ベイルブルグの無理心中(2)
宴の上座に腰かけたハディスの前に、いきなり年端もいかぬ少女達が一列に並んだ。
なんだと思っていると、少女達を引き連れてきたベイル侯爵が侮蔑するような笑みを浮かべる。
「どうも我々は陛下に対して誤解があったようで。今宵は陛下のお好みの少女達を選ばせていただきました」
「……」
着飾って並んでいる少女達はまだ成長しきっていない、子ども達ばかりだ。一桁の年齢らしき子どももいた。
『スフィア嬢ちゃんから聞いたのかもな、十四歳未満って条件』
頭の中に響いたラーヴェの声に、ハディスは呆れ半分に納得した。
そういえばスフィアの姿をまだ見ていない。一応、港でまだスフィア嬢をかばう気はあるぞと暗に告げたつもりだが、ひょっとして逆効果だっただろうか。
「どれでもお好きなものをお選びください」
もの、という言い方が、ベイル侯爵がわざわざこの少女達を買って用意したのだと告げていた。
どれも可憐な少女ばかりだ。さぞ高かったのだろうと皮肉に思う。
(だから北方師団の生き残りを免責しろとでも?)
どこまで馬鹿にしてくれるのかと思ったが、顔にはださない。ただ、笑顔で断る。
「こんな夜更けに子どもが起きているのはよくないだろう。彼女たちをさがらせてあげてくれ」
「ああ、わかりました。ではどの子を陛下の寝室に?」
あからさまな言い方にも、表情は動かなかった。
呪われた皇帝に指名されたらどうなるのか、逆に指名されなかったらどうなるのか。そんなふうに脅える少女達の態度すらベイル侯爵はなんとも思わないらしい。
そんな男と同じだと思われるのは不愉快だったが、こらえる。
「選べないというなら、三人でも四人でも」
だがついに心得たような顔に胸ヤケがして、口が滑った。
「ゲスが」
「は?」
「僕が幼女趣味だとでも言いたいのか」
冷たい声に、あぜんとベイル侯爵がハディスを見あげる。何やらにやにやとこちらをうかがっていた貴族達も、冷や水を浴びせられたように黙った。
ああ煩わしいなと思いながら、ハディスは鼻で笑う。
「どうも今宵は僕に合わない宴のようだ。中座させてもらう、不愉快だ」
「は……」
「あとは勝手に楽しむがいい」
さっさと踵を返して、会場から出る。
いくらなんでも皇帝の不興を買ったことは理解しただろう。
『明日から面倒そうだな』
そうだな、とハディスも思考だけでラーヴェに返す。
失点を取り戻そうと媚びてくるか、それとも自分達が気に入らないのならばと強気に出てくるか。
追ってくる者がいないあたり、後者だろうか――いずれにせよ、煩わしいことばかりだ。あの少女達も、どうしてやったものか。ベイル侯爵に買われた以上ベイル侯爵家の所有物だ。おいそれと助けるわけにもいかない。
「ハディス様! よかった、お会いできて……!」
曲がり角を曲がり、階段にさしかかったとき、声をかけられた。スフィアだ。
だが裸足で駆けてくるその姿に、ハディスは眉をひそめる。裸足だけではない。化粧もせず寝間着にシーツを羽織った格好が、いつも皇帝のお茶友達にふさわしい淑女をこころがけている彼女らしくない。
「どうしたんだ、その格好。君は軍港の襲撃に巻きこまれて、伏せっていると」
「そのことでどうしてもお伝えしたいことがあって。――私を助けてくださった方々の話です」
「……お父上だと聞いているが」
「違います。……北方師団の方なんです」
目を見開いたハディスに、スフィアが沈痛な面持ちで頷く。
「弓と大剣を使う方達でした。お名前はカミラとジーク。一緒に軍港から逃げようと、私に手を貸してくださったんです」
「彼らはどこにいる?」
「……見つかれば父に殺されるからと、この城のすぐ近くで別れました。私は伝言を、頼まれたんです。――北方師団の一件には、父が関わっているかもしれません」
小さく震えながら、スフィアが続ける。
「証拠はありません。助けてくださったおふたりも、証明はできないと仰ってました。ただ、あの日、軍港の警備がやたら手薄だったそうです。そして、ベイル侯爵と懇意にしている貴族のご子息はお休みで、平民出身の方々ばかりが警護についていたと。北方師団の格好をして賊が侵入してきたことから、誰か手引きしている人がいると疑ってらっしゃって……あとは……父が……賊を逃がしていたのを、私も見ました。どんな形であれ、父が関わっているのは……まず間違いないのではないかと……」
