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目をさましたジルは周囲の安全をジークとカミラにまかせ、ハディスと傷の手当てをした。
ハディスが選んだ転移先は、末端の皇子として辺境に追いやられていた頃、あちこちに作っていた隠れ家のひとつらしい。ラキア山脈と近い低山の中腹にある、人里離れた場所だと説明をうけた。
「少しおりれば大きな街があるんだけど、街道もこの山をさけるように迂回して作られてて誰も近寄らない。近くに竜の巣があるからね」
「竜の巣?」
すでにジルは、ラーヴェの姿も声も完全に認識できなくなっていた。それはハディスも同じで、天剣も持てなくなっていた。
だが、ハディスの中にラーヴェはいるらしく、ハディスを通じて会話はできるという。何か言われたのか、顔をしかめてからハディスが答えた。
「竜が子どもを育てる場所だよ。ラキア山脈付近の山間によくあるんだ。絶対に近づくなってラーヴェが言ってる。まず問答無用で殺されるからって。竜の卵や鱗が磁場を作っていて、魔力が使えなくなったりもするらしい」
「陛下でも近づいたら駄目なんですか?」
「僕は大丈夫なんじゃないかな。え? ……ラーヴェなしじゃ駄目だって」
怒られたのか、ハディスが首をすくめている。それが頭の傷の痛みを隠しているようで、ジルはハディスのこめかみにもう一度、消毒液をつけた布を押し当てた。
「ここは陛下の隠れ家だから、色々道具もそろってるんですね」
「うん。数日暮らす分には困らないと思うよ。まさか逃走先に使うことになるとは思わなかったけど」
「――魔力は、どうですか」
「ほとんど使えないな。君は?」
血のしみこんだ布を、井戸で汲んだ綺麗な水に浸してみた。冷たい水だ。一度かき回してみたが、魔力の熱によってあたたまる気配はない。
「だめです、戻りません。……魔力封じの術って言っても、完全に魔力が使えなくなるのは数時間のはずなのに。しかもわたしも陛下もなんて……」
「叔父上が持っていたあの武器が媒介になって、魔術を補強してるんだろう。天剣そっくりだったけど、いったいどこから持ちこんだんだか」
「どういう武器であれ、あんな強力な魔術を組める国はひとつしかありません」
魔術大国クレイトス。浮かんだ自分の故国の呼称に、ジルは嘆息する。
(やっぱり、今の時点でラーヴェ皇族の中に既に入り込んでるのか)
覚悟していたことだが、油断ならないことを、改めて思い知る。
「確かに強力だけど、永久にきく魔術じゃない。自然に解除されていくだろうってラーヴェは言ってる」
「ほんとですか!? そのうちってどれくらい」
「完全回復まで一年くらい?」
「長すぎます!」
愕然としたジルの前で、ハディスは粗末な食卓に頬杖をついた。
「でも、四ヶ月もあれば、天剣が出せる程度には戻ると思う。君だってその頃にはそこそこ魔力が戻ってるだろう。無理をすれば解除する方法があるかもしれないけど、変に術がこんがらがったりしたら長引くし……いずれにせよ、あの武器についても、現状についても情報がいる」
思考を整理するようなハディスの言うことは、もっともだった。
「叔父上の様子からして、根回しは終わってるとみたほうがいい。下手に動けば罠の中に飛びこむようなものだ。今は少し、様子を見よう」
「でも、……陛下は皇帝なのに」
「叔父上の行動は想定の範囲内だよ。ベイルブルグになかなか迎えがこなかったのも、ベイル侯爵の独断でできることじゃない」
「――すみません。わたしのせいです」
頬杖をつくのをやめて、ハディスがまばたく。その顔をジルは見られなかった。
「わたしがもっと慎重に行動していれば、陛下まで魔力が封じられることもなかったのに」
「それは違うよ、ジル。もともと狙われていたのは僕だ。魔術障壁に向かった君の判断も行動も的確だった」
「でも、陛下はわたしを助けて、魔力を」
頭を引きよせられたと思ったら、頭のてっぺんに口づけを落とされた。びっくりして、情けないことを言うばかりだった口が止まる。
「怖い思いをさせたんだな。僕の力不足だ、ごめん」
「へ、陛下は、なんにも悪くな――うひゃっ」
耳たぶに息を吹きかけられて、身をすくめてしまった。こんなときにと目を白黒させていると、ハディスがいたずらっぽく笑う。
「これ以上、ジルが自分を責めるならもっと慰めないといけなくなる」
「わっわかりました、もう言いません!」
「今回のことは、あんなものに遅れをとった僕の失態だ」
頭上から降った冷たい声に、ジルはハディスの顔を見ようと視線を持ちあげる。日が沈みかけているせいで、硝子もない立てつけの窓から入ってくる光は少ない。どこか遠くを見ているハディスの横顔を、食卓の上にある蝋燭の灯りだけが照らす。そのせいなのか、ハディスの綺麗な輪郭がはっきりせず、ひどくあやうく見えた。
「……怒ってますか、陛下」
「どうしてやろうか、と思ってるだけだよ。君をかっこよくエスコートする旅路に泥をかけられた」
薄い唇の端が、わずかに持ちあがっている。
ハディスの膝の上によじのぼったジルは、背伸びをして、その両頬をひっぱってみた。どこから見ても完璧な美形も、頬が伸びれば崩れる。
「なひほふるんだ」
「陛下はかっこよかったですよ、ずっと。わたしがかすり傷ですんだのは陛下のおかげなんですから」
頬をなでるハディスの顔が元に戻ったのを確認して、ジルは自省ばかりで自分が言葉を間違えたことを悟る。反省より大事なことを忘れていた。
「助けてくれてありがとうございます、陛下。わたしも、次こそ陛下をかっこよく助けられるよう、頑張りますね!」
「……。なんでそう、君はかっこいいかな」
「聞いてませんね。かっこよかったのは陛下ですよ?」
首をかしげると、今度はそっと額に口づけられた。お礼の口づけだとわかっているので、恥ずかしくない。むしろくすぐったくて笑ってしまう。それが気に入らないのか、ハディスがむっと口を曲げる。
「なんで笑うんだ」
「陛下が子どもみたいだなって」
「子どもは君じゃないか。……それとも僕を子ども扱いするなら、君を子ども扱いしなくていい?」
首を傾げてのぞきこむ仕草は子どもっぽいのに、金色の瞳の艶が増す。ジルは大急ぎで首を横に振った。
「まっ間違えました、陛下は大人です!」
「大人をやめたい……」
「やめないでください、陛下ならできますから!」
「そうだ頑張れよ陛下、いい加減隊長から離れろ」
「アタシたち、もうそろそろ中に入っていいかしらー?」
背後からの声に、ジルはハディスとふたりして固まる。
「見てるなら見てるって先に言ってくれないか!? 盗み見なんて破廉恥だ!」
先にハディスが真っ赤になって怒り出すものだから、慌てるより先に呆れてしまう。人目を気にしないほうだと思っていたが、盗み見されるのは恥ずかしいらしい。
新たな発見に少し胸をうずかせながら、ジークとカミラも加えて、情報のすりあわせを始めた。




