新たな依頼と居候
正月休みも終わり人々が動き始めたその日の午後、真咲の住居兼事務所である新城町便利本舗に一人の客が訪ねて来た。
時刻は午後四時過ぎ、起き出して真咲にとっては朝食を取ろうかという時間帯だった。
客の名前は美山香織、梨珠の母親で現役のキャバ嬢だ。
ソファーに座った香織の向かいに真咲は座り、彼女に依頼について促す。
「で、香織さん。依頼というのは……?」
「うちの店の女の子にちょっと厄介な客がついちゃって……」
「厄介な客? ストーカーとかですか?」
「そうなんだけど……その子、愛美ちゃんっていうんだけど、何処にいても見られている気がするって、店に出て来れなくなっちゃったのよ」
恐らく出勤前に事務所に寄ったのだろう。ナチュラルメイクの香織は整えられた眉を寄せて真咲にそう話した。
「見られてる……留守中にカメラでも仕掛けられたとか?」
「愛美ちゃんもそう思って、業者に入ってもらったらしいんだけど……カメラはおろか盗聴器一つ見つからなかったんだって……警察に頼んでマンションの周りは巡回してもらってるけど、視線はずっと感じてるみたい……あの子、精神的に参っちゃって……」
「……香織さん、どうして俺に依頼を?」
「話を聞いた梨珠が真咲君なら何とか出来るかもって……そういえばこの前は御免ね、珠緒ちゃんとの事、勘ぐる様な事言っちゃって……」
「大丈夫ですよ。あの後、梨珠には珠緒からちゃんと説明させましたから……あいつは行き倒れてた所を拾った……まぁ、家族みたいなもんです」
真咲と珠緒の仲を勘違いした梨珠には、あの後、珠緒は行き場を無くし困っていた所を助けただけだと説明していた。
同居というのも、現在のラルフと同様、居候させていただけという事で納得して貰った。
珠緒は不満そうだったし、梨珠は疑いを捨てきれていないようだったが、一応はその説明で落としどころを見つけたらしい。
沙苗の方は珠緒と真咲が恋人同士では無いと分かり、ホッとしたような、残念な様な微妙な笑みを浮かべていた。
「そう……」
香織は真咲の言葉に一言返しただけで、それ以上は聞こうとはしなかった。
新城町は歓楽街だ。そこには様々な店が立ち並び、香織が勤めている様なキャバクラもあれば、男の欲望を満たす為の店も多く立ち並んでいる。
ただ金欲しさにそういう店で働く者もいるが、中にはやむを得ず働いている者もいる。
誰だって何かを抱えて生きている。
真咲は香織が珠緒もそうなのだろうと気遣ってくれた事を感じ取り、少し嬉しくなった。
「まぁ、珠緒の事は置いておくとして、愛美ちゃんの住所を教えてもらえますか? それと俺が行くって連絡を入れといてもらえると助かります」
「引き受けてくれるの?」
「勿論っスよ。俺、美人の頼みは断らない事にしてるんで」
「ありがとう!! 愛美ちゃん、人気があって店の売り上げにも凄く貢献してる子だから、解決してくれるととても助かるわ」
香織は真咲の手を取って満面の笑みを浮かべた。
「フッ……香織さん、この新城町のトラブルシュータ―、木村真咲に任せてもらえればストーカーの一人や二人、あっという間に追い払ってみせますよ!」
真咲はニヒルな笑みを浮かべ無責任に太鼓判を押した。
「お願いね! あっ、これは私個人じゃなくて、お店からの依頼だから既定の料金以外の報酬も期待してもらっていいわ」
「マジっすか!? 助かります!!」
その後、香織から愛美の住所と連絡先を教えてもらい、その場で真咲が家に行く事を伝えてもらった。
真咲に依頼しホッとした様子の香織は、笑顔で手を振って事務所を後にした。
「……そんな安請け合いしていいのですか?」
「ラルフ、聞いてたのか?」
渡航制限で故郷であるドイツに帰れないラルフが、廊下のドアから顔を覗かせる。
「聞こえたんですよ。この家……日本人は良くこんな狭い部屋で暮らしていけますね?」
「居候の身分で言うじゃねぇか?」
「生活費は出しているのですから、このぐらい言う権利はあると思います……それより探偵業を営むならもっと防音のしっかりした所に住むべきです……寝ていると一階のヌードルショップのテレビの音まで聞こえてくるなんて……」
事務所が入っている雑居ビルの一階は深夜営業のラーメン屋だ。
昼間、寝ている真咲にとっては都合が良かったのだが、人間の暮らしに溶け込み昼間仕事をしているラルフにとってはラーメン屋の出す音は不快だったようだ。
「大体、何ですか、深夜だというのにあんな大声で挨拶して……声が大きければ料理の味が上がる訳でも無いでしょうに……」
「そう言うなよ。あの方が景気がいいだろ?」
「はぁ……分からなくは無いですが……早く静かなドイツに帰りたいです……」
ラルフは雑貨商として世界中を飛び回っているらしく、世界各地で集めた雑貨をドイツの地方都市にある店で販売しているそうだ。
現在、店は彼の子孫の一人である女性が切り盛りしているらしい。
「私の可愛いエーファはきっと、クリスマスにも私に会えず寂しがっている筈です」
「そうかな? 案外、羽根を伸ばしてるかもしれねぇぜ?」
「それはありません。彼女は私にそれはもう懐いていますから……ほら、この通り」
「それはもう何度も見たよ」
ラルフが取り出したスマホには、ラルフと赤毛の女性が楽しそうに笑って並んでいる写真が待ち受けになっていた。
「……そういえば聞いてなかったが、あんた、エーファには関係をどう説明してんだ?」
「遠い親戚という事で彼女には伝えています……職を探していたようなので、思い切って連絡を取りました……まさか、自分の子孫と一緒に働けるとは思っていませんでした」
「……まぁ、惚れられない様に気をつけな」
「分かっていますよ……それにそんな事、真咲さんに言われたくはありません……」
ラルフが彫の深さで影になった眉の下の目を、ジトッと真咲に向けたのを見て彼は慌ててソファーから立ちあがった。
「じゃ、じゃあ、そろそろ仕事に行って来るわ……飯はいつも通り適当に食ってくれ」
一緒に生活を始めてそれ程経っていないが、女性にだらしない真咲にラルフは事あるごとに説教をしていた。
会話の流れでまた説教が始まりそうだと感じた真咲は、仕事にかこつけ、その場を逃げ出す事にしたのだ。
「……分かりました……ふぅ、得意先と会う事もないですし、私もあなたの様に昼夜逆転の生活にした方がいいかもしれませんね」
「かもな……んじゃ、行って来るぜ」
「はい、お気をつけて」
ラルフの言葉を背に、事務所を出た真咲は薄闇の街へと足を踏み出した。