「……彼らはどこに?」
「見つかればきっと殺されるだろうから逃げる、と言われました。私は……陛下にお伝えすると言って、城に送り届けてもらったんです。それまで絶対に自分達に助けられたことは言うな、と言われました。でも、いったい誰が私を助けたのかをやたら父が気にして、父の軍では誰も心当たりがないことを調べ上げられてしまって」
「何か知っているかもしれないと、あやしまれているんだな」
こくり、とスフィアは頷いたあと、力なく笑った。
「私……父に言われてあの日、軍港にある聖堂へ行ったんです。そうしたら、事件に巻きこまれて。……父は皆の前で帰ってきた私に、安堵するよりは驚いていました」
「……それは」
死ぬはずだった、ということか。
だが大勢の前に現れたスフィアを殺すことはできない。生きて帰った娘が突然死ぬのもあやしい。
だから事件のあと伏せっているということにして、閉じこめているわけか。
「……父が聞くんです。何か見たか、聞かなかったかと。私はつい、陛下に申し上げますと答えてしまいました。それで陛下にお会いすることは許さないと、監視付きで閉じこめられてしまって……」
「まさか脱走してきたのか」
「だ、大丈夫です。まだ誰にも見つかってません。宴の準備があったので、その隙に……」
危ない真似をするとハディスは嘆息する。だが、これでほぼ事実関係ははっきりした。
「ありがとう。君の勇気に感謝する。……これ以上は僕にまかせて、君は父上の言うことに頷いていればいい」
「は、はい」
「魔力で送る。いきなり寝台の上に出るから、慌てず騒がずだ」
「わかりました。……あの、私を助けてくださったお二方は……」
「どこにいるかわかるか?」
「わ、わかりません。国外逃亡するかもと仰っていて……」
「まだ国内にいるかもしれない。さがしだして、礼をしよう」
ほっとした顔で、スフィアが頷き返した。
一度目を伏せて、開くともうスフィアの姿は消えている。
魔力の残滓を眺めながら、ハディスは考えた。
スフィアを助けた恩賞でふれを出すか。いやまずその前に、周辺関係を洗わねばならない。確か、平民出身の出だったと記憶しているが、逆に言えばそれだけしか情報がない。
「……言ってもしかたないことだけどさ。スフィア嬢ちゃん、俺が見えればよかったのにな」
いつの間にか肩にのってラーヴェがひとりごちる。
竜と話す少女がいるらしいと聞いてスフィアを呼びよせたのだが、彼女はラーヴェが見えなかった。見えると嘘をつかず、ただ「とても陛下を心配なさってます」と答えたスフィアのことは、ハディスもそれなりに気に入っている。少なくとも父の横暴をふせぐ盾として『お茶友達』にするくらいには。
だがそれも、いきすぎれば問題になる。特にベイル侯爵は、ハディスが後妻の娘をはねつけたせいで、前妻の娘であるスフィアと懇意にしているのを快く思っていない。
それに――女神が、いつ手を出してくるか。
「……ベイル侯爵家を失脚させることになったら、せめて彼女にはいい夫をさがそう」
「そうだな」
ラーヴェが頷き返す。
そばにおかず気持ちを傾けず好きにならない、無責任でもハディスにはそれが精一杯の誠意なのだ。
――こんなふうに、変わり果てた姿を見ないための。
「ハディス、様」
幾重にも重なった少女達の死体。血だまりを踏みつける裸足。赤いものがしたたる長剣と、それを握る手。
むせかえるような血と死のにおい。
「こん、ばん――は。大事な、わたし、の、あなた」
べっとりと血のついた頬を持ちあげて、瞳孔を開いたまま、にたりとスフィアが笑う。
きっと自分が気にかけたその瞬間から、こうなると決まっていたのかもしれなかった。
だって何をすれば、こうならなかったと言うのか。
白い肢体を白銀の剣に変えたラーヴェを、竜帝の天剣を手に持って、ハディスは笑って答える。
「こんばんは、クレイトス」
旧年中はお世話になり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します!




