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まずいなとジルは感じていた。原因はもちろん、ハディスだ。
「今日の鴨肉のローストは我ながら絶妙の火加減でできたと思う」
「そ、そうみたい、ですね……」
「チーズやゆでた卵と一緒にバゲットにはさんで……ソースは甘めにうまくしあがった。さあ、召し上がれ」
食堂ではなく、中庭の東屋に持ちこんだ編み籠の中からハディスが食材を並べ、鴨肉のローストがはさまったバゲットサンドを作って差し出してくれる。
差し出されるまま受け取ったジルは、一口食べてむせび泣きそうになった。
「おいしいかい?」
「は、はい、とても……! それはもう本当に、とてもおいしいです……!」
「なら、僕を好きになってくれたか?」
わくわく尋ねられたジルは、一気に白けて即答する。
「なりません。何回するんですか、その話」
「当然、君が頷くまで」
にこにことハディスは笑っているが、その目は完全に獲物を狩る獣の目になっている。
(なんか変な方向に目をつけられた気がする)
だが、ご飯がおいしい。そしてハディスは、それをいいことにひたすらジルの胃を掌握しにかかっている。
ベイル侯爵の一件が片づいてすぐ皇都に向かうかと思いきや、ハディスは「迎えがこない」という理由でベイルブルグの城に留まってしまった。仕事をしろと思ったが、ハディスは城の使用人もすべて面接し直し、北方師団もヒューゴを含めて編成し直し、軍港復興の予算をベイル侯爵家から吐き出させ、どうせだったら貿易都市にしたいと商会と話し合い、事後処理も含めすさまじい事務処理能力を発揮して、あっという間にベイルブルグの新しい領主として君臨した。
皇都に戻らなくていいのかと聞いたら、皇帝の自分がいるところが皇都なので迎えがないなら遷都しようなどと言い出した。この間、『皇都殲滅戦』なる作戦案を作って遊んでいるのを見かけてしまった。暇を持て余した高貴な方の遊びだ。
(本気にされても知らないぞ、それ)
それだけならこの若き皇帝は恐ろしく優秀なのだなと感心するだけですむのだが、無駄に有能な皇帝はきちんと時間をやりくりしてジルの食生活を管理し始めたのである。
最初は毒殺をふせぐためかと思ったら、どうも違うことにすぐ気づいた。
「せめて、どんな男が好みなのかくらい教えてくれないか?」
あろうことか今、ジルは口説かれているらしい。
嫌われたくない、好かれたい。散々そう聞いていたが、今までは嫌われたくない思いのほうが強かったのだろう。ハディスは積極的にしかけてこなかった。
それがこの変わりよう。警備の関係上、寝室も一緒だし、ジルは防戦一方だ。
「十歳の子どもにそんなことを真顔で聞かないでください」
「十歳だろうがひとりの女性だ。年齢を言い訳にするべきじゃない」
「大変立派なお考えですが、あなたの妻になる女性に対して失礼な質問では? 浮気を疑われているみたいです」
「妻を口説くななんて、夫に対する冒涜だ」
大袈裟なことを言うハディスに、思い切り冷たい目を向けてやる。
そうするとなぜか嬉しそうに微笑み返された。好みの顔なのが腹立たしい。
「最近、君の冷たい眼差しが癖になってきた」
やっぱり変態かもしれない、この男。
「僕を好きになってくれたら、君の好物を毎日作るって約束するから」
「物でつろうとするのどうかと思います、ご馳走様でした!」
「まだデザートがあるのに?」
振り返ると、ハディスが紙に包まれたパイを取り出す。
物で釣られたジルは、無言で着席し直した。
「あぁ、いたいた。ジルちゃーん……と、やっぱりいるのねぇ皇帝陛下」
悔しいのでひたすら食べていると、カミラが中庭の小川を跳び越えてやってきた。ジークも一緒だ。
ふたりとも、北方師団の制服こそ着ているが、階級を示すバッヂをはずし、肩から飾り紐付きの短いマントを羽織って一見そうだとわからなくしてある。
転職したからだ。
それを示すように、ふたりそろって跪く。ハディスではなく、まずジルに。
「我らが麗しの竜妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく。でもお勉強の時間よ、ジルちゃん」
