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縄で縛りあげられたジルとスフィアは、聖堂脇にある倉庫に投げ込まれた。
「ここでおとなしくしてろ! ったく――おい、見つかったのか、例の子どもは」
「まだだ、見張りに聞いてもわからねぇって言うばかりで」
「わ、わたくしをベイル侯爵の娘と、し、知ってのっ……」
スフィアの声も体も震えている。北方師団の軍服に身を包んだ兵士が嘲笑った。
「おっと……説明が遅れましたね。スフィアお嬢様、あなたは人質です。出番までおとなしくしていてください」
「ひ、ひとじち……あ、あなた方はいったい、何が、目的で……」
「我々はクレイトスから参りました。とある少女の手引きでね」
前髪をつかまれ頭をぐいと持ちあげられたスフィアが、顔をしかめる。
「ま、まさか……ハディス様が連れ帰ったあの子のことですか……!?」
「そう、なんだったか……ジル、そうジル様だ。お前らの皇帝は子どもにだまされたんだよ、馬鹿にもほどがあるよなァ!」
「ハ、ハディス様を侮辱なさらないでください!」
突然、震えるばかりだったスフィアが声をはりあげた。
「な、何か、そう、私には想像もつかない深いお考えがあるのです! 悪いのはだましたほうでしょう、だまされたハディス様は悪くないです! あの女の子が、そう、近年まれにみる希代の性悪女だっただけです……!」
ふんと鼻で笑った兵士がスフィアを乱雑に投げ捨て、踵を返す。ジルが体全体を使ってスフィアの背中を抱き留めると、スフィアが涙目をまたたいた。
「あ、あり……ありがとう……」
「いえ」
「ごめ、ごめんなさいね。こんな小さな男の子まで、私のせいでつかまって……わ、私が十四歳未満じゃないばかりに、ハディス様が悪い女の子にだまされて……!」
しくしくとスフィアが泣き出した。だが、この状況でずいぶん落ち着いているほうだ。
(わりと肝が据わってるな。怒鳴り散らしたりしないだけ、助かる)
スフィアとふたりきりになった倉庫内を、ジルはぐるりと見回す。
物はほとんどなく、がらんとしていた。天井近くの高い位置に、子どもがやっと通れるくらいの小さな窓がひとつある。出入り口は、先ほど男が出て行った鉄製の扉だけのようだ。窓から差し込む日の光しかなく、倉庫内は昼間だというのに薄暗い。
ジルが逃げるだけならわけないことだ。だがスフィアを連れてとなると、人手が欲しい。あとは敵の数と情報も欲しかった。
(わたしを密偵に仕立てあげようとしているな……敵のシナリオをちゃんと確認しないと、裏をかけない)
あいにくジルが監禁部屋から脱走していたため、スフィアと一緒に捕らえられなかった。そのせいで現場は混乱しているのだろう。
スフィアもさっきの男達もジルを少年だと思ってる。正体を明かすのはまだ先でいい。
それよりも、スフィアと情報を共有すべきだ。
「スフィア様。今日はどうしてこちらに?」
「えっ……お、お父様が……ハディス様のことについて神父様に相談してはどうかって礼拝をすすめてくださって……馬車も出してくださって……」
「そういえば護衛はどうされたんですか? 侯爵家の令嬢でしたら礼拝といえど、聖堂まではついてきたでしょう」
「……みんなつかまってしまったのかも……。あ、あなたは、冷静ね。怖くないの?」
いつの間にか泣きやんだスフィアが、じっとジルを見ていた。自分の態度がいかに子どもらしくないか気づいたが、さすがにこの状況では取り繕えない。
「ええ……まあ、その。修羅場慣れしてるので……」
「そう……私はだめね、うろたえてしまって」
「そんなことはないですよ。十分、しっかりしてらっしゃると思います」
「気を遣わなくていいわ。私ひとりじゃ泣いてばかりだったと思うし……でも大丈夫、きっとお父様とハディス様が助けにきてくださる」
「……つかぬことをおうかがいしますが、どうしてそこまでハディス様を信じてらっしゃるのですか。その……婚約者候補だとは聞きましたけど……」
スフィアはまばたきをしたあと、苦笑いを浮かべた。
「……私はね、竜が好きなの」
竜、とジルは繰り返す。竜は天空を守護する竜神の加護があるラーヴェ帝国でしか生まれない。ジルも戦場でしか竜にお目にかかったことがない。
(……ひょっとして今なら、わたしも竜に会えたり乗れたりするのか!?)
つい思考がそれそうになったジルに、すっとスフィアが遠くを見る。
「ここからもっと北東に、ベイル侯爵家の別邸があるのだけれど……そこは竜が集まる場所があるのよ。母が早くに死んでしまった私はそこで育ったの。屋敷に居場所がなかった私は、よく竜が休んでいる場所に逃げたわ。そこならいじわるな家庭教師もさがしにこない。父親に見捨てられた娘だと馬鹿にされることも笑われることもないから……」
クレイトス王国に竜がいないので竜の生態はわからないが、危険なのではないか。懸念が顔に出たのだろう、スフィアがいたずらっぽく笑った。
「竜が危険な生き物だというのはわかっていたわ。竜神ラーヴェ様の使いだもの。でも、小さな子どもだった私に、話しかけてくれたのよ」
「話すんですか、竜が!?」
「言葉がわかるわけじゃないの。挨拶とか、あぶないとか、本当にささいなことをなんとなく感じるだけ……でも私の話を聞いてくれている気がして嬉しくて、毎日竜とお話していたら、竜と喋る頭のおかしな女だと噂が立ってしまって……」
どよんといきなりスフィアの目がよどんだ。
「皆から完全に遠巻きにされて、もうお嫁にもいけないとばかり思っていたわ……でも! その噂を聞いて、私にぜひ会いたいと皇帝になったばかりのハディス様が仰ってくれたの」
その日から、扱いが劇的に変わったのだとスフィアは嬉しそうに語った。
ハディスに会わせるのならとベイル侯爵はスフィアを本邸に呼びよせ、支度をさせた。今まで頑張ってきた礼儀作法や淑女としての教養も役立てられる。後妻の継母や異母妹は相変わらず冷たかったが、スフィアが侯爵家に貢献できるとわかれば、少しは関係も改善されるかもしれない――。
「私、頑張ってハディス様におつかえしようと思ったわ。でも、皆をさがらせたハディス様に尋ねられたの。君は僕の肩に何か見えるかって」
――きっとラーヴェが見えるのではないかと、ハディスは期待したのだろう。
「私、何も見えなかったの」
少しさみしそうに、スフィアはそう言って笑った。




