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干乾びた手に宿る者

 梨珠(りじゅ)の友人雅美(まさみ)は勢いよく兄の部屋の引き戸を開けた。

 スパンッと渇いた音が鳴り、見慣れた純和風の畳の部屋が瞳に映る。

 その部屋に置かれたベッドに腰かけた黒髪の青年が、驚いた顔を雅美に目を向けている。


「何だよ、ノックぐらい」

「兄貴、アレはどこ!?」

「アレって、手か? 机の引き出しだけど……それより見ろよ! お前は馬鹿にしてたけどほら!」


 そう言って雅美の兄、隆史(たかし)はスマホの画面を雅美に翳した。

 雅美は部屋を横切り隆史に歩み寄ると、スマホに顔を近づけた。

 画面に映し出されたネットバンクの口座には残高が三千万と表示されている。


「兄貴これ……」


 絶句する雅美に隆史は得意げな笑みを見せる。


「すげぇだろ、百億には全然だけど更新するたび金額が増えてるんだ。きっと明日の朝には百億までいってるぜ」

「……アレは引き出しだね?」

「何だ、結局お前もお願いすんのか?」


 そう言いながら部屋着であるジャージを着た隆史はスマホを操作しページを更新する。


「おほっ、四千万行った!!」


 喜びの声を上げる隆史を横目に雅美は勉強机の引き出しを開け、件の手のミイラを探す。

 しかし、どの引き出しを開けても手は見つからなかった。


「ねぇ、無いんだけど!?」

「ん? 確か左の一番上に入れたと思ったけど……嘘ッ!? もう五千万……こりゃ、明日の朝とかじゃなく今日中に百億行きそうだな……」


 焦った顔の雅美を他所に隆史はドンドン上がる金額にニヤけた笑みを浮かべていた。


「ねぇ、ホントに何処にやったの!?」

「うるさいなぁ、別にいいだろ? 手が無くてもお前の面倒は俺が一生見てやるよ……うひょー、七千万!!」


 隆史は雅美も大金をくれと願うと思ったらしく、そんな言葉を彼女に投げかける。

 雅美は唐突に得た大金に喜びの声を上げる兄の姿に強い不安を感じた。


 このまま百億が口座に入金されたら隆が大切に思っている人間が死ぬかもしれない。

 それは一人では無く、隆史を含めた家族全員かも……。


 雅美の脳裏に不意にそんな考えが浮かぶ。


「どうしよう……どうしたら……」


 呟きと共に雅美はその情報をもたらしてくれた金髪の青年の事を思い出した。


「行った!! 一億!!!」


 叫ぶ兄を置いて雅美は部屋を飛び出し廊下を走った。



 ■◇■◇■◇■



「ああ、すまねぇがよろしく頼むよ」


 真咲(まさき)は電話を終えると門をくぐり玄関へと向かう。


「誰と話してたの?」

「知り合いさ……一応、保険を掛けた」

「ふーん……」


 玄関を開けて中に声を掛ける。


「すいませーん」

「はいはい」


 すぐに黒髪をポニーテールにしたジーンズを履いたエプロン姿の女性が現れた。


「梨珠さんと……」

「あっ、俺はこうゆう者です。梨珠さんからあの手について相談を受けまして」


 真咲は名刺を取り出し微笑みを浮かべ母親だろう女性に差し出した。



 ■◇■◇■◇■



 雅美が家の中を駆け抜け玄関に向かうと、そこには母と話している真咲たちの姿があった。


「ええ、そうなんです。蔵の整理をしてたら見覚えのない箱が出て来て、開けたらミイラでしょう? 気味が悪くて……」

「ですよねー」

「探偵さん!! 手が、手が無いの!?」

「無い? ……お兄さんは?」


「お金がドンドン増えるって喜んでる……ねぇ、どうしよう。私、なんだか怖いよ」

「雅美、お金が増えてるってどういう事?」

「兄貴があの手に百億くれって言っちゃったのよ! その引き換えに皆死んじゃうかもなんだよ! ……そんなの……うぇえええん……」


 不安が爆発した雅美は、玄関に座って真咲と話していた母親の横でしゃがみ込み泣き崩れた。

 母親はそんな雅美の姿におろおろとしながら、彼女の背中を撫でてやる。


「死ぬってどうして? そんな事ある訳ないでしょう?」

「グスッ、だってお金はドンドン増えてる……こんなの普通じゃない……百億になったらきっと……」


 雅美は母に縋りつき、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしている。


「一体なんなの……」

「……お母さん、あの手は猿の手と呼ばれる魔法の品です」

「魔法ってそんな物ある訳……」

「でも実際、お兄さんは大金を手にしてる……アレは願いを叶えますが、その代償を願った者の周囲に求めます。例えば命とか」

「命……そんな……」


 絶句した母親に真咲は真剣な顔で言葉を紡ぐ。


「……お母さん。挨拶の時に言いましたが俺は探偵みたいな事をやっています。職業柄、この手の事には慣れています。任せて貰えませんか?」


「でも……私の一存では……主人に相談しないと……」

「……俺の知ってる男は数百万得た事で奥さんを失いました……百億ならもっと酷い事になる可能性があります」


「もっと…………分かりました……よろしくお願いします……雅美、木村さんが何とかしてくれるって」