「皇帝陛下もおられるとは知らず、大変失礼致しました」
「……そうか……もうお別れの時間か……」
しょぼんとしたハディスに、ジークが後頭部をかく。
「そんな大袈裟な……一、二時間だけだ。菓子でも作ってればすぐだろう、皇帝陛下」
「そうよぉ。アタシたちと一緒に待ちましょ陛下、ね。お留守番よ、お留守番」
「わかった。君たちはいつも優しい……そうだ、よかったらこれを食べてくれないか」
ハディスが差し出したクッキーにカミラとジークが目を輝かせる。ジルは思わず唸った。
「あなた達まで餌づけされてどうするんですか……! あと敬語! 礼儀!」
「やあねぇそんな堅苦しいのはなしでって言ったの、ジルちゃんじゃない。皇帝陛下だけ仲間外れにしたら可哀想よ」
「そうだ、仲間外れはだめだ。君たちは色んなことを僕に教えてくれるから」
嬉しそうなハディスに、ものすごく嫌な予感がした。
その予感をいきなりジークがぶち当てる。
「で、今回はどうだ? 少しは進展したのか、うちの隊長と」
「今ひとつなんだ……一生懸命、レシピは工夫してるんだが」
「あーそればっかりじゃだめよ、色んな角度から攻めなきゃ! 次は贈り物なんてどう? ジルちゃんだって年頃の女の子なんだし」
「ちょっと待ってください。あなた達、いったい皇帝陛下に何を教えてるんです……!?」
頭痛をこらえるジルに、カミラとジークが顔を見合わせる。
「何って女の口説き方、と言いたいんだがそれには相手が小さくてこう、俺らも正直どうしていいかわからん。ただ好奇心は抑えきれなくてな……」
「そうよねぇ。皇帝陛下ってば可愛いし」
「そ、そうか。僕は可愛いか……」
「陛下はそこで嬉しそうな顔をしないでください! もうわけがわからない……!」
ジルが両手で顔を覆うと、ハディスは目をぱちぱちさせたあと、肩を落とした。
「可愛い男は、君の好みじゃないんだな……」
「やだージルちゃんが陛下泣かしたー」
「いくら竜妃とはいえ、相手は皇帝陛下だ。もう少し言い方を考慮すべきじゃないか?」
「なんでわたしが悪くなってるんですか、あなた達はわたしの味方のはずでしょう!? 私に剣を捧げた『竜妃の騎士』なんですから」
カミラもジークももう部下にする気はなかったのだが、軍港の一件でハディスに報奨を尋ねられたふたりは、『竜妃の騎士』になることを願い出た。
ラーヴェ帝国では皇帝に竜帝という別称があるように、その妃は竜妃とも呼ばれる。その竜妃に忠誠を誓った親衛隊のことを『竜妃の騎士』と呼ぶらしい。
肩書きこそ立派だが、完全な名誉職でつぶしがきかない。素直に昇進を願えばいいのに、なんでまたそんなものになりたがったのか聞けば、カミラは「楽しそうだから」、ジークは「強さに惚れた」と言う。嫌なら拒めるとハディスは言ったが、ジルはそれを受け入れた。
未練かもしれないが、また新しい関係を築けるならそれはそれで嬉しい。
だが、それが今、思わぬ方向でジルを危機に陥れている。
「気にするな、陛下。隊長は信じられんことに、お前に気があると俺達は見ている」
「本当か!?」
「そうねぇ、脈はあるとアタシも思うわ。応援してあげるから頑張って! ジルちゃんはアタシ達の大事なご主人様だし。ジルちゃんのこと、好きなんでしょう?」
「え? そ、そんなわけがないだろう……!」
途端にうろたえたハディスが、顔を赤らめて視線をうろうろさせながらつぶやく。
「ぼ、僕が紫水晶を、好きなんて、そんな……! す、好き……僕が、紫水晶を。ぼ、僕が、好き……紫水晶を……!?」
「まさかそこからなのか、この皇帝陛下は……」
「僕が好きだなんて……え? 紫水晶は、僕が好き……!?」
「待って待って陛下、そこ勝手に入れ替えちゃだめよ! ヤバい男になっちゃうから」
わかった、とハディスが素直に頷く。
焦ったらしくジークとカミラがはあっと大きくため息をついているが、ジルからすれば同情の余地はない。自業自得だ。
文句を言いつつちゃっかりハディスの手料理をたいらげたジルは、ぴょんと東屋の椅子から飛び降りた。
「ご馳走様でした、陛下。では時間ですので、失礼致します」
「わかった。チーズケーキを作って待っている」
うぐっとつまったが、にこにこしているハディスに手を振って見送られてしまった。




