蛇神、蕎麦屋に就職する
拓海が誘拐されて数日後の夜、真咲が自宅兼事務所として使っている雑居ビルの二階の風呂がバザリと音を立てた。
程なく岡持ちを持った色白で黒い長髪を後ろで纏めた男が、廊下へ続く事務所の扉を開け現れる。
「天ぷらそば、大、九百円だ」
「相変わらず愛想がねぇな。巳郎」
「とにかく金を払え」
「はいはい……しかし、毎回毎回、風呂場から入って来るなよ」
「お前は我の正体を知っている。早く届けるにはあれが一番なのだ」
男の答えを聞いた真咲は苦笑いを浮かべながら財布から千円札を取り出し、出前の男、蛇神の天川巳郎に手渡した。
ちなみに本当の名前は天雫流蛇主という名だったが、そんな名は現代では使いづらいだろうと、元の名前をもじって天川巳郎と真咲が名付けたのだ。
■◇■◇■◇■
真咲に拓海を返した後、巳郎は水を渡る力を使い真咲と拓海を事務所まで送り届けた。
巳郎に送られて事務所に戻った真咲は、愛美と梨珠に連絡して拓海を無事取り戻した事を伝えた。
梨珠は連絡を受けてホッとしたようで、電話口で少し鼻声になりながら何度も良かったと繰り返した。
愛美は真咲から連絡を受けると、深夜にも関わらずタクシーで事務所までやって来た。
彼女は目覚めた拓海に抱きつくと、抱きつかれた事でガチガチに固まった拓海の頭に顔を寄せ涙ぐんでいた。
攫われた際、拓海は咄嗟に彼女を身を挺して庇ったらしく、その事で彼に対する愛美の評価はグンと上がっていたようだ。
巳郎はそんな二人を見て顔をこわばらせていたが、真咲の言葉に従い拓海を攫った事を謝罪した。
「すまない……街で其方を見てようやく出会えたと、思わず攫ってしまった……軽率だった……本当に申し訳ない」
向かい合ってソファーに座り、頭を下げた巳郎を見ながら拓海も愛美も困惑していた。
「あっ、あの、よっ、よく分からないんだが、ぼっ、僕は、ピッ、ピンクのロープで、まっ、窓から引きずり出された、とっ、所までしか、おっ、覚えていないんだが?」
「そうね、アレは何?」
「あれは……」
説明しかけた巳郎に被せる様に、二人掛けのソファーのひじ掛けに腰かけた真咲が言葉を紡いだ。
「こいつの一族は山奥に住んでてよぉ、その山奥の里じゃあ、嫁は攫って得る物って古いしきたりが未だに続いてんだと」
「しっ、しきたり? そっ、そんな文化が、げっ、現代日本で未だに?」
「本当にそんな物が……?」
「俺も驚いた……んで、拓海を攫ったのは里に伝わる縛縄術……縄を使って獲物を捕らえる技の一つらしい」
「縄? ……何だかヌメっとして暖かかったけど……?」
「縄に液体を塗り込んで強度を増しているらしいぜ……そうだよな巳郎?」
「あっ……ああ……」
真咲が語った口から出まかせの話に巳郎は戸惑いながら頷きを返した。
「……二人には世間知らずの我の所為で迷惑を掛けた……許して欲しい」
再度、深々と頭を下げた巳郎に、愛美に抱きつかれた拓海は笑みを浮かべ頭を上げる様に告げた。
「じょっ、常識は、ばっ、場所によって違う……あっ、愛美さんに怪我は無かったし、ぼっ、僕も、いっ、痛い所は無いから……」
「拓海君……」
「……」
愛美を気遣う拓海と、彼の言葉を聞いて頬を赤らめた愛美、相思相愛な空気を醸し出す二人を巳郎は切なそうに見つめた。
「んじゃ、一件落着だな。拓海、お前は愛美さんを送っていけ」
「うっ、うん」
「お前は今日はここに泊まれ、明日、話してた仕事を紹介してやるからよぉ」
「……分かった」
