質問に答えてよ? 全部外すよ?」
志々原は抵抗したけれど、私が「おとなしくしろ」って目を見ると、またしおしおと動かなくなった。
「……だ、だって、ピアスは穴開けるじゃん」
「穴がどうしたの? 耳に穴なんて元から開いてるんだし、一つ二つ増えてもいいでしょ」
「バカっ!? それはノーカンだよっ!! っていうか、開けるのが絶対痛いじゃんっ!!」
「え? もしかして……穴開けるの怖くてピアスしてないの? ギャルなのに?」
たしかにそういう意見は聞く。体に傷をつける行為だし、後も残るのだから軽はずみにすることとも思わない。だけどウザいだけのギャルの志々原がピアス穴に怖がっていたというのは。
「可愛い……やっぱ、可愛い……」
「可愛いじゃねーって!! な、なんなんだよぉ……本当に、幸坂……いつも全然アタシのこと相手しないくせして……」
「志々原、私に相手してほしかったわけ? だからずっとダル絡みしてたの?」
「ダル絡みって……別に、普通に話しかけてただけじゃん」
いやいや、十分ダルくてウザい絡みだったって。だけど今日の彼女は――。
「へぇー、じゃあ望み通りいっぱい相手してあげよっか。何してほしいの? おしゃべりの相手? 一緒にトイレ行く?」
「なっ、幸坂なんなのっ。アタシはそんな……」
「あれ、志々原はもっと違うのが望みだった? そっか、例えばこういう?」
「だから服を脱がそうとするなっ!! 先生呼ぶぞっ!!」
ギャルのくせに、これくらいで騒がないで欲しい。うるさい口だな。いつもいつもそうだ。私は静かに漫画読みたいのに、邪魔ばっかりしてくる。
でも小さくて色素のちょっと薄い桃色の唇は、なんだか無性に愛おしい。いや、違う違う、憎らしい。ムカつくから、黙らせないと。だけど片手は髪と一緒に志々原の頭を押さえ込むのに使っていて、もう片方は志々原を脱がせるのに忙しい。
そうなると口を塞げるのは。
「――――っ!? こ、幸さっ!?」
「むむふぁい」
私の唇で志々原の唇をすっぽり押さえ込んだ。だけど志々原が暴れ口を動かすからまだ静かにならない。こうなったら隙間を埋めるようにして、口の中にも何かを詰め込んで――。
「きょ、ひょうひゃかぁっ!?」
「んねぇろ」
志々原の口に入れた舌をそのままかき回すように動かす。彼女の歯や舌をねぶっていると、やっと志々原がおとなしくなった。騒がないならゆっくりと彼女の口を堪能しつつ、服を脱がしていつも見えそうで見えなかった下着と胸を鑑賞して――。
――あれ? 私、何しているんだ?
「こ、幸坂ぁ……」
唇を離すと、瞳を潤ませた志々原がか細い声で私を呼ぶ。どうかしました?
――じゃないよ! 私、いくらウザかったからってカースト頂点のギャル相手になんてことしちゃったんだっ!?
「えっ、あの、ごめんね、志々原! 私えっと急用が……お使い頼まれてて……」
乱れた志々原の服装を慌てて戻し、ボタンを掛け違いえたけれどこれ以上この場にはいられないと、教室から飛び出した。
「幸坂ぁっ!! お、置いてかないでよっ」
知らん知らん、アデュー! 当然私は、友人である折部の家へと足早に向かった。
んんぎゃあああって、駆け込んだ昨日以上の勢いで私は折部に泣きついた。
「聞いて、あの催眠アプリがぁっ!!!」
事のあらましと説明すると、折部は言葉を失いしばらく固まっていた。
催眠アプリの誤操作で、私はうっかり自分を『百合』にしてしまった。催眠なんてあるわけないと気にしていなかったけれど、大嫌いでストレスの根源だったはずの志々原凜々花相手に、服を脱がしたりキスしたりと大暴れしてしまったのだ。
「冗談じゃないんだよね?」
「私、先ほどファーストキッスを失ってきますけど? 冗談で済みます?」
「え、いやその……大変だったね?」
慰めのつもりなのか、クッキーの盛られたお皿をこちらへ寄せてくる。何枚かつかんで口に放り込んだけど、まだ唇や舌に妙な感触が残っていた。味が全然わからない。
「あれ、アプリが」
「ちょっとっ!! それ本物なんだから下手に触らないでって!!」
「んー、そもそも起動できなくなってる。エラー出て直ぐ終了になっちゃって」
「え」
私の奇行は催眠アプリが原因だったと、どうにか志々原にわかってもらえれば許されるのではないか。もしくは催眠アプリで志々原の記憶とか消せないだろうか――と淡い期待を寄せていた私は、起動しなくなったアプリを見て呆然とした。
「大丈夫、幸坂? ……転校する?」
「いや、転校はさすがに……」
「じゃあ今度こそ先生に相談?」
「私が怒られるよ……」
催眠アプリなんて信じてもらえるわけがない。仮に信じてもらえたとして、私が加害者側なことには変わりない。
