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「あれで自覚がないとはな……さてどうしたものか」
「そうねえ。でも自覚させたらああいうの面白いわよぉ、絶対遊べるわー」
「陛下とわたしで遊ぶのはやめてください」
東屋から追いかけてきた騎士ふたりをじろりとにらんだら、カミラが大きく目を見開いた。
「何を言ってるのよジルちゃん! あなた、いくら強いって言ったって、ここじゃ仮想敵国の人間なのよ? 後ろ盾は陛下の寵愛だけしかないのよ!?」
「そうだ。主人であるお前の立場を強固にするのも、部下の仕事だろう。いいか、あの皇帝を確実に手込めにしろ」
おそろしくまっとうな意見を部下達から返されて、中庭の真ん中で思わずたじたじとなる。
「て、手込めって……」
「お前ならできるだろう。ベイル侯爵令嬢より簡単じゃないのか、あの皇帝なら」
「そうよーあんな幼稚な皇帝くらい、ちゃちゃっと押し倒してものにしちゃいなさいよぉ」
「十歳の子どもに何をさせようとしてるんですか!?」
「アタシ達、ジルちゃんを子ども扱いしないことにしてるから」
「そうだな。それにあの皇帝のためにあそこまでしたんだ。嫌いではないんだろう?」
ジークの冷静な質問に、今度は視線をうろうろさせる。
「そ、それは、もちろん。ただ、わたしと陛下はそういうのではなくて」
「これは忠告だがな。嫌なら、食事に誘われてもほいほい男についていくな」
「う。それは……だって食べ物に罪はないし、おいしいし、本当においしい……!」
「でも男に期待させるわよぉ、そういう態度。陛下とは形だけですって言うなら、きっぱり断らなきゃだめよー」
「そ、そうなんですか……?」
だんだん自分の対応に自信がなくなってきた。しどろもどろになっていくジルに、カミラが目をまばたく。
「こっちも意外ねぇ。自覚なくやってるの?」
「いや、こっちは年齢相応じゃないのか? 俺達も感覚がおかしくなってる気がするぞ」
「でもアタシ達はジルちゃんの味方よ。皇帝陛下といえど、あんな幼稚な求愛だもの。重く受け止めずに、いつものクールさで軽く流しちゃえばいいんじゃない?」
「そ、そんなこと言われても……男性に口説かれるなんて初めてなので、対処がわかりません」
言っている間に頬に熱があがってきた。
背後も黙ってしまったせいで、ちちちと小鳥のさえずりが聞こえる。と思ったら突然背後からカミラに抱きつかれた。
「やーん可愛い~! 可愛い、ジルちゃん可愛い!」
「なんだ、あと一押しじゃないか。夫婦になる気はあるってことだ」
「だ、だから、早とちりしないでください! 夫婦になるからこそ、愛だの恋だの持ちこむつもりはないんです。陛下が間違えたとき、いさめられなくなるので」
言い切ると、ぎゅうぎゅうジルを抱きしめていたカミラの腕から力が抜けた。
「……十歳の女の子よね?」
「子ども扱いしないんじゃなかったのか」
「そうだけど。……ずいぶん枯れた言い方するのねぇ。年齢差はともかく、あの皇帝サマ、かっこいいじゃない。きゃーってなったりぼわわーってなったりしないの?」
そんな、思うだけでしあわせで、頑張れて、胸が弾む恋心なんて。
「……もう経験しました、十分です」
「うっそぉ! 早すぎでしょ! どういうことよ!?」
「俺に聞くな。まあ……何があったかは知らんが、結論を焦ることはないんじゃないか。お前はまだ子どもだし、あの皇帝も中身が子どもだしな」
結局子ども扱いが抜けないのか、ぽんとジルの頭の上にジークが手をのせた。
(でもそのせいで、お前達までまきこんで、わたしは)
不意にこみあげた後悔に、唇をかむ。そう、ジルの初恋は色んなものをまきこんで、すべてだめにした。
だから今度は、間違えるわけにはいかないのだ。
「ジル様! ジル様、大変です……! あっ!?」
スフィアが、回廊から中庭へ踏み出すなり、頭からこけた。カミラがそれを助けに行く。
「しっかりしなさいよぉ、スフィアちゃん。ジルちゃんの先生なんでしょ」
「う、うう……失礼しました、急いでいて……」
ベイル侯爵は後妻たちとかつてスフィアがすごした別邸で療養することになった。まだ侯爵は獄中で取調中だが、次の侯爵をスフィアの婿養子にする公文書は既に提出されている。
スフィアはハディスの決定に異を唱えず、いきなり降ってきた次代侯爵選びという重責からも逃げようとしなかった。それどころか、ジルの家庭教師をつとめながら、婿さがしをしたいと逆手に取ったことをハディスに願った。
そう願うスフィアはもう、ハディスへの想いを諦めたらしい。父親の助命を感謝してしまう自分にはもうその資格がないと、ジルとふたりでお茶を飲みながら言っていた。
だが、そのお茶会で刺繍にさそわれたジルが渋々針を取ったところ、スフィアはめまいを起こして「ダンスは!? 詩は!? 礼儀作法は!?」と叫びだしたのである。
総合すると、こんなことでは宮廷で生きていけません、というのがスフィアの評価だ。実際に皇都の宮廷で生き抜いたスフィアが言うと説得力しかなく、ジルはスフィアから淑女のなんたるかを学ぶことになったのである。
そのスフィアが走ってやってくるなんて、何事だろうか。
「あの、さきほどジル様宛にこんな手紙が届いて……急いでお知らせせねばと」
スフィアが握っていた手紙を受け取ったカミラはジルに差し出す。
白い封筒にはブルーブラックのインクで、ジルの名前が記されていた。
ジルが今、ラーヴェ帝国に、しかもベイルブルグにいるなんて、家族も把握していないはずだ。スフィアが急いで知らせにきたのもわかる。
何より、見覚えのある筆跡に、おそろしく嫌な予感がする。
びりっと端を破ったジルは、中を開く。そして絶句した。あまりの衝撃に、手から封筒と手紙が落ちてしまう。
「ちょ、ちょっとジルちゃん、どうしたの。息してる!?」
「だ、大丈夫、です……ちょっとこう、現実逃避したくなっただけで」
「おい風に飛ばされるぞ、手紙……あ」
「――これはこれは。諦めないだろう、と思っていたけどね」
先ほどまでの明るさをそいだ、低い声にジルはぎこちなく振り向く。
片づけて東屋から出てきたのだろう。足元に落ちた手紙を拾いあげたハディスが微笑む。
それはもう、ジルも思わず喉を鳴らすほど、凶悪さを増した笑顔で。
「一国の王太子がここまで情熱的だとは。僕も見習わないといけない。そう思わないかい、僕の紫水晶」
「そ、そういったことでは、ないような、あるような」
「さあ、楽しい歓迎会の準備をしよう。受けて立つよ。愛は戦争だ」
完全にハディスの目が笑っていない。
ジルは脳内でかつての婚約者を殴りながら頭を抱える。
(なんで諦めないんだ!? わたしを反逆者扱いするならまだしも――)
『今から君を迎えに行く』
ジェラルド・デア・クレイトスという署名に残る筆跡の癖は、今も未来も変わらない。