拓海達を事務所から送り出して事務所の倉庫を片付け、蛇神の取り敢えずの寝床を確保すると、真咲は一人事務所のソファーに腰を落ち着け、ふいーと長い息を吐きだした。
そんな真咲の前に部屋に引っ込んでいたパジャマ姿のラルフが、グラスを二つ持って腰かける。
「お疲れ様でした……」
ラルフはそう言って、ウイスキーだろう氷と琥珀色の液体が入ったグラスの一つを真咲の前に置く。
「サンキュー……二人を送ってくれてありがとな」
「いえ、女性を気遣うのは男であれば当然の事ですから……それより、よくあんな出まかせがポンポンと出てきますね……聞いていて吹き出しそうになりましたよ」
「ありゃ、ネットのオカルト話を参考に適当に考えただけだ。聞いた事ないか? 文明から途絶された独自の風習が残る山の民の話とかよぉ」
「そういう真偽の定かでは無い話は故郷にもありますが、私は余り興味がありませんので……」
「お前だって、その話の住人の一人じゃねぇか」
「だからですよ。本当の事を知っているのに、嘘や憶測が混じった話を読んでもしらけるだけです」
そう言うとラルフはチビリとグラスの液体を舐めた。
「……では、私はそろそろ寝るとします……真咲さん、彼をどこで働かせるつもりですか?」
「ん? タマの所だ。この前話したら、あいつ今、蕎麦屋をやってるらしくてな。出前要員としちゃ水を渡れるあいつは中々有能そうだろ?」
「珠緒さんが蕎麦屋? ……あの人、猫舌じゃないんですか?」
「タマはオーナー兼給仕係で、蕎麦はカミナリが作っているらしい」
「カミナリ? 稲妻が蕎麦を?」
首を捻ったラルフに真咲は笑みを浮かべる。
「稲妻じゃなくて雷神だ。太鼓を背負った鬼みたいな絵、見た事ないか?」
「雷神……あの屏風絵の?」
「ああ。なんつったか、菅原道真の傍流とかなんとか……カミナリの打つ蕎麦はコシがあって美味いらしいぜ」
「道真公の傍流……神やモンスターが蕎麦屋ですか……日本はやはり変わった国だ」
ラルフは苦笑を浮かべソファーから腰を上げた。
「いいだろ、混沌としててよ」
「はぁ……私は秩序ある方が生きやすいですよ……ではおやすみなさい」
「おう、おやすみ」
■◇■◇■◇■
それから数日後、冒頭の場面に戻る。
珠緒の店で出前持ちとして働き始めた巳郎は、水を渡る力を使い不愛想ながらもそのスピードで客には好評らしい。
なんせ出来たての蕎麦が電話して十分待たずに味わえるのだ。
更に普通の出前では出汁を吸っている天ぷらもサクサクのまま堪能できる。
「やっぱ美味いな……んで、どうだ。仕事には慣れたか?」
海老天を頬張りながら真咲は巳郎に尋ねる。
「珠緒にも鳴神にもよくしてもらっている。それに我が蕎麦を持って行くと皆、喜んでくれる……感謝の念は久しぶりで心地よい」
「そうか……上手くやってるようで良かったよ」
「では仕事に戻る。器は洗面所に置いておけ、頃合いを見て回収する」
「おう、あんがとよ」
そう言って笑った真咲に巳郎も口の端を上げただけの微かな笑みを返し、廊下のドアへと姿を消した。
「相変わらず仲良しごっこやってるのねぇ」
突然掛けられた声に真咲は思わず振り返る。
「緋沙女……」
「今は氷雨栞子って名乗ってるの。本当に久しぶりねぇ咲太郎」
「……俺も今は木村真咲って名乗ってる。んで、何の様だよ、氷雨栞子さん?」
「私のあなたの仲じゃない、栞子でいいわ。噂を聞いてね、手伝って欲しい事があるの」
そう言うと艶のある長い黒髪に雪の様に白い肌の切れ長の瞳を持つ美女は、真っ赤な唇を緩やかにカーブさせ笑みを浮かべた。