「……本当、探偵さん?」


 雅美は真咲を見上げ縋る様な視線を彼に送った。

 真咲は彼女の視線を真っすぐに視線を受け止め、ニヤッと笑い頷きを返す。


「ああ、任せてくれ」

「雅美、真咲は見た目はチャラいけど信用は出来る。きっと何とかなるわ」

「チャラいは余計だよ」

「梨珠……梨珠ぅ……」


 雅美は膝立ちで梨珠に縋り、お腹に顔を埋めワンワンと泣いた。

 梨珠は泣きじゃくる雅美の頭を優しく撫でてやる。


「大丈夫、大丈夫だよ……真咲は私のママも助けてくれた……雅美の事も助けてくれるよ」

「そうだべ、オラも一生懸命頑張るだで、なんも心配せんでええ」


 花も泣いている雅美に歩み寄り、優しく微笑み掛ける。

 その事で少し落ち着いたのか、雅美は泣き腫らした顔で「うん」と笑みを返した。


「では早速、雅美ちゃん、お兄さんの部屋はどこかな?」

「こっち、ついて来て!」

「わっ、そんなに引っ張るな!?」


 雅美は涙を拭うと真咲の手を引きグイグイと彼を引っ張る。

 真咲は慌てて靴を脱ぐと、その手に引かれ廊下を進みやがて襖の前まで導かれた。

 二人の後に続き梨珠達も隆史の部屋の前に立つ。

 襖の向こうからは「三十億キター!!」と男の声が漏れ聞こえて来る。


「梨珠、雅美ちゃん、お母さん、三人は家から離れていて下さい……何があっても俺が呼ぶまで近づかない様に。花、お前は三人を」

「分かっただ。んだば皆、行くだよ」

「うん! 行こう雅美!」

「えっ、でも……」

「咲ちゃんを信じてけろ」


 花は躊躇いを見せた雅美の手を握り、彼女の顔をじっと見上げた。


「……分かった。探偵さん、兄貴を助けて……馬鹿だけど憎めない奴なの……」

「了解だ」

「あの……木村(きむら)さん、よろしくお願いします」

「ええ、便利屋木村にお任せを」


 雅美の母親にニカッと笑うと真咲は襖を開け隆の部屋へと姿を消した。


「ん? 誰だよあんた? えっ? 何々!? ちょっと何すんだよ!? 止め……ああ……何か……すげぇ気持ちいい……あふ……」


 そんな声が漏れ聞こえ、やがて沈黙がその場を支配した。


「…………一体なにを!?」

「あの本当に大丈夫なのでしょうか? 彼は隆史に何を?」

「大丈夫だ。それよりオラたちは家から離れるだ」


 不安げな雅美達を促し花は三人を連れて家を出て門をくぐった。



 ■◇■◇■◇■



「ん? 誰だよあんた?」


 襖を開けた真咲は首を捻り問いかけた隆史の言葉を無視して彼に歩み寄り、隣に座って肩を抱いて微笑み掛ける。


「えっ? 何々!?」

「悪いな」


 そう呟くと間髪入れず隆史の首に牙を突き立てた。


「ちょっと何すんだよ!? 止め……ああ……何か……すげぇ気持ちいい……あふ……」


 血を吸われた隆史はやがて白目を剥いて意識を失った。

 手から転げ落ちたスマホの画面には四十億を超えた額面が表示されている。


『そんな事をされては困るな……彼は私の契約者なんでね』


 どこからともなく声が響き、黒い霞が部屋の隅から湧き出て真咲の前、畳みの上に集まった。

 それはやがて茶色い毛の生えた干乾びた獣の手を形作る。


「へっ、契約者にちょっかい掛けりゃ出て来ると思ったぜ」

『生意気な口を利く小僧だ……ん? 誰かと思えば、何時ぞやの吸血鬼ではないか』


 手は嘲りを含んだ声で真咲に語り掛けた。


「やっぱりあの時の奴か……久しぶりだな」

『久しぶり? そんなに時が過ぎたのかね? ふむ、人の世は相変わらず忙しいな』

「そんな事より本題に入らせてもらうぜ。こいつの口座に入れた金を全部元に戻せ」


『それは聞けない』

「聞けない? 何故だ?」

『願いを覆すのは本人でなければならない。それがルールだ』


 舌打ちして気を失っている隆史に目をやる。

 真咲は彼の腕に爪を立て、そこから生気を送り込んだ。

 程なく隆史は目を覚まし虚ろに視線を彷徨わせた後、真咲の顔を見て怯えた様にベッドから転がり落ちた。


「なななっ、何なんだアンタ!?」


 後退りして部屋の壁に背中を押し付けながら隆史は声を上げた。


「ふぅ……俺は木村真咲、雅美ちゃんの友人の便利屋さ。さて早速だが、あれが見えるか?」


 そう言って指差した先を思わず隆史は目で追った。


「手ッ? 無いって言ってたのに……?」

「あの手はただじゃ何もしねぇ、願った事で対価を要求する。家族の命とかな……そういう訳なんで、金を元に戻す様、願ってくれないか?」


「金を!? ……こっ、断る!! 願いはあと二つある!! 俺達が死なない様に願えばいいだけだ!!」

「……その願いにも対価が必要なんだぞ」

「クッ、じゃ、じゃあ、二つ目の願いで対価をチャラにしろって言えば……」


 隆史がそう呟いた時、畳の上の干乾びた手から煙が噴き出し、おもむろに人影を形作る。


『やれやれ、人間とはいつの時代も浅ましいものだな……』


 そこにはタキシードを着た猿の頭部を持つ悪魔が、皮肉な笑みを浮かべ隆史を見下ろしていた。

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