むしろこうしている間も、志々原が教師や――下手したら警察にさっきのことを相談している可能性まである。
やっぱり転校するしかないのかな。
「……ギャルなら、それくらいのこと日常茶飯事なんじゃない? 志々原さんもそこまで気にしてないかもよ」
「そ、そうだよねっ! 志々原なら私と違ってキスの経験なんていくらでもあるだろうし!」
苦し紛れで慰めてくれているとはわかっているのだが、私は全力で折部に同意した。自分をそう言い聞かせて納得しないと、本当に不登校となってしまいそうだったから。
ため息をついたけれど、壁紙のイケメンは私を助けてくれそうにない。顔だけだな、やっぱり薄っぺら人間は好みじゃないみたいだ。
◆◇◆◇◆◇
それも今日くらい、サボればよかったと後悔する。今度は登校して早々、志々原に呼び出された。
「人、いないとこで話したいんだけど」
「話って、二人で……?」
「うん」
彼女の言葉を信じるなら、ギャル仲間達で私を囲んで報復する――ということではないらしい。それでも昨日のことが用件なのは間違いないし、一対一でも志々原に勝てる気はしなかった。
行きたくないけど、断ってもクラスメイト相手にいつまでも逃げられるわけじゃない。ただでさえ向こうはカースト頂点のギャルで、私は隅っこの大人しい女子なのだ。昨日のやらかし――弱みを握られている以上、従うしかないだろう。
――よし、全力で謝ろう。この際、土下座でも、靴舐めるでもして許してもらおう。催眠にかかっていたとはいえ、悪いのは私なんだ。今まで散々ウザ女のせいでストレスためてたって言っても、無理矢理キスするなんて許されることじゃない。
覚悟を決めて、空き教室へ入る。こんなとこあったんだ、ギャル達のたまり場なのかな。
しばらく、志々原が黙って立っている。私は先に膝をつけて、正座しようかと悩んでいた。
「昨日の、そういうことでいいんだよね?」
「あ、あの、昨日は大変失礼なことをしてしまいまして……」
「幸坂、アタシと付き合うってことだな!?」
「へ? え? 付き合う?」
どういう意味かわからず、私は間抜けな声を出してしまった。
「だって、恋人でもないのに、キスとかありえないし」
「え、キス? 恋人?」
「はぁっ!? 幸坂、まさかアタシにキスしたこと忘れたんじゃねーよね!?」
「忘れてはないけど……」
つかみかかってきそうな彼女の勢いに、正直に答えてしまった。忘れた、なんにも覚えてないって言えばよかったかもしれない。
「……じゃあ、アタシと付き合うんだよな?」
「え、私と志々原が?」
「そうでしょ? ……なに? 幸坂、アタシに無理矢理キスして、まさか付き合いたくないって言わないよね?」
「いやだって、えっ!? 志々原は私と付き合いたいわけ!?」
もっと言い返すことがあった気がしたけれど、状況がまだ飲み込めていないせいでそんなことを聞いてしまった。いやいや、付き合いたいわけないよね、志々原みたいなカースト頂点のギャルが、私みたいなオタクと。
「……うん、アタシは、前から幸坂のこと好きだったし」
けれど志々原は真っ赤顔で、私が全くもって予想していなかったことを言う。なんだって? 前から?
「ま、待って、じゃあ今まで私に嫌がらせしてたのは、好きな子をいじめたくなるアレっ!? 志々原、そんな小学生みたいなことしてたのっ!?」
「嫌がらせってなに? そんなことしてないんだけど」
「いやだって……」
「それより、付き合うんだよね? はっきり言って、アタシ、そこはうやむやにしたくないんだけど」
そんなこと言われても、今の私はもうすっかり催眠アプリの効果が切れている。
だから志々原がいくら美人だからって、いつものようにウザ女としか思えない――はずなんだけど。
――いやいやいやっ、恋人じゃないのにキスとかありえないって、イメージと違って純情過ぎないっ!?
「もしかしてさ、キス、初めてだった?」
「はぁっ!? 幸坂、へっ、変なこと聞くなっ!!」
「……付き合うなら、そういうの大事かなって」
「…………初めてだけど、幸坂は? …………手慣れてたけど、もしかして」
綺麗な顔を真っ赤にして、唇を尖らせる彼女がどうしてかやっぱり可愛く見えてしまう。
私の返事を不安げに待つ彼女へ、抱きつきたくなってしまう。
「……付き合おっか」
FIN.
最後まで読んでいただきありがとうございます。
他にも百合小説をいくつか投稿予定ですので今後ともチェックしていただけますと喜びます!
11/20に百合長編の書籍も発売予定(下のランキングタグ部分に詳細あります)ですので、こちらも是非のぞいてみてください!!





